ルアンナとキョウジ

 ルアンナは肩を落として家路に着いていた。

 今日は一日、店を休んでオリヴィエの立ち寄りそうな場所を探してみたけど、結局どこに行っても彼女の姿は見つけられなかった。

 心当たりはみんな当たってしまったし、もう探すところがない。

 リックはオリヴィエとケンカしたって言ってたけど、そんなことで弟を放り出してどこかに行ってしまう人間じゃないし、そもそも飛び出したのはリックの方だ。

 いったいどこに行っちゃったんだろ……。

「あのぉ――」

 と声をかけられたのはそんな時だった。


   * * *


 キョウジがその女性に声をかけたのはオゼール・ストリート――もちろんキョウジは通りの名前など知らないが――をひとつ入った路地だった。

 写真に写っていた仕事の時の顔と違い、ナチュラルな化粧だったので少々心もとなかったが、振り向いたのは果たして写真と同じ女性だった。

「ルアンナ・アーテスさんですか」

「ええ……そうだけど」

「よかった! やっと見つけた」

 つい声が出てしまった。

 今回は何かと後手に回ることが多かったが、無事に見つけ出せたのは幸運だった。安堵の表情を浮かべたキョウジとは対照的に、ルアンナは訝しげな目を向ける。

「……あの、何ですか」

「ああ、すいません」

 キョウジ・ロクセットですと名乗り、名刺を渡す。

「……新聞、記者?」

「はい。少しお伺いしたいことがあるんですがお時間ありますか」

 と言うと、ルアンナはああと頷き、いくら出すのと訊き返してきた。

「え?」

「あたしを抱きたいんでしょ」

「あ、いや、そういうことではないんです」

「じゃあ何、どういうこと? わかんない」

 誘いを断ったことで機嫌を損ねてしまったようだが、しかし、気に入られようが気に入られまいがここで引くわけにはいかない。

 キョウジはルアンナの瞳を見据えて言った。

「僕はあなたを守りに来たんです」

「え?」

 ルアンナは少し驚いたようにキョウジを見つめ返した。

「あの、どこか落ち着いて話せる場所はないですか」

「えっと……」

 ルアンナは視線を落とし、少しの間逡巡していたが、やがて小さな声でついてきてと言った。


 どうぞと言われて案内されたのは彼女の部屋だった。

 小さな部屋だが、一人で住むには十分な広さだ。装飾品などはないが、テーブルの上の花瓶には花が一輪挿してある。

 ついてきたのはいいけれど、さてどこから話したものか――。

 ただでさえ信じられない話なのに今回は輪をかけて信じがたい状況になっている。

 キョウジが考えあぐねている間、ルアンナは落ち着かない素振りで同伴者に目を向けていた。

「あ、あの……」

 呼ばれて顔をあげるとルアンナと目が合った。

「あたしを守りに来たって……それってあたしと付き合いたいってこと?」

「え?」

 まったく予想していなかった問いにキョウジもうろたえる。

「あ、えっと、すいません、付き合いたいって言うのとは少し違うんですけど――」

「はぁ?」

 途端にルアンナの表情が険しくなる。しまったと思ったがもう遅い。

「じゃあ何、あたしを騙したの!?」

「騙したわけじゃないですが……」

「付き合う気もないのに部屋までついてきたの?」

 付き合うという話はどこにも出てなかったと思うけど――と思ってしまうところが、機微の読めないキョウジである。

「出てって!」

 胸を突き飛ばされたキョウジはわかりましたと、降参するように両手を上げた。

「出ていきます。出ていきますが教えてほしいことがあります」

「何よ」

「最近誰かに見られてたり、身の回りでおかしなことがありませんでしたか?」

「あったわよ! いま嘘つきが部屋に来てる!」

 質問の仕方が悪かった。

「いや、あの、僕以外で何かありませんでしたか?」

「ないわよ!」

 ドアまで押し返されながらも写真を取り出す。

「この人たちに見覚えはありませんか?」

