その背中を押したのは

夏葉緋翠

大丈夫だよ、さぁ踏み出そう

 ボクの身体に異変が現れたのは、ボクが8歳になった頃だった。


 いつものように、ベッドに立てかけていた木剣を抱えて外へ出ようとして、「ちょっと朝ごはんは〜!?」と母さんに呼び止められた。


 朝ごはんが食べたくないわけじゃない。


 早く出かけてたくさん特訓したい気持ちが溢れちゃうのと、こうしていつもみたいに声を掛けてくれるのを待っているのと。


 一つのコミュニケーションみたいなものだった。


 でも、その時ばかりは、いつも笑ってくれる母さんが、今にも泣き出しそうな、苦しそうな顔をしていた。


「どうしたの……?どこか痛い?」


 そう言うと、ついに母さんは泣き出してしまった。


 母さんの泣き声を聞きつけて、父さんが部屋から飛び出してきた。


 そして、父さんも僕の顔を見るなり、「そんな……」とだけ言って、何も言わずにボクと母さんのことを強く抱き締めた。


「ちょ、ちょっとお父さん、痛いよ?」


 ボクがどれだけ言っても、お父さんは離してくれなかった。


(あーあ、今日は特訓の時間が少なくなっちゃうかも)


 最初はそんなふうに、自分の身に何が起きているのかさっぱり分かっていなかった。




 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·




 ボクの瞳の色が変わってから、両親は数日も経たないうちに、まるで村から逃げ出すように家のものを持てる分だけ持ち、ボクを連れて山奥の小さな小屋へと引っ越した。


「ここどこ……?」


 眠っている間に父さんにおぶられる形で連れ出されたボクは、見慣れない部屋、そしてそれまでとは違う窓の風景に困惑した。


 それに、どこを探しても見つからない木剣。


「ねぇ、木剣どこ?」


 いくら尋ねても、両親は答えをはぐらかすだけだった。


 こうなったら何とかして、昨日まで暮らしていたあの家に戻って、木剣を取りに行かなきゃと思った。


 今では両親も辛かったんだって、分かってるけどね。


 それでも、あの時のボクは自分に何が起きているかも分かっていなかったから、木剣を隠されてしまったのだと思ったんだ。


 両親の目を盗んで小屋の外へ出たあとは、村にちょくちょく来ている商人の馬車を見つけ、その荷台に潜り込んだ。


 そうして無事に村にたどり着き、がらんとした家の中にぽつんと残されていた木剣を見つけ出すことに成功した。


 舞い上がってそのまま外へ出た時、一人の女性が声を上げた。


「いやぁ!!の子よ!!みんな早く逃げて!!」


 その女性は、よく家に世間話をしに来る隣のおばさんだった。


 いつもなら猫なで声で「可愛いねぇ」と頭を撫でてくるおばさんが、その時はまるで魔物を見るような目をこちらに向けていた。


 付近に居た住人達は一目散に走り出し、子連れの大人はその子どもを乱暴に抱き上げて走り去っていった。


 みんなの豹変っぷりに呆気に取られ、呆然としたまま辺りを見回していたその時、家の窓に写った自分の顔が目に入った。


「左眼の瞳の色が……」


 それまでは両方とも黒色だったのに、左眼だけが青色に変化してしまっていた。


 その時、両親がボクの顔を見て泣いていたのを思い出した。


 そして気がついた。


 山の奥へ引っ越したのも、村のみんながボクの姿を見て逃げ出したのも、この瞳のせいだって。


 そして、おばさんの言葉から、それが「魔力不全」だということも知った。


 沈んだ気持ちのまま、木剣を抱えて山を登った。


 帰りの道は馬車に乗れなかったからか、ものすごく足取りが重かったし、家がすごく遠く感じた。


 小屋の近くまで行くと、父さんと母さんがボクの名前を呼んで、必死に探し回っているのが見えた。


「ユーリ!!!!」


 ボクを見つけた母さんは、昨日よりももっと激しく泣いていた。


 父さんも、ボクが抱えている木剣を見て、「ごめんな、父さんが悪かった……」って謝っていた。


 二人は何も悪くないのに……また泣かせちゃった。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 それから両親は、ボクに「魔力不全」のことを教えてくれた。


