第17章 漂流する船

第65話 嵐

Side:ドリフト・マスタマリナー


 くっ、波が荒くなった。

 急いで甲板に出る。

 風も出て来た。


「帆を畳め!! 総動員だ!!」


 わしはドリフト・マスタマリナー、軍艦シータイガー号の船長。

 沖を航行中に緊急事態だ。


「駄目です。風が強すぎて、帆が畳めません」


 船は軋みを上げて暴れ馬の如く進んでる。

 いかん、こままだと船が壊れる。

 わしは斧を出すと、マストに向かって叩きつけた。


 マストは切り込みを入れただけで、メキメキという音を立ててあっさりと折れた。

 後2本あるマストも同様の処理をした。


 天候は荒らしと呼ぶしかない。

 叩きつけるような風とバケツをひっくり返したような雨だ。

 もう波は甲板を洗うまでになっている。


「碇を下ろせ!」

「アイアイサー」


 碇が下ろされたが、船の進みは変わらない。


「舵が壊れました」

「碇のロープも切れそうです」


 くっ、嵐が静まるなら、この命をくれてやっても良い。

 海に投げ出されないようにしがみつくのがやっとだ。

 そして、夜が明ける頃、嵐が治まった。


 碇のロープは切れているし、マストも流されてなくなった状態だ。

 舵も利かない。

 完全な漂流状態だな。


「魔法使いが、水を出そうとして失敗しました」


 くそっ、死の領域に入ってしまったらしい。

 死の領域は、魔法も、スキルも、魔道具も、何も使えない。


 餓死するしかないのか。

 まずは水の確保だ。

 ありったけの器を甲板に並べて、雨が降ることを祈るが、嵐は過ぎ去って晴天だ。


 食料と水の備蓄がなくなったら最後だな。

 釣りでもするか。

 魚ならたくさんいる。


 見張りを除いて全員で釣り大会になった。

 料理する薪がなくなったら船を壊さないと。

 相棒である船を料理のために壊すとは、心が痛む。


 おっと、引いてる。

 かなりの大物が掛かった。

 捌いて干物を作る。

 かなりの量の魚の干物が手に入った。

 これを一食にひとつずつ食わせないといけない。

 飽きるだろうな。

 だが、貴重な食料だ。

 誰も文句は言うまい。


 ここは、漁場としては美味しい領域らしい。

 漁師が入って来ることもないし、なぜかモンスターも入らない。

 平和なものだ。

 餓死の未来さえなければ良い骨休めだったがな。


「食料はあと何日持つ?」


 部下に尋ねた。


「30日ぐらいですかね」

「余命1ヶ月か。死病に罹ったと思うしかないか」

「反乱が起きないか心配です」

「そうなったら仕方ない。勝った側も余命は大して延びない」

「ですね。ああ、救難信号を出せたら良いのに」

「魔法、スキル、魔道具が全滅じゃ、どうにもならんだろ」


 本でも読んで釣りをして過ごすしかないな。

 島でも見つかれば別だが。

 死の領域から帰って来た話でも島があったという話は聞かない。

 望み薄だな。


 見渡す限りの海。

 鳥でも飛んでれば、まだ希望があるのにな。

 鳥が飛んでいれば陸地があるということだからだ。


 毎日の日課は、運動を1時間、甲板の掃除を1時間、後は趣味の時間だ。

 賭け事などをやる奴が多い。

 飲酒は禁止した。

 酒はもしもの時のために取っておく。


 あー、暇だ。

 壮絶に暇だ。

 壮絶に暇などという心境になったのは初めてだ。

 何をしても虚しい。

 もう死んだも同然なのだから。


 死病に罹った人はこんな気分なのか。

 何もする気が起きない。

 ただ食べるだけだ。

 その食事も美味しくない。

 生きているって実感がないんだ。

 その癖、何かしてないと気が狂いそうになる。

 逃避する物が欲しいと思うが、この現実を忘れさせてくれるものなどない。


 酒を飲んでもたぶん駄目だろうな。

 死の恐怖は酒では洗い流せない。

 意識を失うまで飲めば、気絶したように眠れるが、起きた瞬間に現実が圧し掛かってくる。

 何倍にもなって。


 それに全員が浴びるほど飲める量の酒はない。

 せめてもの慰めはパイプだな。

 タバコで少しリラックスできるだけか。

 そのタバコも備蓄は余りない。


「諸君、家族への手紙を書こう。最後の一人が生き残ったら、その手紙を家族に届けるんだ」


 みんな泣いている。

 わしも、何を書いていいか思いつかん。

 この手紙を読んでいる時は、わしは駄目かも知れん。家族元気で仲良く達者に暮らせ。

 そんなことぐらいしか書けない。

 家にいた時より船に乗っていた時の方が圧倒的に長い。

 子供に顔を忘れられたことも一度や二度じゃない。


 船と共に生き、船と共に死すか。

 いや、生きる希望を失ってどうする。

 なんとか生き延びて、誰かが死んでいたらその最後を伝えて、遺言の手紙を届けるんだ。


 死の領域で使える魔道具が欲しい。

 猛烈にそう思った。

 見ると甲板に扉があるじゃないか。

 表札には魔道具工房とだけある。


「おい、あれが見えるか」

「水平線に何かあるんですか。私には見えません。さすが船長、目が良いです」

「でなくて甲板にある扉だ」

「見えませんけど」


 俺は船長の職を誰かと交代しないといけないようだ。

 おかしくなってしまったらしい。

 だが、あの扉は幻には見えない。

 触ったら触れるんじゃないかと思うぐらい実像だ。


 恐る恐る触れると木の硬い感触がある。

 神の迎えか。

 くぐらねばなるまい。


 扉を開けて中に入る。

 そこは表札通りに魔道具工房だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る