好敵手

   * * *


「だから試合をさせたかったんですね。バーディさんとエディさんの関係を取り戻してあげるために」

 依頼をこなしてきたキョウジの問いにビリーはまさか、と笑った。

「あの野郎には若い時ずいぶんとぶん殴られた借りがある。その借りを誰かに返してもらおうと思っただけだ」

「じゃあ、俺の借りはどこで返せばいいんだ」

 突然割って入った声にビリーは驚きの声を上げた。

「バーディ! お前、何でここにいるんだ! キョウジ、お前が連れてきたのか」

「いえ」

 黒髪の男は表情を変えずに首を振る。

「じゃあ何でこいつがいるんだ!」

「俺が勝手についてきた」

 その昔、《鉄の男》と呼ばれた男は表情の乏しい顔で白々しいこと言った。

 どう考えったって示し合わせて来たに決まっている。連れてくるなとは言った覚えはないが、しかし、連れてこいとも言ってない。

 ビリーは、まったくどいつもこいつもムカつくよと毒づいてから、で――何しに来たとかつての好敵手ライバルに訊いた。

 バーディは持ってきたバックを開けると、中から見覚えのあるグローブを取り出した。

 そいつは――。

 ボクシングを辞めるときにこいつバーディに渡したグローブだ。

 《鉄の男》はビリーに向かってグローブを突き出すと、続きをしに来たと言った。

「バッカ野郎。いい年して何言ってんだ」

「ふん。お前に言えた義理か。焚きつけたのはそっちだぞ」

 グローブはきれいに磨かれていた。ずいぶん大事にしてもらっていたようだ。

 いつかまた勝負する日が来る――。

 こいつなら本当にそう思っていたのかもしれない。こうと決めたら絶対に曲げない《鉄の男》。

 ビリーは呆れたように言った。

「変わらんな」

「変わらないのはお前だ。あの頃のままじゃないか」

 見た目はそう見えるかもしれないが――。

「……あの頃のままじゃあない」

「……ダメなのか」

「ああ」

 バーディは持ってきたグローブに目を落とすと、そこで初めて少し寂しそうな表情を浮かべ、せっかく持ってきたんだがなと呟いた。

「すまんな」

「仕方ない。続きは向こう空の上でやろう」

 勝負を諦めたバーディはさばさばとした口調で言った。

「ああ、待ってるよ」

「だが、少し先になるぞ」

 バーディはひと睨みしてから、お前が余計なことをしたせいだと続けた。

「余計なこと? 何のことだ」

「エディを寄越したろ」

 ビリーは何だそのことかと言わんばかりに肩をすくめる。

「今までほったらかしにしてたんだろ? たまには親らしいことをしろってことだ」

「それが余計だと言ってる」

「何言ってる。先に余計なことをしたのはお前の方だろうが」

「何?」

「ブラウニー相手に殴られっぱなしの試合を続けただろ」

「ああ、あれか」

 バーディは気のない返事をした後で、あんな軟弱なパンチなんて避けるまでもなかっただけだ、と嘯いた。

「バカ野郎。だから息子が曲がっちまったんじゃねえか」

「仕方ないだろ。あんなバカ息子よりももっと大事なことがあったんだ」

 《鉄の男》はビリーから視線を外して続ける。

「昔――キツイのをくれる奴がいたんだよ。ドスンと喰らったら目の奥がチカチカするようないいヤツをバカスカ打ち込んでくる奴がよ。そいつはバカだからブラウニーっていけ好かない野郎をボコボコにしていなくなっちまったがな」

「今日はずいぶん口が回るじゃねえか」

「俺は無口なわけじゃない。必要がない時は話さないだけだ」

「それを無口って言うんだよ」

 どちらからともなく笑いが漏れた。

「フフフフフ」

「ハハハハハ」

 ひとしきり笑い合った後で、さてと――とビリーは表情を引き締める。

「そろそろ行くよ」

「そうか」

 ビリーはキョウジに目配せした。

 《天国への案内人ヘブンズ・テイカー》であるキョウジはポケットから懐中時計を取り出した。

「セラ」

 キョウジの声に反応するように、懐中時計を中心としたまばゆい光があたりを包み込んだ。目の眩むような光はやがてひとつに集まると人の形を作り始め、光は金色の髪をした美しい女性へと姿を変えた。背中には光り輝く羽がたたまれている。

 その女性はほのかに光を発しながら

「セラと申します」

 と名乗ると、よろしくお願いいたしますと言って丁寧にお辞儀をした。

 これが――キョウジの言っていた天使か。

 話には聞いていたが、実際目の当たりにすると信仰心が不足気味のビリーでさえ畏敬の念を禁じ得ない。

「天使ってのはホントにいるんだな」

「はい。なかなかお目にかかる機会がないので申し訳ないのですが」

 恐縮するセラの代わりにキョウジが話を引き取った。

「彼女があなたを天国まで案内します」

「俺は……天国に行けるのか」

 キョウジの言う天国がどんなところなのかは知らないが、ビリーは元ボクサーだ。人を殴ることが商売だったのである。そんな人間でも天国という場所に行くことができるのだろうか。

「そんな心配は無用ですよ。ビリーさんは天国へ行けます」

 天使はそう言って微笑んだ。

「だったら……向こうでエイミーとも――妻とも会えるかな」

「ええ、きっと会えるでしょう」

 そうか。

「なあ、バーディ」

 ビリーは旧友に視線を移す。

 何だと答えるバーディに、悪いがグローブは預かっといてくれないかと言った。

「持って行かないのか」

「お前が来るまではエイミーとのんびり過ごしたい」

「別に構わないが、それを負けたときに言い訳にするなよ」

「あのな、お前との対戦成績は七勝六敗で俺が勝ち越してることを忘れるなよ」

 ビリーは七勝六敗の部分を強調したが、バーディはふんと鼻を鳴らすとお前のは半分以上判定だろ。K.Oは俺の方が多いとやり返す。

「なにをォ? 勝ち越してるのは俺の方だぞ」

「強さは俺の方が上だ」

 あの――というキョウジの声も届かない。

「強いのは俺だ」

「いや俺だ」

 互いに譲ろうとしない元ボクサーたちの不毛な争いを止めたのは神の使いだった。

「申し訳ありませんビリー様。そろそろ行かなければなりませんので……」

「ああ、そうか」

 本来の目的をすっかり忘れていた。

 セラにすまないと謝ったビリーは

「……まあ、そういうわけだ」

 と言ってバーディに向かって拳を突き出した。

「達者でな」

 バーディはああ、と頷くと、お前もなと言って突き出された拳に自分の拳をぶつけた。

 最後の見送りがこいつになるとは思っていなかったが、まあ悪くない。

 ビリーはバーディを連れてきてくれたキョウジに礼を言う。

「キョウジ、あんたにも世話になった。ありがとう」

「お役に立てて良かったです」

 それをきっかけに天使の羽がゆっくりと広げられる。

「それでは参りましょう」

「ああ」

 あたりが光に包まれていく。

 古い友人の不愛想な顔も光の中に溶けていく。

 すべてが真っ白になる前にキョウジの声が聞こえた。

「よい旅を」

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