 身体の中には魔力が流れる回路があって、みんな日常的に魔力を使って暮らしている。


 母さんが料理をする時に指先から火を出したり、洗濯の時に水を出したりできるのも、その魔力を使ってやっているんだと。


 そして、ボクが目指していた勇者は、その身体に膨大な魔力を有していて、それを器用に扱うことで凶悪な魔物たちを退治していたという。


「魔力を使うのって、魔法だけじゃないの?」


 そうじゃないみたい。


 父さんがまるで紙を切るように薪を切り出すことが出来ていたのは、魔力を使って身体強化していたかららしい。


 剣士なんかは、そういった身体強化に加えて、相手の身体を巡る魔力を読んで攻防を繰り広げるという。


 だとしたら……その回路が上手く機能しなくなってしまったボクは……。


 ああ、だから父さんはボクの木剣を家に残していったのか。


 そこで納得した。


 でも、だからといって簡単には割り切れなかった。


 次の日からも、ボクは木剣を抱えて山へと駆け出した。


 両親は無理には止めなかった。


 特訓をすることでボクの気持ちが落ち着くのならそれが一番良いと、辛かっただろうけど、これまでと同じように送り出してくれた。


 ただ、村には近づかないことを条件に。


「魔力不全」は感染する。


 そういったを信じている人がまだ多く居るからだ。


 両親は学生の頃にここから遠い王都で出会ったらしく、ボクが勇者になりたいと言ったのをきっかけに、この村へ移住してきた。


 王都では既に「魔力不全」は感染しないという知識が浸透しているため、「魔力不全」の人たちも自由に外を出歩いているのだとか。


 けど、今のうちにはまだ王都で暮らせるようなお金が無いということで、急遽この山奥の小屋へと身を隠したのだという。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 それからまた数年して、ボクはまた村へと降りてきていた。


 今度はちゃんと両親の許可も取ってある。


 それに、「顔に大きな傷がある」、というをついて、顔全体を隠すように父さんお手製のお面をつけているため、誰もボクがユーリであることに気がついていない。


 今のボクはアイリと名乗っている。


「アイリ、今日も来てたんだね♪」


 昔と同じようにその笑顔を向けてくれるミリーは、今ではすっかり美人さんになっていた。


 昔はよく一緒にかけっこしたものだけど、今では重たそうな魔導書が入ったカバンと身の丈ほどもある杖を手に、長めのスカートとオレンジ色の髪をひらりと揺らしていた。


 剣士になるものだと思っていたけど、ミリーはどうやら魔導師を目指すみたい。


 王宮魔導師団に入りたいんだって。


 そこでたくさん研究をして、自分しか使えない魔法を見つけるんだ!って、その綺麗な翡翠色の眼を輝かせていた。


「ふん、おれには敵わないけどな」


「そうだよ、勇者になるのはクライン君だ!」


 トサカのような金髪を揺らしながら、豪華な装飾のついた服を纏っているのがクライン、そして、その後ろにずっと引っ付いているそばかすの子がクスネだ。


 この二人も昔と全然変わらない。


 いや、でもクラインを取り巻く環境は変わったと言ってもいいのか。


 クラインは代々この村の村長を担っている一族の出で、恵まれた体格とその剣術の腕から、ついに一族から勇者が出るかもしれないと騒がれているのだ。


 そんなふうに周りがもてはやすものだから、昔からの横柄さに拍車がかかってしまっているような気もする。


「……クライン君は強いもんね」


「強いだけじゃない、おれには人望もあるからな!おれが勇者になるのは既に決められた運命なんだよ!!」


「さすがクライン君!!勇者として旅に出る時は僕のことも連れてっておくれよ」


「いいだろう、クスネ。お前は昔からおれに忠誠を誓ってきたからな」


 勇者は剣士という訳では無い。

 過去には魔導師が「勇者」として活躍していたこともあったらしい。


 今となっては魔王はもう御伽噺の中の存在になってしまったけど、依然として魔物たちが蔓延っている。


 とりわけ、この村の住人たちは「勇者」という存在にうるさい。


 原初の勇者が生まれた地。


 それを誇りに生きている人たちがほとんどだ。だから自分たちが納得のいく勇者でないと認めないという人たちが多い。


 ボクのように先代の勇者に憧れているという人の方が少ない状態だ。なんなら以前、勇者が神話級の魔物に苦戦したという噂が流れた時に「勇者ならあの魔物くらい楽に倒せるだろうが」と、難癖をつけた人もいるくらいだ。


