《残され人》と卑怯者のボクシング

「何か望むことはありましたか」


 おとなしそうな顔をした黒髪の男は朴訥な口調で訊いた。

 三日前に訪ねてきたこの若い男は、自己紹介もそこそこに、残念ですがあなたは死んでいます――と告げた。

 見ず知らずの男にいきなり死んでいると言われても困ってしまうのだが、不思議と腹は立たなかった。むしろいつかこんな日が来るのかもしれない――と、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 自覚もある。

 なぜ、死んでいる自分がこうして生きている――というのはおかしな言い方だが――のかはわからないが、とにかく俺の命の灯はとうの昔に消えているのだ。


 黒髪の男は、俺の魂を天国に連れていってくれるのだそうだ。

 おとぎ話でもあるまいにと話半分で聞いていたのだが、男は俺を見据えると 

 ――何か願いはありますか。

 と聞いた。

 それから男は、僕のできる範囲でということになりますが――と申し訳なさそうに付け加えた。

 見たところ男は二十歳そこそこの若者である。

 そんな男ができる範囲などたかが知れている。大した願いは叶えられないだろう。

「なければないで構いませんが」

 そう言われると何か頼まないと損な気がしてくるものだ。

 考えあぐねていると、男はまた三日後に伺います、それまでに何かあれば考えておいてくださいと言って帰っていった。


 あの男に叶えてもらえそうな願いなんてあるだろうか。

 しばらく考えてみたところで気が付く。

 ――俺は何を真面目に考えてるんだ。

 大体あの男が本当にまた来るかどうかもわからないのだ。

「バカバカしい」

 俺はそうつぶやいてゴロリと横になった。


 そして――三日後の今日である。

 黒い髪の男は約束通り訪ねてきた。

「何か願いはありましたか」

 男の問いに俺はああ、と頷いた。

 結局、あれからあれやこれやと考えてしまっていたのだ。

 なんだか格好悪い話だが、なあにもう死んでいるのだからいまさら恥も外聞もない。

「ひとつ、頼みたいことが見つかったんだがいいかな」

「はい」

 と男は素直に頷くと、僕でお役に立てるといいのですがと頼りなさげに続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る