オリヴィエの部屋


「どこ行っちゃったのよ……」

 ルアンナは腰に手を当て大きなため息をついた。

 リックを追って飛び出してみたものの、親友の弟は人ごみの中に紛れてすぐに見失ってしまった。あたりを探してみたが見つからない。

「しょうがない」

 リックの行きそうな場所は知らなかったけれど、戻る場所はわかる。オリヴィエの部屋だ。

 途中、スコーンとクッキーを買いオリヴィエの部屋に向かう。

 アパートメントに着き、部屋のドアをノックしてみたが返事はなかった。ノブを回すと鍵がかかっている。どうやらまだ戻ってきていないらしい。

 ルアンナはドアの横の壁に背中を預け座り込む。

 オリヴィエが死んだ――?

 バカバカしい。そんなことあるはずがない。大体何なのよあの男。新聞記者だが何だか知らないけどふざけたこと言ってサ。

 キョウジって言ったっけ。知り合いだなんて言っていたけど、オリヴィエからあんな男の話は聞いたことがない。

 でも――。

 あのロケット――。

 あれは間違いなくオリヴィエのものだった。

 どうしてあいつがオリヴィエのロケットを持ってたんだろ――そんなことを考えていたところで入り口のドアが開く音が聞こえた。

「やっと帰ってきたわね。待ちくたびれたわよ」

 入ってきた少年が顔を上げた。

「……ルアンナ」

「何よその顔は」

 立ち上がったルアンナはスコーンとクッキーの入った紙袋を抱えて言った。

「お腹空いたでしょ、一緒に食べよ」

 

 リックはオリヴィエの行きそうな場所を探し回ったが、結局姉の姿は見つからず、当てもなくなり仕方なく引き揚げてきたのだそうだ。

 いまはソファに座ったルアンナの隣で背中を向け、膝を抱えている。

 ルアンナの持ってきたスコーンとクッキーはテーブルの上に置かれたままだ。

「……ルアンナ」

 小さな背中の向こうで声がする。

「なに?」

「ネエちゃん、死んじゃったのかな」

「バカ。ンなわけないでしょ」

「じゃあなんで帰ってこないのさ」

「……なんかワケがあるんだよ」

「どんなワケ?」

「それは……」

 あたしもわかんない――。

「なんだよそれ」

「しょうがないじゃない、あたしだって何にも聞いてないんだから!」

 つい、大きな声が出てしまった。

「……ごめん」

 と謝ると、背中越しにリックも小さくうんと頷いた。

 それからは二人とも無言だった。

 話したくなかったわけじゃない。話すことが怖かったからだ。

 もしオリヴィエと二度と会えなかったら……。考えただけでもぞっとする。

 リックはルアンナに背中を向けて動かない。

 しばらくするとスースーと寝息が聞こえてきた。疲れていたのだろう。飛び出してからオリヴィエを探しまわっていたのだろうから無理もない。いつもオリヴィエの文句ばっかり言ってるリックだけど、こいつはこいつなりに姉のことを心配してるのだ。

 コトリと足元で音がした。

 見ると床にオリヴィエのロケットが落ちていた。リックが握りしめていたものが寝てしまったことで落ちたのだろう。

 ルアンナはそっとロケットを拾い上げた。


「――よかったら一緒に来ない」

 と声を掛けられたのは、まだ通りで客を取っていた時だ。

 街娼は危険が多い。料金の交渉も自分でしなければならないし、金を取りっぱぐれる時もある。

 オリヴィエという金色の髪をした色白の少女に案内され、ネヴィルの娼館の扉を開けたのが三年前――。彼女が声を掛けてくれなかったらルアンナはいまでも通りに立って、身も心も擦り減らすような暮らしをしていたに違いない。

 ルアンナがいまこうして暮らしていられるのも、オリヴィエのおかげなのだ。

 オリヴィエとは同い年だったこともあり、すぐに仲良くなった。

 どうしてこんないい人が娼婦なんかしてるんだろうと聞いてみると、商売をしていた実家が負債を抱え、彼女を借金のかたに売ったのだということを話してくれた。ルアンナも貧窮院から逃げ出してきたクチだが、不幸というのはどこにでもあるらしい。