 ではどうやってそんな人たちから勇者として認めてもらうのかというと、一応それなりの儀式がある。


 数年に一度、歴代の勇者が封印をかけた剣が埋まっている場所に、その年に14歳になった子たちを集め、その剣を抜かせるのだ。


 その剣には勇者たちの意思が込められていて、それに認められた子だけが剣を台座から引き抜くことが出来るという。


 歴代の勇者が認めたのだから、流石の村人たちも認めざるを得ない……ということらしい。


 そして、その儀式が丁度数日後に迫っていた。


 儀式に参加する前に、村の子どもたちで集まり、特訓をしようとなった。


 ボクがこの特訓に参加出来たのは、イーデルおじさんおかげだ。


 両親には内緒にしていたことなんだけど、ボクがまだ村にいた頃、よく特訓に行く途中でイーデルおじさんの家に寄って、腰の悪いおじさんに代わってお皿洗いとか薪割りを手伝っていたんだ。


 おじさんはボクが勇者を目指すために特訓していたことも、「魔力不全」になって村を離れたことも知っていた。


 一年くらい前かな、小屋におじさんから手紙が届いて、儀式のことと子どもたちの特訓のことを教えてくれた。


 この仮面のアイデアをくれたのもおじさんだった。


 儀式までの間は、おじさんの親戚で、おじさんの生活を手助けするために来てくれているという口実まで与えてくれたし、村の人達にも伝えてくれていた。


 だからボクはおじさんの親戚であるアイリとして、こうして特訓に参加することが出来ていた。


「くっ……」


「どうしたアイリ、そんなもんか〜?勇者になるって宣言したくせにその程度かよ」


 けれど、その特訓の間、ボクはクライン達から一本も取ることが出来ていなかった。


 こちらの行動は全て先読みされ、圧倒的な力でねじ伏せられていた。


「お前だろ!よくそれで勇者になるとか言えたなぁ!!」


「ちょっとクライン君!!アイリに酷いこと言わないで!!」


 すかさずミリーが庇ってくれるけど、それがまた悔しかった。


 同じような背丈なのに、堂々とクラインの前に立ちはだかって、かっこいいなぁ……。


 でもクラインが言っていることは正しい。


 未だに「魔力不全」の改善は見られず、ボクは依然として元々の身体能力のままで立ち向かわなきゃいけない。


 魔力をフル活用してくる相手には到底敵うわけがなかった。


「じゃあな〜!またボコボコにできるの楽しみにしてるぜ〜!今度こそ、そのヘンテコな仮面砕いて、お前の顔面拝んでやるよ」


 ボクはその言葉を聞いて、ちょっとだけ心が折れそうになった。


 クラインはあれだけ動いたのに、息が全く乱れていなかった。


 ミリーのことも先に帰らせて、ボクは一人、特訓場所である村はずれの池のほとりで立ち尽くしていた。


 やっぱり、無理なのかな……。


 何回やってもダメ。


 ボクの木剣がクラインの身体に届いたことなんて一度もない。


「ずっと……ずっと特訓してきたのになぁ……」


「やぁ、こんなところでどうしたんだい?何故君は泣いているの?」


 心臓が飛び跳ねるかと思った。


 一体いつから居たんだろう。


 この場所にたどり着くためには道は一本しかない。ボクの正面にあるこの道。さっきクラインやミリーが帰って言ったこの道。けど、声はボクのから聞こえてきた。


「……誰……ですか……」


「おっと、ごめんごめん。驚かせるつもりは……ちょっとあったかも。それもごめんね」


 少しだけおどけたように言うその声に、悪意は無さそうだと、ゆっくり顔を向けてみると、そこにはボクと同じように顔をお面で隠した騎士のような人が居た。


「なんで兜じゃなくてお面なんだろうって思っただろう♪僕もなんだ。顔を見られたらいけないんだよ」


「えっ……」


 ボクは少しだけ、ドキッとした。

 もしかしてこの人も、ボクと同じ「魔力不全」なのかもって、そう思ったから。


 でも、それはすぐに違うと分かって、すうっと胸がまた冷たくなるのを感じた。


 だって、その人はから。


 そんなこと、魔力を繊細にコントロールしないと出来ない。


「どこが同じなんですか……ボクはあなたとはですよ」


「そうかな?僕はだと思ってるんだけどな」


 変わらずに飄々と言うその人にだんだんと怒りが湧いてきたボクは、そのまま立ち去ろうとした。


「……もういいです。揶揄わないでください」


「あらら……じゃあ最後に一言だけ。踏み出すんだよ」


「それってどういう……ってもう居ないし……」


 その一言を伝えに来たと言わんばかりに真剣な声で言うものだから、思わず振り返ってみても、その時にはもう仮面の騎士の姿はどこにもなく、水面も揺れていなかった。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 ついに儀式当日の日がやってきた。


