残され人の存在理由

 キョウジの仕事は《残され人》を特定することである。

 しかし、見つけたからそこで終わりというわけではない。もうひとつ、大事な仕事が残っている。

 その人物がどうして《残され人》になったのか――を、調べることだ。


 死んだまま生きている――。

 あり得ない状況にもかかわらず、しかし、彼らはそこにまぎれもなく存在している。

 なぜか――。

 それはキョウジにもわからない。

 いつ《残され人》になったのか。

 どうして死んだのに動いていられるのか。

 考え始めたらキリがない。

 そもそも解明されていないことが多すぎるのだ。

 キョウジにしても《残され人》の謎を解こうとは思っていないし、そんなことは上の方にいる賢い人間に任せておけばいいことだと思っている。

 もっとも、まるで未知と言うわけでもない。数は少ないが判明していることもある。

 彼らは、理由はざまざまだがみな必ず〝何か強い想い〟を抱いている。

 その想いが死んだ肉体に魂を繋ぎ留め、死してもなお《残され人》として活動し続けているのだ。未練と言ってもいいかもしれない。

 そこで彼らの想いを知り、その想いを遂げさせ、この世界に対する未練を断ち切ってやる。執着は薄れ、留まっていた魂を死んだ肉体から切り離しやすくするのだ。

 最終的に魂を天国に送るのはセラの役割だが、その際、できるだけスムーズに、晴れやかな気持ちで送られるようにサポートするのはキョウジの役割なのである。

 魂を肉体から無理やり引きはがすことも可能ではある。

 ただし、その場合は天に送られることはない。引きはがされた魂のほとんどは消失して無に帰るが、残りのわずかな、邪なる魂は地に落とされ煉獄の闇の中をさまよい続けることになる。


 ノーマンはどうだろう。

 少なくとも邪な気配は感じられない。

 医者としての冷静さは持ち合わせているようだが、性格はやや掴みづらい。軽い、と言ったほうがいいだろうか。特に女性に対してはその傾向が強いようで、ロイスが言うには村の中で声をかけられていない女はいないだろう、とのことだった。

 本人もそのことに関しては否定もせず、目の前に女性がいるのに声をかけないのは失礼じゃないかなどと、イタリア人のようなことを言っていた。

 こういった男は大概周囲から浮いてしまうものだが、ノーマンの場合はそうでもないようだ。周りの人間はこの変わり者の医者をどう見ているのだろうか。


  * * *


 その日の午後、キョウジはノーマンが出産を手伝ったというローラの家を訪ねた。

 自分は記者で、ノーマンについて話を聞いているというと、若い奥さんは快く迎えてくれた。

 リビングに案内されたキョウジが彼女の息子ポールをあやしていると、ローラがティーセットとクッキーを持ってきた。

 テーブルに食器を置きながらローラが言う。

「よかったわねえポール、今日はお兄ちゃんが相手をしてくれて」

「かわいいですね。いつご出産されたんですか」

「ひと月前よ。ノーマン先生がいてくれて本当に助かったわ」

 ローラはティーカップに紅茶を注ぐ。

「こんな片田舎の小さな村でしょ。お医者様も少ないし、いつもはスーザンさんが来てくれるんだけど、今年に入ってからずっと腰を痛めてしまってね。お年もお年だから仕方ないのだけど」

 スーザンというのはこの村の産婆さんらしい。この村の若い者はほとんどスーザンが取り上げてきたそうで、ローラもスーザンが取り上げた子の一人なのだそうだ。

「だからこの村に先生が来てくれたことは本当に幸運だったわ。もし先生がいなかったらどうなっていたか」

 そういってローラは、ねえ、ポールと抱きかかえた息子に微笑んだ。

「あの、ローラさんから見てノーマン先生ってどんな人ですか?」

「素晴らしい人よ。あの人は私とこの子の恩人ですもの」

「えっと、そういうのじゃなくてですね」

 どうもニュアンスが伝わりづらい。ローラも疑問の表情を浮かべている。やはりこういうことはストレートに聞いた方がいいのだろう。

「ノーマン先生、気が多いじゃないですか」

「ああ、そういうこと」

 ローラは納得した顔で私も口説かれたわと言った。

「そうなんですか」

「ええ。でも、先生のあれは挨拶みたいなもんだから。誰も本気にしてないわ。先生だってそう。あなたにはわからないと思うけど、子供がおなかの中にいる時ってね、些細なことが気になったり、気持ちが不安定になるのよ。それでなくても気を張ってるし。先生はそんな私をリラックスさせようとしてくれてるのよ。優しさね」

