エピローグ 天国への案内人

 オリヴィエを送って三日が経った。

 キョウジはメイヤー夫人に頼まれた仕立物を取りにピカデリーの洋装店に向かっていた。戻ってきたセラがさりげなく案内してくれている。

「セラ、いつもありがとう」

 雑踏を歩きながら小声で話しかける。

「今回は――いや、今回だけじゃないけど、ホント助かったよ」

 天使が《残され人》の魂を天国へ連れていく送天は大量のエネルギーを使うため、回復までには一定の時間を必要とする。送天を行った次の日はコンタクトを取ることすらできなくなってしまう。

 そのうえ、今回はキョウジが後手に回ってしまったばっかりに余計な面倒をかけてしまった。オリヴィエを殺されてしまったがために、その魂の消滅を防ぐ必要が生じてしまったのだ。

「オリヴィエさんががんばってくれたんです。私だけの力ではありません」

 とセラは言うがそれだけではない。

 セラはオリヴィエの魂を保護しつつ、国教会との折衝もしてくれている。キョウジがすんなりカンタベリーから戻って来られたのも、セラが事前に国教会と話をつけてくれていたおかげなのだ。

 今回ほど自分の力のなさを痛感したことはない。

 ジェイミーは裏路地の一件を悪かったと思ったのか、ルアンナの部屋では彼女の身代わりをしてくれた。意外に義理堅い男なのかもしれない。

 ルアンナとリックはホワイトチャペルに戻ったが、時間を見つけてはメイヤー夫人のもとに来ていろいろ教わっているようだ。ルアンナも一緒に教えてもらっているようだが、リックが先輩風を吹かせるので腹が立つと文句を言っていた。

 いろいろあったが何とか解決までたどり着けたのは関わった人たちみんなと少しの幸運だったと思う。


 キョウジは《残され人レムナント》の魂を天に送る度に思っていたことがある。

 《残され人》は誰かと強い絆で結ばれている。

 《天国の案内人ヘブンズ・テイカー》はその彼らの想いを、絆を断ち切る存在だ。キョウジの登場は愛する者たちとの別れを意味する。


 自分の行っていることは正しいことなのだろうか――。

 天国へ行くことより《残され人》になってでも想い続けているほうが幸せなのではないか――。

 魂が消えてしまう最後の瞬間まで傍にいたほうがいいのではないだろうか――。


 そう、セラに聞いたことがある。

 天からの使いはキョウジの言葉を受け、少し考えるように顎を引くと、

「何ごとにも終わりはあるものです。それはすべての物事に訪れます」

 と、静かな口調で世界のことわりを告げた。

《残され人》は人間ではない。いつかは〝死んでいる〟と知られる時が来る。

《残され人》と生者の時間は違うのだ。

《残され人》の時間は死んだ時で止まるが、生者の時間は進み続ける。時間が進めば心が離れることもあるだろう。未来を歩む生者の傍に居続けることは必ずしも良いこととは言えないのかもしれない。

 終わりは来るのだ。


 だとしたら――。

 やはり想いが通じているうちに天に昇る方がいいのだろうか。

 思考は出発地点へと立ち戻り、出口のない迷路へとはまり込んでいく。

 見かねたのだろう。セラがキョウジさま、と声を掛けた。

「私は天使なので《残され人》の魂を天国まで連れて行かなければなりません。でも、キョウジさまが悩まれていることもわかります。その方にとってどちらが正しいことになるのかは私にも判断できません。ただ――」

「ただ?」

「そうやって悩むことも限られた時間の中だからこそ価値があることなのではないか、と思っています」

 キョウジの迷いに答えようとするセラの真摯な気持ちと、愁いを帯びた瞳がいまもキョウジの脳裏に焼き付いている。


 限られた時間――か。

 十数年前に引退したボクサーは時間をずいぶん無駄にしたと言っていた。

 キョウジは己を顧みる。

 僕はいままで何をしてきたのだろう。

 些細なことで悩んでずいぶん多くの日々を無為にしてきたように思う。

 時間があっても、何もしなかったのであればそこに意味はない。


 いまは違う。

 やらなければならないことを思い出したからだ。

 そのためにこうして旅を続けている。

 限られているからこそ、終わりがあるからこそ、やるべきことも定まるのかもしれない。

 キョウジは両手に目を落とした。

 広げた両手には何の兆しも現れていない。

 望んで得たスキルではないが、様々な《残され人》に出会い、彼らの想いに触れてきたいまは、素直にその想いを叶えてあげたいと思っている。

 《天国への案内人ヘブンズ・テイカー》――。

 この旅路の果てにどんな結末が待っているのか。

 それはキョウジにもわからない。

 想いを遂げることができるのだろうか。

 それとも誰かに志を断ち切られて果てることになるのだろうか。

 どちらにしても、天国には昇れないだろう。

 もとよりそんな資格はないのだ。


 それでも――。

 キョウジは考える。

 最期を迎えるその時まで《天国への案内人》の務めを全うする。

 それが〝留まっている者〟であるキョウジの旅に意味を持たせることとなるだろう。


「……さま。キョウジさま」

 耳元に聞こえたセラの声でキョウジの意識は思考の海から浮上する。

「ああ、ごめん」

「どうかされました?」

「ちょっと考え事をね」

「考え事、ですか」

 セラの声に不安が混じる。ようやく回復して戻ってきてくれたのに、余計な心配をかけさせたくはない。

 キョウジは努めて明るい声を出す。

「今回の件も含めて何かお礼をしなくちゃと思ってるんだ」

 理由がわかって安心したのかセラの声にも明るさが戻る。

「どうぞ気になさらないでください。わたしはキョウジさまのお役に立てればそれで充分ですから」

「そうは言ってもなぁ……」

 それでなくてもいつも助けてもらいっぱなしなのだ。お礼はしたい。

 それには及びませんと固辞していたセラだが、あまり断るのも非礼に当たると思ったのか、わかりました、それではひとつお願いしてもいいですかと言ってきた。

「僕にできることなら何でもするよ」

「今度ハイド・パークでお散歩しましょう」

「そんなことでいいのかい?」

「はい」

 ずいぶんとささやかな願い事だが、それが希望と言うならそうしよう。

「わかった。天気のいいとき一緒に散歩しよう」

「ありがとうございます」

 聞こえてきたのは少し弾んだ声だった。

「よし。とりあえずいまはメイヤーさんに頼まれたお使いを済ませてしまわなくちゃね」

「はい」

 数歩も歩かないうちに、セラのキョウジさま、そちらでは……と言う声が聞こえる。

「あ、そうか。ありがとう、セラ」

 せめてハイド・パークまでの道は迷わないようにしておこう、と心に誓った昼下りなの

だった。


                        ――了――

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霧の都のヘブンズテイカー 〜残され人と天国への案内人〜 武城 統悟 @togo_takeshiro

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