ケンカの理由

 キョウジがオリヴィエ・ソレルを見つけ出したのは八日前のことだった。

「……そうですか」

「はい……残念ですが」

 オリヴィエは自身が死んでいると知ってもあまり驚いたような素振りは見せなかった。

 幼いころから身体が弱かったし、最近感覚が鈍くなっているので何かおかしいという自覚があったのだそうだ。

「……仕事も仕事だし、長生きはできないと思ってました」

 オリヴィエは淡々とした口調で言ったあとで、ただ――と付け加えた。

「ただ?」

「リックの――弟のことが心配で……」

 年の離れた弟のことが気にかかるようだ。

「最近学校にもあまり行ってないようだし、私がいなくなったら一人で生きていけるのか……」

 どうやら彼女の気がかりはこの弟のことらしい。

「僕に何かできることがあればお手伝いします」

「ありがとうございます」

 そのときはよろしくお願いします――と言うのが、キョウジが聞いたオリヴィエの最後の言葉になった。


 二日後、オリヴィエ・ソレルは殺害された。

 《残され人》はすでに死んでいる存在である。

 そんな存在の者がさらに死ぬというのもおかしな話だが、《残され人》は不死身というわけではない。致死の衝撃を受ければ身体は崩壊し、魂は消滅する。

 《残され人》は死ぬのである。

 キョウジたち《天国への案内人》は彼ら魂を救済するために奔走しているが、《残され人》を狩る者たちもいる。そういう者たちは《残され人》という存在自体を抹消する。

 オリヴィエについても、彼女の魂が身体から切り離されてしまったことにセラが気が付かなかったら、彼女の魂も霧散してしまっていたに違いない。

 いまオリヴィエの魂はセラが守っている。魂は不安定な存在だが、セラがついていれば当面の間は安心だ。もっともその間、キョウジはセラのサポートが受けられない。

 おかげでイーストエンドの町中をさまよい歩くことになってしまったのだが、結果的にはルアンナを見つけることができたのだから結果オーライというべきか。


 キョウジはルアンナとリックに、オリヴィエがすでに死んで魂だけの状態になっていること、《天国への案内人》はその魂を天国へ連れて行く手助けをしていること、魂は心配ごとがあるとなかなか天国へ行くことができないことなどを伝えたが、オリヴィエが《残され人》だったということは言わなかった。

 死んでしまったというだけでも大きなショックを受けている少年に、君のお姉さんは死人になった上にさらに殺されたなどという追い打ちをかける必要はない。

 話を始める前にあらかじめ紋章を見せていたこともあったのだろう。二人は思いのほか素直に話を聞いてくれた。

「……ネエちゃん」

 リックは鞄を抱え、呆然としたとした顔でソファに座っていた。

 キョウジはリックに話しかける。

「オリヴィエさんは最近君となかなか話ができなくて悩んでたみたいだ。あの日も――」

「……オレが悪いんだ」

 消え入りそうな声が聞こえた。

 しばらくの沈黙のあと、キョウジはやさしい声音こわねで訊いた。

「ケンカしたんだね」

 リックは首を垂れたまま、うんと言った。

「……あの日」

 リックがポツリポツリと話し出す。

「……学校のことで姉ちゃんとケンカしたんだ……オレ、頭にきて部屋を飛びだして……。次の日、帰ったらもうネエちゃんいなくなってた……オレが、オレがあのとき飛び出したりしなかったらネエちゃんが殺されることもなかったんだ。オレのせいだ。オレのせいでネエちゃんは死んじゃったんだ!」

 今まで堪えていた感情が堰を切ったように溢れ出たのだろう。リックは駄々をこねるように大声で泣いた。

「リック、自分を責めちゃいけない。オリヴィエさんが死んだのは君のせいじゃない」

「オレだよ! オレがケンカなんかしたからネエちゃんは……」

 それからしばらくリックは泣き続けた。

 キョウジはそんなリックをじっと見つめていたが、やがて、ねえリック一つ教えてほしいことがあるんだ、と訊いた。

「どうして学校に行くのをやめちゃったんだい」

 返事はなかったが、キョウジは続ける。

「お姉さんは君のことをすごく気にしてた。学校に行き始めたときは楽しいって言ってたのに、いまじゃすごく嫌ってると聞いた。勉強するのが嫌になったのかい」

「……」

「お姉さんはそのことが気になって天国に行けずにいるんだ。お姉さんのためにも教えてくれないかな」

 しばらく沈黙が流れたあと、リックがぽつりと言った。

「……バカにするから」

「バカにする? 誰が?」

「……サイモンたち」

「サイモンってのはクラスメイトかい?」

「うん……お前のネエちゃんは男好きだって言うからさ」

「何ですって!」

 怒りの声を上げたのはそれまでずっと黙っていたルアンナだ。

「子供でも言っていいことと悪いことがあるわ。そんなヤツぶっ飛ばしちゃえばいいのよ!」

「ルアンナさん」

 キョウジが制止するが、ルアンナは止まらない。

「冗談じゃないわ! あたしたちがどんな思いで客取ってるか知りもしないくせに」

「そうですが――」

 キョウジは話を切り替える。

「先生には相談したのかい?」

「相談したってムダだよ」

「どうして?」

 リックは視線を外す。

「……先生も言ってるから」

「待って! 何それ、先生もグルってこと?」

「君はそれをずっと我慢してたのかい?」

 キョウジの問いにリックは何も言わずにうつむいた。つまりはそれが答えと言うことだ。

「バカ、何で言わないのよ! オリヴィエに言いづらかったらあたしに言えばよかったじゃんか!」

「ルアンナに言ってもさ……」

「何よ、なんであたしには言えないのよ」

「ルアンナもネエちゃんと同じ仕事じゃん……」

 リックは諦めの混じった顔でそうつぶやいた。

「あんた……」

 ルアンナは一瞬ハッとしたような顔を見せたが、すぐにその顔が怒りの形相に変わった。

「行くよ!」

 困惑気味にリックが訊く。

「……どこに?」

「学校に決まってんでしょ!」

「行ってどうするんだよ」

「そのふざけた先生ってのに話つける!」

「いいって! 行ったってバカにされるだけだって」

「あたしはバカだからいいんだよ!」

「でもさ――」

 キョウジは二人の間に割って入った。

「あの、ルアンナさん――」

「あんたは関係ないでしょ」

 関係なくはない。オリヴィエの魂を天国に連れて行くのだからと伝えると、ルアンナは、で何なのよとぶっきらぼうな口調で返した。

「僕も一緒に行きます」

「あんたも?」

 ルアンナが意外そうに聞いた。

 彼女の気持ちはわかる。ただ、生徒と姉の友人が文句を言いに行ったところで、適当にあしらわれておしまいだ。男がいることで牽制にはなる。

 ルアンナはふんと鼻を鳴らすと

「誰が来ようとあたしは言いたいこと言わせてもらうから」

 と宣言するように言った。

「邪魔する気はありません」

「ならいいわ。行くわよリック!」

 当事者の少年は怒りに燃えあがるルアンナを横目で見ながらひどく深いため息をついた。

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