「知らないわよ! あっ――」

「えっ?」

 ルアンナは取り出した写真をひったくるとそのうちの一枚を凝視した。

「オリヴィエだ。あんた何でオリヴィエの写真なんか持ってるのよ!」

「オリヴィエさんを知ってるんですか?」

「友達よ」

 年や雰囲気も似ていたから知り合いじゃないかと思っていたのだが。

「……そうですか」

「オリヴィエがどうかしたの? あの子いなくなっちゃったの。何か知ってるなら教えてよ」

 真剣な表情で詰め寄るルアンナにキョウジは悲しそうな目を向けた。


   *


「嘘よ! オリヴィエが死ぬはずない!」

 怒鳴りつけるような言葉に、目の前の新聞記者は少し目を伏せると、残念ですが本当ですと告げた。

 ルアンナはキョウジを睨みつける。

「ふざけたこと言わないで!」

「間違いであればよかったのですが……」

「何なのあんた? なんでそんなひどいこと言うの?」

「すいません」

「すいませんじゃないわよ!」

 キョウジの話は到底信じることのできないふざけた話だった。

 オリヴィエは先週の土曜日に殺されて、殺した犯人はあたしのことも狙ってる――。

 この新聞記者はその犯人からあたしを守るためにずっとあたしのこと探していたらしい。

「そんな話信じられると思う?」

 キョウジは少し困ったような顔で、ですよねと言った。

「わかったら出てって!」

「はい。あ――」

 追い立てられるようにドアを出る寸前、キョウジは思い出したような声を出し、ポケットから何かを取り出した。

「……これを」

 渡されたのは小さなロケットだった。

 銀色の小さなロケット――。

「これって――」

 知らないはずがない。

「……どうしてこれを……」

 胸の奥の方でざわざわと湧き上がった不安の波がルアンナを侵食する。

「……どうしてオリヴィエのロケットをあんたが持ってるのよ!」

「オリヴィエさんから預かりました。弟に渡してほしいと」

「リックに……」

 キョウジははいと頷いた。

 チャームを開くとオリヴィエとリックの写った写真が入っていた。

 間違いない。オリヴィエがいつも掛けていたロケットだ。親と死に別れ、姉弟二人だけのオリヴィエにとってこのロケットは家族の絆を示すかけがえのないものだ。

 それをこんな見ず知らずの人間に渡すわけがない。

 まさか――。

「まさか、あんたがオリヴィエを殺したの!?」

「違います」

「殺したのね!」

「殺してません」

 不意に――。

「ネエちゃん、殺されたの?」

 と、キョウジの後ろで声がした。

「リック……!」

 表情をどこかに落としてきてしまったような顔のリックが立っていた。

 君が……とつぶやいたキョウジの横をすり抜け、リックは部屋に入ってきた。

「……あんた、どうして」

 ルアンナの声も届いていないのか、その目は一点を凝視している。

「ネエちゃんのだ!」

 リックは飛びつくようにロケットを奪い取ると、ネエちゃんはと訊いた。

 ルアンナは言葉に詰まる。

 なんと答えればいいのだろう……。

 部屋の中に漂うぎこちない沈黙を破ったのはキョウジだった。

「リック、君のお姉さんはもう――」

「やめて!」

 ルアンナの悲鳴のような声がキョウジの言葉を遮った。

「そんなホントかどうかわかんないこと言ってどうすんのよ」

 キョウジが何か言おうと口を開いたがルアンナはしゃべらせない。

「リック、こんなやつの言うことなんか聞く必要ないからね」

「ちょっと待ってください。僕は本当のことを――」

「あなたは黙ってて!」

「もういい!」

 叫んだのはリックだった。

 幼い弟は姉のロケットを握りしめたまま部屋を飛び出した。

「あっ! ちょっとリック!」

 ルアンナはドアの前を塞ぐように立ってきたキョウジを突き飛ばし、リックを追って階段を駆け下りた。


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