葬儀屋

「ルアンナさん!」

 態勢を立て直したキョウジも部屋の主を追って階段を駆け下りたのだが、そこでハッと足を止めた。

 ドア、開いたままじゃなかったか――。

 逡巡したが、次の瞬間、キョウジは悔しそうな顔をしながら階段を駆け上っていた。

 ルアンナを守るために来たのだから彼女を追うべきだ。わかりきったことなのだが――しかし、気がついてしまった以上、放っておくわけにもいかない。

 乱暴にドアを閉め、再び階段を降りる。

 通りに出たときには二人の姿は――当然だが――すでになかった。

 自分のうかつさにはあきれてしまうが、いまはとりあえず追うしかない。

 キョウジは自分の勘を信じて二人が行ったと思われる方向に向かって駆け出した。


   *


「……まいったな」

 キョウジは足を止めると大きなため息をついた。

 あちこち走り回ってみたもののリックもルアンナも見つからない。出だしで追いかける方向を間違えていたのだから見つかるはずがないのだが、本人はもちろん気が付いていない。

 走り疲れ、疲労と徒労を背負いながらとぼとぼ歩いているとどこかで誰かが呼んでる声がした。

「ちょっと兄ちゃん――兄ちゃん! 君だよ兄ちゃん!」

 それが自分のことを呼んでいるのだと気が付くにはいくらかの時間が必要だった。

 立ち止まって声のする方向に目を向けると、くたびれたバーの入口にあるウイスキー樽にもたれた男が手招きしているのが見えた。

「……僕、ですか?」

 君以外どこに兄ちゃんがいるんだよと言って男は持っていたビールを飲み干した。

 キョウジ以外にも若い男は歩いている。僕以外にもけっこういますよと言おうとしたのだが、男はそれを遮るようにああいいんだよそんなことはと言った。こちらの話はあまり聞く気がないらしい。 

 それから男は出し抜けに

「君さ、ヴァチカンの《天国への案内人ヘブンズ・テイカー》だろ?」

 と訊いた。

 癖の強く収まりの悪い髪の毛に、無精ひげ。表情が締まらないように見えるのは顔の各パーツが大作りなのと目元が垂れているからだろうか。なんにせよ初めて見る顔だ。

「あの、あなたは?」

「ダメダメダメ、まったくダメ。何言っちゃってるの君、いま聞いてるのオレでしょ?」

「ああ……えっと、そうですね」

「あのね、君に聞きたいことがあるんだよ。ちょっと付き合ってくれる?」

 男はそう言ってキョウジの返事を待たずバーの裏手に続く細い露地へと入っていった。

「……」

 キョウジは《天国への案内人》であることを隠してはいない。だからといって吹聴して歩いているわけでもないが――ただ、キョウジのいままでの経験上、《天国への案内人》であることを前提に話してくる人間というのはだいたい厄介なことになるので注意しなければならない。

 男についていくのか、それとも無視してルアンナたちを探しに行くべきかと考えているうちに当の男が戻ってきてしまった。

 男は明らかに不満げな顔をしている。

「あのさァ、君。オレの話聞いてたかい? こっちって言ったよね。後ろ振り向いたら誰もいないじゃん。ひとりで歩いてんだよ、オレ。バカみたいじゃん」

「すいません、ちょっと考え事をしてたもので……」

「こんなところで考えてても始まらないでしょ? 勝利の女神ってのはリスクを冒した者にだけ手を差しのべるんだよ。ハイリスク、ハイリターン。人生は短いの。行動あるのみ。ほら行くよ」

「はあ」

 ずいぶんと押しの強い男である。仕方なく後についていくことにしたのだが、男はこの辺りの道に詳しいようで狭く入り組んだ路地をするすると進んでいく。

「あの、どこまで行くんですか?」

 と訊いてみたが返事はない。曲がり角も多いので油断すると置き去りにされてしまいそうだ。だいぶ奥まったところまで進んできているし、キョウジの持ち合わせている方向感覚では間違いなく元いた通りへは戻れないだろう。

 路地を抜け、少し開けた場所に出たところで男はようやく足を止めた。

「まあ、この辺でいいでしょ」

「あの、あなたはいったい――」

 男は振り返って胸を張る。

「オレはジェイミー・ブラッド。知り合いはみんなJBって呼んでる。このあたりを仕切ってる《葬儀屋アンダー・テイカー》だ」

 アンダー・テイカー? 

 と言うと――。

葬儀屋そうぎや、ですか?」

「額面通りに取ればそうなる」

「すいませんがいまはまだ特に必要ありません」

「何の話?」

「お墓の話ですよね?」

「君さ、バカだろ? バカって言われない? 何でオレがこんなところまで来てわざわざ墓のセールスしなきゃなんないの? このシチュエーションだよ。どう考えても違うでしょ」

「はあ」

《葬儀屋》は何となくこぼれた返事に噛みついた。

「それ。その返事。わかってないよね」

「あの、すいません、セールスじゃなかったらいったい何を売るんですか」

「一回セールスから離れよう」

「はあ」

「またハアって。あ――」

 そこでジェイミーは何かに気が付いたように、ああそうかと声を上げた。それからなるほどなるほど、そういうことねと納得したようにうなずいた。

「君なかなかやるじゃない」

「何のことですか」

「バカなふりをしてこの場を乗り切ろうって魂胆なんだろうけどね、そうはいかない」

「……ちょっとよくわからないんですが」

 本当にわからないのだが、ジェイミーはOK、OK、じゃあ本題にいかせてもらうよと先を進める。

「聞きたいことってのは簡単なことでね。君らヴァチカンってのはいつもこんな荒っぽい仕事の仕方をするのかい?」

「どういうことですか」

「とぼけなくてもいいだろォ。ここ十日で二人バラしてるんだし」

「葬儀をしたいと言うことですか」

「ちがうよ! 君バカだろ! アンダー・テイカーを何だと思ってんだ? オレがそんなに葬式したがってるような男に見えるのか? いいか君、アンダー・テイカーってのはおおっぴらには言えないような仕事を引き受ける仕事なんだよ!」