 ボクを含め、儀式に参加したのはクラインとクスネ以外のその取り巻きたちとミリーの合計10人だった。


 勇者誕生の瞬間を見ようと、村の人達も台座の周囲に集まってきている。


 その中には、腰が悪いのに身体に鞭を打って外に出てきてくれたイーデルおじさんの姿もあった。


 ただ、ボクはおじさんの姿を見て、より憂鬱な気持ちになってしまっていた。


 これだけ懇意にしてくれたのに、おじさんに不甲斐ない所を見せてしまうかもしれない。


 そう思うと、不安で仕方がなかった。


 ボクとは正反対に、クライン達は堂々と胸を張っているし、ミリーも胸の前で拳を握り、気合いを入れていた。


 この場で弱気なのはボクだけだった。


「皆の者、静かに」


 村長のその声を受けて、村人たちの声が止むと、辺りは木の葉が揺れる音で満たされた。


「では、これより次代の勇者選定の儀を執り行う。立会人として、王都から王国騎士団長であるユーベル殿に来てもらった」


「どうも〜♪」


「王立騎士団から、それも団長が……!?」


「一体何故……」


 村長の紹介を受けて、村長の後ろから現れたのは、昨日池で話しかけてきたあの仮面の騎士だった。


 まさか騎士団長様だったなんて……それも国王直属の……。


 一度静まっていた村人たちも、予想外の人物の登場にどよめいていた。


 勇者選定の儀は、優秀な人材をより掬い上げることができるようにと、この村だけじゃなく、王国の各所に設置された台座で同日に行われることになっている。


 国王や王宮魔導師団長をはじめとした各重鎮たちは、代々王都での儀式に立ち会い、この村では例年、村長と自警団の代表が立ち会うって聞いてたけど……。


「僕の予想では、ことになってるからね。立ち会わないわけにはいかないでしょ」


 騎士団長様のその言葉に、村人たちの声は更に大きくなった。


 そして、誰もが口にしたその名前は……。


「クラインだ……クラインが勇者になるぞ!」


「特訓でも全勝だったそうじゃないか!」


「良かったなぁ村長!!」


 誰もがクラインが剣を引き抜く姿を想像していた。


「静粛に!こら、静まらんか……!ユーベル殿も、迂闊にそのようなことを口にしないで頂きたい。儀式は他の場所でも行われておる。まだクラインは剣を引き抜いていないのですから……!」


「これは失敬♪じゃあ早速始めちゃいましょうよ」


 どこか軽い口調のユーベル様に振り回されながらも、ボクらの村の儀式が開始された。


 木の葉が揺れる音だけが響いて、台座に突き立てられた剣の柄は木漏れ日の柔らかい光に照らされている。


 一人目はクラインの取り巻きだった。


 意気揚々にその柄を掴み、最初は片手で引き抜こうとしたものの、ビクともせず。


 意地になって両手で掴み、顔を真っ赤にして踏ん張っても、剣が動くことは無かった。


 そうして一人、また一人と脱落していく。


 そして、ミリーもまた剣を引くことは出来なかった。


「あわ〜、ダメだったか!やっぱり近道しようとしちゃダメだね!アイリ、私は選ばれなかったけど、アイリならきっと選ばれるよ!頑張ってね!!」


 失敗に終わったというのに、ミリーはそう言ってニコリと笑って見せた。


「どうして……」


「ん?」


「どうして……ミリーはさ、そんなにボクのことを応援してくれるの?」


「それは……ちょっとだけお話聞いてくれる?」


 少しだけ気まずそうにしたミリーは、ボクから目を逸らして、眉を下げながら小さな声で話してくれた。


「昔ね、まだこんなにちっちゃかった頃なんだけど、ずっと一緒に遊んでた子が居たんだ。今は村のみんなが居るから名前も呼べないんだけど、その子もね、君みたいに勇者になりたいって夢に向かって一生懸命特訓してた子だったの……」


