すぐに引っ越したい

冷狸

すぐに引っ越したい

 スマホで部屋探しができるのは本当に便利だ。

 不動産業者のサイトで条件を指定すると、すぐに多くの物件がリストアップされる。

 気に入った物件が見つかれば、内覧希望フォームから必要情報と希望日時を送信し、返信を待つだけ。

 24時間以内に連絡が来ると書いてあったが1時間もしないで返信がきた。



 さっそく、明日見ることができるという。

 当日はご案内する者が部屋でお待ちしてますのでそのままお越しくださいとのことだ。

 引っ越しを考えてからわずか1時間で内覧が決まった。

 話が早いのはいいが、早すぎてすこし心配になる。

 実際に見て、気に入らなかったら断ればいいだけのことだけど。



 翌日、予定時間通りにマンションについた。

 築20年のわりには建物は新築のような外観を保っていた。

 エントランスもきれいに掃除されていて平日は管理人が常駐しているようだ。セキュリティも万全でいい。



 エレベーターで6階まであがる。

 603号室のインターホンを鳴らすと「どうぞ」と返事がした。

 ドアを開けて、俺は動きが止まった。

 三和土には靴や傘がある。

 空き部屋ではない。すでに人が住んでいる部屋だ。

 即入居可と書いてあったから空き部屋かと思っていた。

 知らない人の部屋に入ることに躊躇したがここで急に帰るのも不躾なので、とりあえず上がることにした。



 おじゃましますとスリッパを履いて居間のドアを開けた。

 テレビの前の座椅子に若い男が座っていた。

「待ってたわ」と片手を上げたのは――俺だ。


 俺がいる。どういうことだ。


「まあ、座ってよ」

 理解が追いつかず呆けている俺に、もう一人の俺(俺B)がニヤニヤ笑いながら座布団をすすめた。

「これは俺とおまえの世界の引っ越し。トレードって言えばわかるか」

「トレード」

「ほら、シュタゲとかであったろ多元宇宙。パラレルワールドっていうやつ。たくさんの俺がいる中で、こっちで引越したいと思っていた俺とあっちのおまえがマッチングしたのよ」

「パラレル、ワールド」

「そう、パラレルワールド。驚くよな。俺もはじめてのとき、意味わかんなくて頭おかしくなったかと思ったもの」

「はじめてのときって。何回もトレードしているのか」

「これで3回目かな。前に交換した俺は8回目だとか言ってた」

 よその世界の俺はずいぶんと落ち着かないやつらしい。

「じゃ、俺はこれからこっちの世界で生きていくということ?」

「そうだよ。俺はおまえの世界で生きていく」

「ちょっと待って。そんなこと急に言われてもいろいろやり残していることが」

「それは俺がやるから心配いらない。半日もすれば世界になじんで、どうやって暮らして、なにをすればいいかも自然にわかるようになる」

 そうなのか。俺が言うのならそうなのかもしれない。

「まあ、そんな心配そうな顔するなよ。大丈夫。」

 俺Bは俺が着そうなデザインのパーカーを着て、あとは頼むと肩をぽんと叩き、俺の靴を履いて出て行った。



 ひとりになり、あらためて部屋を見ると、部屋も家具も違うが自分の好みというか自分が選びそうなものばかりだ。マンガもゲームも家にあるのとほぼ同じだ。

 どうやら生活レベルはほぼ同じらしい。

 仕事や友達もあっちと同じかはわからないけれど、こっちの世界の俺もこれといったことのない毎日を過ごしているようだ。

 せっかくなら刺激のある世界がよかったのだけれど。

 何回も引っ越しをしているという俺は自分の望む世界に行けたのだろうか。

 俺もこの世界からまた引っ越したいと願うんだろうか。




 スマホに担当者からLINEが来た。

「新しい自分をエンジョイしてくださいね! 応援しています!」とのメッセージとありがとうございましたと女性が頭を下げているイラストのスタンプが送られてきた。




 とりあえずはお茶でも飲むか。

 2ドアの冷蔵庫を開けた。見慣れたペットボトルのお茶とエナジードリンク、調味料が入っていた。

 ついでに冷凍庫も開けてみた。



 ラップに包んだ人の指が3本入っていた。



 こっちの俺はなにをしていたんだ。

 これは俺がやったことになるのか。

 あいつはこっちの世界でなにをすればいいのか自然にわかるようになると言っていた。

 これからなにをすることになるのか。

 そう考えると、違う世界へ引っ越したくなり、震える手で担当者にLINEで「すぐに引っ越したい」と送信した。



 いつまでたっても既読がつかない。


                                    了






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すぐに引っ越したい 冷狸 @takaya

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