 そうなのだろうか。いまひとつ納得していないことが顔に出ていたのだろう。ローラは穏やかな声で続けた。

「妊婦ってね、女に見てもらえないの」

「それはどういう――」

「同じ女でも〝妊婦〟なのよね。おなかの中に子供がいるんだから当然と言えば当然なんだけど……」

「みんな大事にしてくれるじゃないですか」

「いたわってはもらえるけど女性としては見てもらえないのよ」

 接し方が変わるということだろうか。

 キョウジはそれが未婚の女性だろうと妊婦だろうと三児の母親だろうと、偏った対応はしない。誰にでも変わりなく接している。しかし、女性はそうではないのだろう。デリカシーがないと言われることがあるが、こういうところにも理由があるのかもしれない。

 ローラはキョウジにというより自分に言うように

「やっぱり女だから」

 とつぶやくと、先生みたいに女として見てくれるとうれしいのよ、と笑った。

「そういうものなんですか」

「女はみんなそうなのよ」

 ローラはそう言って、ねぇポール、と愛息に微笑みかけた。


   * * *


 翌朝、朝食を終えたキョウジはノーマンと二人で庭に出ていた。

 雲が多く、お世辞にも良い天気とは言えなかったが、時折太陽が顔をのぞかせている。この国では十分晴れと言える天候だ。

 庭にはテーブルと椅子が置かれていて、二人はそこでコーヒーを飲んでいた。

 キョウジは昨日会ってきたローラの話をした。ノーマンの反応を見たかったからだ。

「それで、聞いてみたんです。ノーマン先生に心が揺れたりしないですか、って」

「おお、それで!」

 身を乗り出したノーマンにキョウジは言われたままを告げた。

「『まったく。だってこの子が一番大事だもの』って言ってました」

 予想していた答えとかけ離れていたのだろう。ノーマンはがっくりと肩を落として報われないなあ、と呟いた。

「でも先生のおかげですごくリラックスできたって言ってましたよ」

「リラックスじゃなくて、私はもっとお近づきになりたかったんだよ」

「これ以上ないぐらい近づいてるじゃないですか」

「それは医者としてだ」

 不服なんですか、と聞くと間髪を入れず不服だ、という答えが返ってきた。

「いいかいキョウジくん。私は医者ではなく男として見てほしいんだよ」

 ノーマンは〝男〟の部分に力を込めたが、彼はあくまで医者である。いくら出産という一大イベントを共有したからといっても、産婦人科医は主役ではない。母と子が主役なのだ。産まれた我が子より手助けしてくれた産婦人科医にスポットライトが当たることはまずないだろう。

「うまくいかないもんですね」

「まったくだ」

 ノーマンがため息をついた時だった。

 遠くで声がした。だんだん近づいてくる。どうやらノーマンを呼んでいるようだ。

 声のする方向に目を向けると街道を男が右手を振りながら走ってくる姿が見えた。

「先生ーっ! 先生ーっ!」

 勢い込んでやってきた男は、息を整えるのももどかしそうに、先生、うちのがと言った。

「来たか!」

 男は大きくかぶりを振ってはいと答えた。

 気が付くとすでにノーマンは立ち上がっていた。

「すぐ行く! キョウジくん、カバンを取って来てくれ」

「え?」

 指示を出すノーマンの顔にさっきまでの弛緩した表情はどこにもない。生気のみなぎった顔はまるで別人だ。

「部屋に入ってすぐのところに置いてある」

「ちょっと――」

「先に行ってるから追いかけてきてくれ」

「ちょっと!」

 完全に出遅れた。どこかで子供が産まれかけているにちがいない。ノーマンの部屋に向かいかけたキョウジはすんでのところで立ち止まると振り向いて聞いた。

「どこに行けばいいんです?」

 男と二人、すでに駆け出していた産婦人科医からはサリーの家だ、という声が返ってきた。

 わかりましたと答えて、キョウジはノーマンの部屋に向かった。ドアを開けるとすぐに黒い鞄が目に入った。

 これか。

 カバンを掴んで廊下に出ると、勢いもそのままに宿から飛び出した。

 すでにノーマンの姿は見えなくなっていた。あの肉体ではそんなに素早く動くことはできないというのに。

 早く追わなければ――。

 駆け出そうとしたキョウジはそこで重大なことに気が付いた。

「サリーの家ってどこだ?」


   *


「よくがんばったわねえ、サリー」

「かわいいわぁ」

 ベッドを取り囲む友人たちに祝福を受けなからサリーは笑顔を見せていた。出産という大仕事を終え、疲れ切っているにもかかわらず幸せそうな表情を見せているのは隣で眠る赤ん坊のおかげなのだろう。

 キョウジとノーマンは、サリーの休む部屋から離れたリビングで一息ついていた。

 サリーの家が何処なのかわからず途方に暮れていたキョウジに救いの手を差し伸べたのはロイスだった。

 サリーの亭主、アントンが駆け込んできたときロイスはちょうど庭木の手入れをしている最中だった。サリーが臨月を迎えていることも知っていたロイスは、取り残されていたキョウジにサリーの家の場所を教えてくれたのだ。