「……!そう……なんだ……」


「うん。でもね、その子はある日突然村から居なくなっちゃった。パパとママも頑なに隠そうとするから、出てってやる!って脅したら渋々教えてくれたの。あの子は魔力不全になっちゃったから、私たちに伝染らないように村の外へ追放したって……」


「追放……?」


「私はまたあの子に会いたいの!あの子は強気な子だったけど、すごく優しい子だったから、きっとみんなに隠れて泣いてたはずなんだよ。だから、私はまたあの子に会って、まずは謝りたい。それから仲直りして、また笑い合いたいの!そしてね、私があの子の魔力不全を治してあげるんだ!」


「もしかして、王宮魔導師団に入るのって……」


「そうだよ!私は魔力不全の治療法を探したいの!勇者に選ばれれば、すぐに王都に行けるでしょ?だからこの儀式にも参加したんだけど、たぶんこれは自分で成し遂げなさいって言われたってことなんだろうね♪」


「ミリー……君は……」


「アイリはさ、顔は見たことないけど、なんか雰囲気っていうか、あの子とそっくりな気がするんだ。もし大きくなってたらこんなふうになってるのかなって。だから、勝手に応援してるの。変な期待を負わせちゃってごめんね、私の言葉はほんと、気にしなくても……」


 ミリーが謝ることなんかないよ。

 だって、ボクは……。


「ううん、勇気を貰えたよ。ありがとう。の分まで頑張るね」


「うん!!」


 そうして、最後に残ったのはボクとクラインだった。


「では、どちらから試しますか?」


「ふっ、こいつはハナから選ばれないと分かりきっている。おれがやる」


「いいねぇ〜その自信。もし選ばれなかった時はどんな顔をするんだろうね?」


「……見てろ、おれは必ず成功させる」


「いいねいいねぇ〜、あの若い子なりの威勢の良さ♪」


 そう言ってクラインは、ボクのことを押し退けると、台座へと登った。


「おれこそが次代の勇者だ……!黙っておれに引き抜かれろ!!」


 クラインは力強く剣の柄を握った。


 その迫力に、その場にいる誰もが息を飲んだが、一向に剣が動く気配は無い。


「う〜ん、これはかな」


「……どういう意味だ」


 嫌われたってなんだろう。

 選ばれなかったのは選ばれなかったんだろうけど……そもそも誰から?


「この剣には代々の勇者の意思が込められているって話は聞いたことあるよね?」


「もちろんだ……まさか、そいつらが剣の中に居るとでも?」


「分かってるじゃーん♪」


「そんなおとぎ話みたいな……!!」


「そもそも勇者と魔王がいる時点でおとぎ話もクソもないだろ。思いを込めた、なんて言うからちゃんと伝わらないんだ。これには文字通り、過去の勇者たちの魂、その欠片が封じ込められているんだよ」


「魂の欠片だって?」


「そうだよ。この儀式はね、なんだ。そこの魔導師を目指した女の子は惜しかったねぇ。でも好感は持たれていたみたいだよ?」


「そんなまるで声を聞いたみたいに……」


「お、いいことに気がつくじゃないか。これまでの中に、剣から声が聞こえたって子は居たかい?」


 ユーベル様の問いかけには、誰も答えられず、ただ俯くだけだった。


 対話の内容によって認められるかどうかというのであれば、そもそも声が聞こえなかった時点でと言われているようなものだ。


 これにはクラインも堪えたらしい。


「じゃ、最後。君の番だよ。お面の君」


「だ、ダメだ……!!こいつが勇者な訳が無い!!さっきのあんたの予想通りなら、こいつが勇者ってことになるじゃねぇか!!そんなこと、あっていいはずがねぇ!!こんな得体も知れないよそ者なんかが!!この由緒あるアスカ村の勇者なはずが―――――」


「黙ってなって」


 ボクが台座に向かって歩き出そうとした途端に喚きだしたクラインだったが、その次の瞬間には、ユーベル様がその手でクラインの口を塞いでいた。


 そして、先程までとは一変した言葉のその冷たい音に、クラインも押し黙ってしまった。


「さ、改めて。君の番だよ」


「は、はい……」



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 台座の前に立つと、なんだか胸の辺りがすごく熱くなってくるような気がした。


 剣の柄に手を伸ばし、どんどんその距離が縮んでいく程に、動悸が強くなっていく。


 そして、ついにボクの手が剣の柄に――――


「大変だ村長!!!!に魔獣が……!!!!」


 村の男性が慌てふためいた様子で走ってきて、そう叫んだ。


 え……今、どこに魔獣が出たって言ったの?