 おおっぴらに言えないような職業であることを高らかに宣言したジェイミーはさらに、裏家業ってヤツなと、ダメ押しした。

「すいません。てっきり墓のセールスかと――」

「ンなわけないでしょ! その話はもういいんだよ! で、どうなのさ。君がやったんだろ?」

「《天国への案内人》は探している対象者を手に掛けたりはしません」

「まあそうね。余程のバカじゃなけりゃそう言うよねぇ」

 嘘じゃありませんと言ってみたものの、信じてくれる気配は微塵もない。

 ジェイミーはオレもねプロだからわかっちゃあいるけどさ、と訳知り顔でうなずくと

「やっぱりね、人ン家の庭先で勝手に仕事されるってのは気分のいいもんじゃないのよね」

 と続けた。

「あの、何か誤解されてるようですが、僕は《残され人》を見つけてその魂を天に送るということをしているだけなんです」

「つまり殺してる――ってことでしょ?」

「殺す必要はありません」

「じゃあどうして二人も殺されてんの」

 この人は二人殺されていることを知っている。

「どうしてそれを知ってるんですか」

「そりゃあ君、蛇の道は蛇ってね。それより聞いてるのはオレなんだけど」

「どうして殺されたのかはわかりません。僕はてっきりジェイミーさんのような人が国教会から頼まれて動いてると思ってました」

「国教会の仕事はしみったれてるからあんまり受けたくないんだけどさ、まあ依頼があれば仕事はするよ、オレもプロだから。でもさ今回は依頼されてないんだよ。にも拘わらずだ。気が付きゃどこかの誰かが人の庭でバンバン殺してるじゃない。ただでさえジャックのせいで荒れてるってのにこれ以上荒らされちゃあこっちにもいろいろと支障が出てくるわけよ。マジ困るんだわ。だからこうして頼まれもしないのにわざわざ調べてたってわけ。そもそもあんな連中国教会と一緒にされるっての自体正直迷惑なんだけどサ」

「そうなんですか」

「オレから見たらヴァチカンあいつら国教会も同じようなもんだけどな」

「まあ……そうかもしれませんが」

 ジェイミーの口振りからすると彼の仕業ではないようだ。

 と、すると――。

「とにかくだ」

 キョウジの思考を遮るようにジェイミーが言う。

「ここでこれ以上好き勝手にさせるわけにゃいかないのよ。そこで忠告。君、この件から手ェ引いてよ」

「すいませんが、そういうわけにはいきません」

だよねぇ、言うと思ってたよォと、なぜかジェイミーは嬉しそうに言った。

「なら――力ずくで引いてもらうしかないなァ」

 いつ取り出したのだろう。ジェイミーの右手に鋭利な短剣が握られている。

「ちょっと待ってください!」

「もう遅い」

 次の瞬間、一気に距離を詰めたジェイミーが右手の短剣を突き出した。

 胸元に伸びた短剣の切っ先をのけぞるようにかわし、後ろに飛び退いたのだが、すぐに追撃が来る。殺到する短剣をさばき、ギリギリのところでかわすのだが、《葬儀屋》は追撃の手をゆるめない。

 シッ――。

 目の前を剣先がかすめた。

 頬に血が滲む。

 一連の攻撃をかろうじてしのぎきったキョウジは両手を突き出しで叫んだ。 

「待ってください! 僕もこれ以上、犠牲を出したくないんです! あなたがこの件で動いていないのなら、協力してもらえませんか!」

「図々しいなあ」

 ジェイミーはゆっくりと距離を詰めている。

「このままじゃもう一人犠牲者が出ることになるんです!」

「ここで君を殺せば止められる。ま、君が最後の犠牲者になるけどね」

「いや、そうじゃなくて――」

「くどいよ」

「聞いてください!」

「君、なかなかすばやくていいねぇ」

 ジェイミーの身体がすっと沈んだ。

 獣が獲物を捕らえるときの準備動作だ。

 まずい。

 ――来る。

 と、その時――。

 ピィィィィ――。

 あたりの闇を切り裂くような笛の音が響いた。

「おいおいおいマジかよォ」

 ジェイミーは攻撃態勢を解くと、普通ここで邪魔するかァと不満げにつぶやきあきれたように肩をすくめた。それから

「ちょっと邪魔が入っちまったけど、いいか、手ェ引けよ」

 引かなかったら次は殺す、と言い残し、くるりと踵を返すと闇に消えた。


 助かった――。

 キョウジは大きく息を吐き出した。いつの間にか息を止めていたらしい。

 ギリギリでかわしたものの、あのまま続いていたらどうなっていたかわからない。

 警笛の音が大きくなっている。

 とりあえずここを離れなくては――。

 キョウジは集まってきた人並みに紛れそそくさと現場から離脱する。こんなところで警察の厄介になるわけにはいかない。

《葬儀屋》か――。

「厄介な人が出てきたなぁ……」


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