 娼婦は決して楽な仕事ではなかったが、それでもやってこられたのはオリヴィエがいたからだ。やさしいし、しっかり者だし、ルアンナのくだらない悩みも真面目に聞いてくれた。面倒見がいいのは、彼女が長女だったからだろう。

 オリヴィエはいつもリックのことを気に掛けていた。

 わたしはこんな道に入ったけど、リックには真っ当な道を歩いてほしいんだ――。

 だからリックを学校にも行かせたのだ。身体が丈夫な方ではなかったからけっこう無理してたと思う。

 オリヴィエはそんな人間なのだ。誰かから恨みを買うような子じゃない。

 あいつあの新聞記者は殺されたなんて言ってたけど、そんなことあるはずないんだ。

 オリヴィエ、どこ行っちゃったんだよ。

 早く帰ってきてよ……。


   *


 遠くで音がする。

 トントンという何かをたたく音。

 あれは――。

 ドアを叩く音と気が付いた瞬間、ハッと目が覚めた。

 窓から薄い日差しが差し込んでいる。どうやら昨日そのままソファで寝てしまったらしい。隣で身を縮こませるように寝ていたリックも目を擦りながら起き上がる。

 ドアに駆け寄り、扉を開ける。

「オリヴィエ!」

 立っていたのは昨日の新聞記者だった。

 ルアンナは失望のため息をつき、何だあんただったのと吐き捨てるように言った。

「しつこいわね。あんたの話なんて聞かないわよ」

「待ってください。リックと話したいんです」

 リックと――?

「ダメよ」

 と突っぱねたが、キョウジはオリヴィエさんから頼まれたことがあるんですと言って食い下がる。

「……何を頼まれたの」

 後ろでリックの声がした。

「リック、こいつの言うことなんか聞いちゃダメよ」

「これを――」

 キョウジは持っていた包みを差し出しながら言う。

「オリヴィエさんから君に渡してほしいと頼まれたんだ」

 包装紙にくるまれている箱をテーブルに置き、キョウジはリックに開封を促す。箱の中から出てきたのは真新しい鞄だった。

「この鞄はオリヴィエさんが君のために用意してくれた鞄だ」

「あんた、どうしてそれを……」

 ルアンナのつぶやきにキョウジは不思議そうな顔を向けた。

 学校に行きたがらない弟に悩んでいたオリヴィエに新しい鞄でも買ってあげればいいんじゃないと勧めたのはルアンナなのだ。

 あたしとオリヴィエしか知らないはずの話をどうしてこの男が知ってるの――。

 ルアンナの思考は、しかしリックの叫び声で吹き飛んだ。

「鞄なんていらない!」

 テーブルから払いのけられた鞄は壁にぶつかってドサリと床に落ちた。

「ちょっとリック! 何てことするの! この鞄は――」

 ルアンナが言葉を継ぐ前にキョウジが割り込んだ。

「リック」

 さっきまでのやさしげな声とは打って変わり、その声音には厳しさが込められている。

 キョウジはリックを見据えると、しっかりとした口調で話し始めた。

「オリヴィエさんは君が学校に行きたがらなくなったことをずいぶん気にしていた。君がどうして学校に行きたくないのか僕は知らない。何か大きな問題があるのかもしれないし、たいした理由はないのかもしれない。僕が聞いたところでどうしようもないことなのかもしれない。でも――」

 キョウジは床に落ちている鞄を拾い上げた。

「この鞄はただの鞄じゃない。君のお姉さんが君のことを想って用意してくれた大切なものだ。それをこんな風に扱うもんじゃない」

 そして鞄に着いた埃を丁寧に払うと、大事に使わなきゃダメだと言ってリックに渡した。

 リックはしばらく鞄を見つめていたが、やがて顔を上げるとキョウジに訊いた。

「ネエちゃん、死んじゃったの?」

 キョウジはリックの視線を正面から受け止めた。

 それから静かな口調で、残念だけどもう亡くなられてるんだ……と告げた。

 リックは口を真一文字に結んで堪えていたが、その目にみるみるあふれた涙を止めることはできなかった。

「あんた何者なの。ホントに新聞記者?」

 キョウジは、はいそうですと答えたあとで、ただ、もうひとつ仕事がありまして――と続けた。

「もうひとつ?」

 新聞記者ははいとうなずき、《天国への案内人ヘブンズ・テイカー》ですと続けた。

 聞いたことのない職業だった。

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