「儀式の途中だぞ。静かにせんか……」


「いや、でも……!東の山には」


「東の山か……」


 聞き間違いじゃなかった。


 東の山……魔獣が出たのは、ボクの両親が住む小屋がある山だった。


 ただ、その後の村長の言葉に耳を疑った。


「東の山ならな。あそこには、。儀式を続行するぞ」


 ボクだけならまだしも……ボクの両親のことまでそんな扱いをするのか……!!


 本当になんなんだこの村の住人たちは……原初の勇者が生まれた地だからなんだって言うんだ。


 そんな勇者の精神なんて、この人たちの中には無いじゃないか。


 この人たちは、「原初の勇者」という看板を使って、自分たちの尊厳を守ろうとしているだけだったんだ。


 こんな人たちを守る勇者ってなんだ……?

 ボクは……何に憧れていたんだ……?


 いや、今はそんなことどうでもいい。

 父さんと母さんを助けなきゃ!!


 だけど、木剣では到底魔獣には……。

 いや、


「どうした?早く剣を引かぬかアイリ」


「……今引きますよ」


 今度はもう躊躇わない。


 ボクはそっと剣の柄を握って目を瞑った。


 早くその力を寄越して……!!


『全ての人を守ることなど出来ぬぞ?』


 うるさい黙って。

 全ての人を守ろうだなんて思ってない。


 そもそもそんなこと出来るはずがないもの。


 ボクは、ボクの目の前にいる人を守れたらそれでいい。


 ボクは、ボクが守りたいものを守る。


『ふふっ、その傲慢さは好きじゃな』


 おじいさんのような声がしたかと思うと、その気配はまたすぐに消えていった。


『あらら、今回のは随分と可愛らしい候補者なのね』


 いいから、早く力をください。


『その力を使ってどうするの?』


 両親を守りたいんです。


『そんなに大切な人なの?』


 はい。一番です。


『はっきりと言うのね。潔くて好きよ、そういうの。でも、それが終わったらどうする?人々は勝手なもので、あなたの力を恐れて除け者にするかもしれないわよ?』


 それにはもう慣れてます。

 力はないですけど、この病のせいで今でもこうして仮面を被らなければ、みんなの前には出て来れませんから。


『なんだ、と同じなのね。道理で気に入ってるわけだ。なんだかも今の話聞いててほとんどがあなたのこと認めたみたいよ』


 えっ……じゃあ……!!


『うん、合格だよ。早くあなたの大切な人たちの所へ行ってあげなさい』


 その女の人の声と共に、複数人の気配がすうっと消えていく。


 全ての気配が消えたと思って目を開けると、その時にはボクは台座から既に剣を引き抜いていて、その白銀の刀身が露になっていた。


 とても長い間地面に突き刺さっていたとは思えないほど、透き通った輝きを放つその剣を握りしめ、ボクは全速力で東の山へと駆け出した。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 すごい、いくら走っても全然つかれない。


 それにものすごい速さだ。

 景色が次々と過ぎ去っていく。


「見えた……!!」


 いつもの山道を駆け上っていくと、丁度薪割りをしていたところだったのか、斧を持った父さんが、母さんを背中に隠した状態で魔獣と対峙しているところだった。


 よく見ると、父さんは怪我を負っているようで、ところどころ衣服には血が滲んでいて、肩を上下させて息をしている。


「父さん!!母さん!!」


「この声……ユーリか!?」


「ダメよ、来ちゃダメ!!!!」


 ううん、もう守ってもらうだけじゃないんだよ。


 ボクだって、これからは二人のことを守っていきたい!!


 ずっとボクのことを守ってくれていた二人のために、今度からはボクが……!!


