酩酊内見
柚木呂高
酩酊内見
「玉山の傾頽するを覚えず」
「さて僕はそろそろ内見に出かけるけれど、花布さんはその様子だともう今日は家で横になっているほうが良いだろうね」
「内見? 引っ越しなんかするの?」
すると正文はニヤリと笑って「趣味でね、いろいろ賃貸を見て回るのさ」と言った。
「内見だけして引っ越しはしないの? とんだ冷やかしだね」
「感じが悪い趣味だろ」
「ついていく」
「え、そんな状態で? 酒にも車にも酔ってたらたまったものじゃあないぞ」
「暇だもん、ついていく」
半ば強引に松下についていくことにした芙蓉は、水をグイとひと飲みしてして多少はシャッキリしたものの足取りは重く撚れていてそれなりに酩酊感を醸し出している。松下はやれやれと言った雰囲気だが、どうにも浮かれていて、随分楽しみにしている様子。その姿を見て芙蓉はなんとなく内見もやってみれば面白いのだろうと期待を淡く膨らませるのだった。
夏の日が照り、影はますます黒く、視界はますます白く、コントラストがパッキリと別れていて目に痛いくらいだった。室内から出た外の空気は熱く湿っていて目眩がするようだったから、エアコンの効いた不動産屋の車の中は一転して極楽のよう。
「それでは先日松下さまのご希望された部屋を順番に回っていきますね」
不動産屋の担当はそう言うとスムーズに車を滑らせた。セミが喧しく鳴くと、街がするすると車窓を流れていく。
「一軒目はこちらです」
少し古さの目立つ外見のマンションだが、部屋の中に入るととてもきれいで使用感が全く無く、内装も少しモダンになっていた。
「へえ、いい部屋じゃない」
「ははぁ、明るい雰囲気だが窓は西側か、西日が眩しそうだ」
「最近の遮光カーテンは優秀ですからきっと気になりませんよ、家賃もお安くなっています」
「まあ、値段のことは今は気にしなくていいや、とりあえず全部見て回ろう」
「では次のところで」
次のマンションはまた随分古臭くて、オートロックもないような場所であった。芙蓉だったらこんなところ無用心で住みもしないだろうな、などと思っていると、部屋はまた随分新しい。リフォームされてから人もなかなか入っていないのが伺われる。
「へえ、随分きれいだ」
「家主がリフォームしたのかな、キッチンがまさかのアイランドキッチンだよ」
「こちらもおすすめの物件です」
「いいねいいね、じゃあ次行こう」
その次は少し高い建物に囲まれて日陰になりがちなマンションだった。築数年程度の新しい建物だったが、室内もやはり新しく、風呂なんぞは高そうな雰囲気が出ていて、一日の疲れを洗い流すには良さそうだ。
「日当たりはアレだけれど、お風呂と部屋の広さがいいね」
「いい雰囲気だよな。大きな通りもないし夜も静かそうだ」
「松下さまはお目が高いですよね、秘蔵の物件を探し当てるのが上手いです」
「次、行こう」
車内で芙蓉が重い頭を揺らしてため息をついた。
「今日回ってるの、全部事故物件でしょ」
不動産屋の担当はハンドルを強く握ってブフッと勢い息を吐き、正文は窓の外を眺めながらニヤニヤと笑っている。
「カンが良いね、何でわかったの?」
「なんとなく、でもどの部屋も新しすぎたから、ちょっと不自然だな~って」
「へえ、ちなみに告知事項がない物件も回ってるよ、ね、不動産屋さん」
正文は少し身を乗り出して運転席に声をかける。
「いや、私からは詳しくは申し上げられませんが」
「まあ良いんだ別に、とりあえず内見だけだから」
「松下、趣味悪いよ」
芙蓉は酩酊した頭を転がしながら正文を睨め上げる。彼はそれをまともに受けて少し困ったふうに笑って言った。
「人が死ぬときどんな意味があるか、どんな風景があるのか、知りたいって思わない? 事故物件の内見は想像力が掻き立てられる」
「あんたの趣味、裁判の傍聴、名曲喫茶巡り、そして事故物件の内見? とんだアングラサブカル趣味だねー」
「どれも裏にドラマを感じさせるだろう?」
芙蓉は浅く腰掛けていた姿勢を正して伸びをすると「ハイハイ」と言った。
「ちょっと怖くなってきた?」
「今更って感じ」
「私は内見のご案内が終わったらお祓いに行きますよ……」と不動産屋は独りごちた。
その後も数件回り最後の一軒に着く頃には日も落ちかけていた。正文はご満悦と言った風情で、車から降りていった。
「今日は楽しかったよ。花布さんも昼間から酒かっくらってないで趣味の一つでも持ちなよ」
「余計なお世話」
不動産屋も車から降りて案内をしようとしたが正文が見当たらないので疑問符が貼っ付いた顔で芙蓉に「どうします?」などと問う。
「もう家に着いたから帰ったよ。今日命日なのよ」
「はい?」
「夏は暑くなりすぎると故人が家に涼みに来ることもあるみたい。この部屋は見ないよ、友人がどんな風景を見て死んだのかとか想像したくないもの」
酩酊内見 柚木呂高 @yuzukiroko
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