オヤジが嫌いな理由

「何なんだよ、あの爺さん」

 エディはぼやきながら残っていた酒を煽った。

 ――何か覚悟が足りねえだ。人のことをろくに知りもしねえくせに知った風なことばっかり言いやがってよ。

 いや――。

 知らないわけではないのだ。

 むしろよく知っている。

 アウトボクシングの置かれている状況についても正しい認識を持っていたし、エディのボクシングについても――悔しいが当たっている。

 長年ボクシングを観てきたベテラン記者の眼力は侮れないということか。

 それでも――気に入らねえ。

「あの、聞いてもいいですか」

 とキョウジが声をかけてきたのは、煽った酒が喉を通り過ぎた後だった。

「何だよ」

「お父さんのこと嫌いですか」

「……なんでそんなこと聞くんだよ」

「この前会った時にバーディさんのことを聞いたら知らないと言ってたし、それにコリンズではなくクロスビーの姓を名乗ってますよね。普通はお父さんと同じコリンズを名乗ると思うんです。それを名乗っていないということはお父さんのことを嫌いなのかな、と」

 エディは意外そうな顔を浮かべた。

 この男、ボクシングのことはまったく素人のくせに、意外なところで鋭かったりする。

 もっとも、オヤジが嫌いなのは本当のことだからエディはそうだね嫌いだねと頷いた。

「あんなボクサーにはなりたくない」

「どうしてですか。クラフトマンさんは勇敢だと言ってましたが」

「勇敢なもんか。あんな殴られっぱなしのボクシング――。俺は、オヤジのようなボクサーにだけはなりたくないね」

「だからアウトボクシングにこだわってるんですか」

 それもある。

 キョウジの質問は終わらない。

「そもそもどうしてボクサーになろうと思ったんですか。エディさんの話を聞いているとお父さんのことをすごく嫌っているように聞こえるんですよ。なのにあなたはそのお父さんと同じボクサーの道を選んでます。どうしてですか」

「どうしてって……」

 エディは少し考えてから、別にあんたには関係ないだろと答えた。

「そう言われるとそうなんですが……僕はてっきりお父さんに憧れてボクサーになったのかと思ってたんですけどね」

「あんな情けないオヤジに憧れるかよ」


 子供の頃に見た父のボクシング――。

 ガードを堅め、ただ相手のパンチを食らい続けていたあれをボクシングと言えるのか?

 ――お前の父さん、すげえ弱いな。

 ――お前のオヤジ、サンドバックじゃん。

 ――カッコ悪い。

 まわりの友達からもずいぶん冷やかされた。

 父親がボクサーであることを自慢していた時期もあったと思う。

 しかし、戦う男は強いから憧れるし、誇りにもなる。

 弱いボクサーはバカにされるしかない。

 エディもいつの頃からか、父がボクサーであることを隠すようになっていた。父親についての話が始まると――それが職業以外の父親の話だったとしても――避けるようになっていた。

 当然試合の結果なんか知りたくなかったし、興味もなくなっていた。

 父が――嫌いだった。


「バーディさんは情けないボクサーなんかじゃないですよ」

 キョウジの――強い意志のこもった焦げ茶色の瞳がエディに向けられていた。

「僕もクラフトマンさんと同じでバーディさんは勇敢なボクサーだったと思います」

「知りもしないで何言ってんだよ。まあ、サンドバックになりたい奴なら憧れるかもしれないけどな」

「中には守りに徹する試合があったのかもしれませんが、バーディさんは元々積極的に打ち合うタイプのボクサーだったそうですね。スタンド・アンド・ファイトって言うんでしたっけ?」

「オヤジがスタンド・アンド・ファイト?」

 真っ向勝負で殴り合っていたって言うのか。

 初めて聞く話だ。

「若い頃は鉄のように硬い拳と、絶対に折れない信念を持っていることからアイアン・バーディと呼ばれていたそうです」

 そんな話は聞いたことがない。

「本人が言ってただけなんじゃないのか」

「いえ、記録が残っているので間違いないです」

「本人がそう言ってたって記録だろ」

 エディは茶化すように言ったのだが、キョウジはそれには乗らず、真剣な表情のままで言った。

「エディさん、お父さんのことを好きになる必要はないと思いますが、お父さんのボクシングを知っておくことは必要なことだと思います」

「余計なお世話だっての。だいたいどうしてそんなにオヤジのことに詳しいんだ。あんた何者だ?」

「すいません。まだ言ってませんでしたね。僕、新聞記者なんです」

「マジか?」

 小さな新聞社なので読んでいる人もあまりいないと思いますが、とキョウジは名刺を取り出した。

 確かに聞いたことのない社名だったが、しかし、この男が新聞記者だって?

「じゃあ、なんだ、今までの話は記事になるのか?」

「いえこれは取材じゃないので記事にはなりません。僕が個人的に調べているんです」

「個人的?」

「はい」

 だって気になりませんか、とキョウジが訊く。

「何が」

「勇敢だという記録と情けない試合をしていたという記憶。どちらも間違っていないとすれば、どうしてバーディさんはそんな極端な試合をしたんでしょう」

 どうしてかと聞かれると困るが――。

「そんなに気にするようなことでもないだろ」

「何か理由があると思うんです」

「どうしてそんなにこだわるんだ」

「一部だけを見て批判されるのはフェアじゃない――それはエディさんがいちばん感じてることじゃないですか」

 キョウジは何か思い出したら連絡をくださいと言って、滞在先の書いた名刺を置いて帰って行った。


 一人残されたエディは考える。

 いったい今日は何なんだ? どうしてみんなオヤジの話をしたがるんだ? これはオヤジの差し金か?

 いや、あのオヤジがこんな面倒なことをするはずがない。

 二人とも示し合わせたようにオヤジは勇敢だなんて言ってたが、俺はそんな勇敢なオヤジを見たことがない。

 もし、彼らの話が本当だとしたら、俺の知らないボクシングをするオヤジがいたということになる。

 ならば――どうして俺はその勇敢だというオヤジを覚えていないんだ?

 何だかわけがわからなくなってきた。

 エディはテーブルの上に残されていた名刺を摘み上げ、そこに書き込まれている名前に目を落とす。

 飾り気のない文字でキョウジ・ロクセットと書かれている。

「ヘンな奴」

 指先でピンと弾いた名刺はくるくると回ってどこかに飛んでいった。

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