「やあああぁぁぁぁ!!!!!」


 闘牛のような形をした紫色の塊を高速で切り刻んでいく。


 この剣のおかげなのか、魔獣の動きがとてもゆっくりに見えるから、動くことが出来た。


 こうしてボクは無事に両親を助けることが出来た。


「はは……なんだか昔のことを思い出すなぁ」


「そうねぇ……」


「昔のこと?」


 応急処置として、母さんが父さんの患部に包帯を巻いていると、父さんがふとそう切り出した。


「昔な、ユーリと母さんを連れて旅行をしていた時にも魔獣に襲われたことがあってな」


「あの時も、まだ幼いっていうのにユーリは私たちを守ろうとして前に飛び出したのよ?」


「うぇ!?」


「結局、勇者様が偶然通りがかってくれたおかげで助かったんだけどな」


「あ……それ……」


 ボクが勇者を志すきっかけになった出来事だ。


 そんなこと全然覚えてなかった。


 ボクが覚えていたのは、颯爽と現れた勇者様が恐ろしい魔獣を一瞬で斬り伏せてしまった場面だけだ。


 そうやって思い出話をしていると、今度はボクが今来た道の方から衝撃音が聞こえて、そちらへと目をやると、今度はそっちで大きな砂煙が巻き上がっていた。


「あれって村の方じゃ……」


「……いいんじゃないか、奴らのことなんて」


「ちょっと、あなた……気持ちは分からなくもないけど……」


 父さんは正直、村の人達に対して辟易していたんだと思う。


 次々と煙が舞い上がっていく村の方を見下ろす父さんの目からは、どこか嫌悪の色が見えていた。


 ボクもその気持ちは共感できてしまうかもしれない。


 あんな人たちなんて……。

 それに、あそこにボクが戻らなくったってユーベル様が居るんだし……。



“私、またあの子に会いたいの!!”



 ああ、もう。

 どうして思い出しちゃうかな。


「ちょっと、ユーリ!?」


「ごめん、すぐに戻るよ!!」


 この剣の中にいる過去の勇者様たちにも宣言したもんね、ボクが守りたいものを守るって。


 ボクは魔獣を斬り倒しながら走り続けた。

 ただ真っ直ぐ、ミリーのもとへ。


 ミリーの場所はすぐに分かった。


 逃げ惑う村人たちは、魔力量の高い人間を狙う魔獣の性質を知っていたのか、ミリーを囮にして逃げ出したらしく、ミリーは一人、台座の広場に残って魔獣と戦っていた。


 先程の砂煙は、ミリーが魔法を使った際に起きたものであるようだった。


 けど、いくら魔力量が多いとはいえ、独学で勉強しただけの、14歳の女の子だ。


「普段は強気でも、けっこう怖がりなところがあったよね」


「えっ……その言葉……どうしてアイリが」


 魔力切れを起こしてへたりこんでいるミリーを狙って、虎型の魔獣がその鋭い爪を向けて飛びかかってきたが、間一髪でその間に割って入ることが出来た。


 魔獣の爪を剣でいなしたものの、上手く捌くことが出来ず、お面を掠めてしまった。


 危なかった……お面つけてて良かった。

 顔に大きな傷があるって嘘が本当になってしまうところだったよ。


 魔獣がバランスを崩したところを瞬時に剣で切り裂き、そのコアを叩き切ることで魔獣は塵となって消えていった。


「遅くなってごめん、ミリー。大丈夫だった?」


「う、うん。あなたが来てくれたおかげで……ってアイリ、お面にヒビが」


 えっ、嘘、ちょっと待っ―――


 ボクが慌ててお面を抑えようと手を上げた時にはもう遅かった。


 お面は真っ二つに割れてしまい、急にボクの視界が開け、正面のミリーの顔がこれまで以上によく見えた。


 目を大きく見開かせると、その目がどんどんうるうるとしていって、口も大きく開いてパクパクとさせていた。


「待って、ちょっと待って……あなたが……あなたがユーリだったの……?ずっと傍に居たのに……私、気づいてあげられなかった……」


「あわわ……えっと、泣かないで?ミリーはちゃんと、アイリとしてのボクであっても、その中にちゃんとボクの影を見てくれたじゃない」


「良かった……生きててくれて良かったぁ……!!」


「……ふふ、ありがとう」



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 ミリーはしばらく頭を撫でてやると落ち着いてくれた。


 残りの魔獣たちは予想通り、ユーベル様が一人で片付けてしまったみたい。


 そして、今回の麻珠騒ぎに違和感があるいうユーベル様の要請で、王国騎士団と王宮魔導師団の調査班が魔獣出現の痕跡を調査したところ、どうやら人為的に召喚されたものであることが分かった。