 幸い分娩が始まる前にカバンを届けることができて、ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、ノーマンから矢のように指示が飛んできた。

 ――お湯を沸かせ。

 ――きれいなタオルを持ってきてくれ。

 キョウジは休む間もなく、亭主のアントンとともに家の中を走り回ることになったのだった。

 もっとも、いろいろ用意を手伝っていたのは集まっていた女たちの方で、キョウジたちはいたずらに右往左往しているばかりでたいして役には立っていなかったのではあるが。

 キョウジも出産に立ち会ったのは初めてだった。こういうところではつくづく自分が無力なことを思い知らされる。

 そんななかノーマンはさすがに専門家だけあって、分娩においても冷静に対処していた。どうやらこれが本当のノーマンという男なのだろう。

 キョウジは彼に会って初めて心強さを感じた。

 ノーマンのそばではアントンが跪いて感謝の気持ちを述べていた。その目にはあふれんばかりの涙が浮かんでいる。

「ああ、先生、もうなんて言っていいのか……感謝してもしきれない」

 感極まったのだろう。アントンはノーマンの手を握り締めると先生、オレは、オレは……と叫んだまま言葉を詰まらせた。そんなアントンをノーマンは心底困ったような顔で見返した。

「ああ、アントンさん。私の方はいいからサリーについていてください」

「先生。本当にありがとう」

 アントンは深々と頭を下げると、こぼれた涙をぬぐってサリーの元へと向かった。

 後から聞いたのだが、サリーは一度流産したことがあるのだそうだ。心に残された深い傷を考えるとアントンがあれだけ大げさに感謝していたのも頷ける。

「ノーマン先生」

 アントンと入れ替わりにやってきたのは老齢の夫人だった。

 この村の助産婦スーザンだ。

 すっかり銀髪になってしまっているが、柔和な顔は見るものに安心感を与えてくれる。

 腰を痛めてしまって助産婦の仕事はしばらくしていないらしいが、村で出産がある時はいろいろと手助けをしてくれているのだそうだ。今回も分娩以外のところでまわりに指示を与え、ずいぶん助けてくれていた。

 ノーマンが椅子をすすめると、スーザンはありがとうと表情をほころばせた。

「先生、今日は本当にお疲れ様でした。あたしも今までがんばってきましたけど、御覧の通りこの歳ですからねえ。先生がいてくれると心強いですわ。これからもこの村のこと、お願いしますね」

「なに言ってるんですか。スーザンさんにはまだまだ頑張ってもらわなきゃ困りますよ」

「あたしはこの通り、ただの足手まといですよ」

「そんなことはないですよ。それにね、スーザンさん――」

 ノーマンはそこでスーザンに顔を近づけると声を落として言った。

「実はそろそろ村を出ようと思っているんです」

「えっ! どうしてですか」

 スーザンの声に何人かが振り向いたが、ノーマンがにこにこしながら手を振ったので、何事もなかったかのようにおしゃべりへと戻っていった。

「どうしてそんなことをおっしゃるの」

 スーザンの問いにノーマンは声のトーンを落としたまま答えた。

「この村に妊婦はいなくなりました。私の役目はもう終わりです」

「そんなこと言わず、ここに残ってくれませんか」

「ここに立派な助産婦がいるじゃないですか」

「あたしはもう動けません」

 スーザンは寂しそうに眼をそらせた。ノーマンは老助産婦の右手にそっと自分の手を重ねるとその眼を見つめた。

「スーザンさん、あなたは立派な助産婦だ。この村の子供たちが生まれてくることができたのはあなたがいたおかげです。あなたのその技術を村の人たちに伝えてあげてください」

「……あたしにできるでしょうか」

 不安そうに聞いたスーザンにノーマンは力強く頷いた。

「大丈夫。あなたならできます」

「ありがとう、ノーマン先生」

 スーザンはノーマンの手に自分の手を添えて感謝の言葉を伝えた。

「それで――」

 老助産婦はノーマンに問いかける。

「先生はこれからどうされるんです?」

「この国には助産婦のいない村がまだまだあります。まだ、私を必要としている村があるんですよ。私はそんな村に行こうと思っています」

 もちろん嘘である。ノーマンは一週間後にはこの世界から消えるのだ。しかし、そんなことを言ってこの老助産婦を心配させる必要はない。

 なにも知らないスーザンはそうですかと頷くと満面に笑みを浮かべて言った。

「とても素晴らしいことだと思いますわ」

「いやぁ、そんな褒められたことじゃないんです」

 ノーマンは軽薄そうな笑顔を作って続ける。

「わたしはねぇスーザンさん。単純に妊婦が好きなだけなんです」

「あら、それも素晴らしいことだと思いますよ」

 老助産婦はそう言ってウインクした。

 ノーマンは柄にも無く照れたようだった。

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