 さらなる調査の結果、あの魔獣たちは村長が密かに召喚し、屋敷の地下牢に閉じ込めていたものが脱走したものであることが判明した。


 魔獣の召喚目的は、ある程度弱体化させた魔獣をクラインに倒させることで、クラインの名声を高めることだったという。


「それであんな態度で居られちゃあ、勇者たちも腹が立つってもんよな〜。ま、今回は君たちのおかげで負傷者もゼロで済んだよ。ありがとな、ユーリにミリー」


 そう言ってユーベル様はボクたち二人の頭を豪快に撫でてくれた。


「さて、それじゃあユーリ。君には儀式の誓約どおり、王都へ来てもらう。親御さんにはもう説明済みだ。親御さんも、王都ならユーリも安心して暮らせるだろうと、快く返事をしてくれたよ」


「あの……父さんたちやミリーって……」


「やっぱ連れていきたいよね〜♪大丈夫、分かってるよ。今すぐとはいかないが、数月もしたら親御さんも王都の屋敷へ移住させられるし、ミリーも君の従者として連れていくことが出来る。なんたって、君はこの度の儀式を受けて、正式に勇者となったんだからな」


 従者ってところをミリーがどう思うんだろうか、とも思ったけど、ミリーは二つ返事で一緒に王都へ行くことを決めてくれた。


「よし、じゃあ各々お別れは済ませたようだし、出発しようか。っておいおい、ユーリはこっちだぞ?」


「へっ?確か王宮の馬車って男女別々じゃなかったですっけ?」


「なんだ、分かってるなら尚更……ってまさか……ユーリ、もしかして……」


 何か察したのか、ユーベル様の顔がみるみる青くなっていく。


「ほら〜やっぱり。ユーベル様、ユーリのことずっと男の子だと思ってたでしょ?」


「そうなんですか?」


「いや……えっと〜はい。待って待って、おれけっこうユーリにグイグイ接しちゃってた気がするんだけど、大丈夫だったか!?嫌な思いさせてないよな!?」


「ふふふ、必死ですねぇ〜」


 じとりとした目でミリーがユーベル様を追い詰めている。


 すっかり荷台の後ろで小さくなってしまったユーベル様を見て、少し揶揄いすぎてしまったのではないかと心配していると、執事服をピッチリと決めて綺麗に整えられた髭を蓄えた灰色の髪の男性が現れて、ユーベル様に喝をいれ始めた。


「シャキッとしてください!ともあろう者が情けない!!」


「えっ!?」


「今勇者アーベルって……ユーベル様が!?」


 ボクたちの反応を見て、執事さんが溜め息をついた。


「またちゃんと紹介をしなかったのですね……」


「仕方ねぇだろ〜?勇者アーベルって名乗るとみんな畏まってきてつまんねんだもんよ!」


「またそんな言葉遣いをして!!」


 そうして言い合いをしつつも、見事に首根っこを掴まれたユーベル様、もといアーベル様は執事さんによって馬車の客室に放り込まれた。


 まさかこんなところで会えるなんて……アーベル様こそ、ボクを幼少期に救ってくれた勇者様だ。


 ちょっとあの時のイメージとは違っていたけれど、正直今の砕けた方のアーベル様の方が好きかもしれない。


「あ〜、今アーベル様のこと考えてたでしょ。ダメだよ、ユーリはミリーのなんだから!」


「あれ、そうだったの?」


「そうだよぉ!」


 こちらはこちらでまた何か大変なものを抱えてしまったような気もするけど、気を取り直してミリーと共に馬車に乗り込み、王都へと走り出した。


 それからボクはこの二人と、時には隠された魔導書を探したり、気ままに人助けをしたりして旅をして、ボクの意思もまた、この剣に刻まれていくことになった。


 その旅の最中、壁にぶち当たることも多かったけど、いつだって背中を押してくれたのは、あの不安で押しつぶされそうになった時の、ボク自身だった。


 色んなところを旅して、色んな人と出会って、そんな今の自分だからこそ、あの時の自分に言ってあげられる言葉があるとすれば……。


「大丈夫、ちゃんと誰かは見ていてくれてるし、ボク自身はずっとボクのことを見てくれているよ。自分のことを、もう少しだけでいいから信じてみて」


 なんてね。


「ユーリ!今日街の酒場でアーベル様が街一番の酒豪と対決するんだって!!見に行く!?」


「なんでノリノリなのさ、あの人酔うとめんどいんだから、今からでも止めに行くよ」


 さて、今日もまた楽しいことが起きそうだな♪



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その背中を押したのは 夏葉緋翠 @Kayohisui

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