使命

 翌朝――。

 顔を洗って戻ってきたキョウジをセラの声が出迎えた。

「おはようございます。キョウジさま」

「おはよう、セラ」

 ベットサイドのテーブルの上。ふたの開けられた懐中時計の上にセラが立っていた。

 七時十五分。朝食の時間まではまだ一時間ほどある。夜半まで降っていた雨は上がっているようだ。

 昨日、宿の主人ロイスに聞いたところによると、写真の男はノーマンという医師でひと月ほど前から滞在しているらしい。旅をしながら病人や怪我人の治療を行っているが、本業は産婦人科の医師だということを教えてくれた。

 写真を見せるときキョウジは、いつも新聞記者を名乗っている。

 警察や探偵だと言うと聞かれる側も構えてしまい、話すことも話さなくなってしまう。その点、新聞記者というのは警戒されづらい。読者からの尋ね人だと言えば協力してくれることも多い。

 キョウジはカバンの中に入れてあった写真を撮りだした。

 教会の前に一人の男が立っている。癖のある金髪、眼鏡の奥の眼はやや垂れ気味で、医者の持つ鋭さのようなものはあまり感じられない。色男とは言えないが、どことなく愛嬌の感じられる男である。


 《残され人》を見つけ出すこと――。

 それがキョウジに与えられた役割、《探索者チェルカトーレ》だ。

 ただの人探しであれば一般の人間でもできるだろうが、相手は一般社会に紛れ込んで生きている死者である。仮に該当する人物を見つけたとしても、その人物が生きているか死んでいるかを確認することは非常に難しい。

 その点、キョウジは確実に《残され人》を見つけだす。

 特定の仕方は、探索者によってそれぞれ違うらしいが、キョウジの場合は〝写真〟である。

 兆しはキョウジの右手に現れる。右手の甲がぼんやりと光りだし、やがて円形の紋章のようなものが浮かんでくる。紋章がはっきり現出したら写真用の印画紙を取り出し、光る右手を紙の上に乗せる。すると紋章が消え、真っ白だった印画紙にターゲットとなる人物が写しだされるのだ。

 念写である。写真を見ればその人物の名前もわかる。

 なぜなら写し出された写真の中にその人物の名前も写り込むからだ。ただし、きちんとした活字で表記されるわけではない。ある時は服の模様の中に紛れ込むように、またあるときは背後のバーの看板に書かれていたり、と様々な形で写真の中にちりばめられているのだ。

 名前がわかって、写真もあるのだから楽に探し出せそうなものだが、そう簡単に事は運ばない。

 まず、その人物がどこにいるかまではわからない。

 写真には背景も写っており、ある程度その人物が住んでいる土地の特徴的な風景が写し出されるのだが、人物の名前とちがって土地の名称までは写らない。ウィンザー城やストーンヘンジなど、誰もが知っている場所が写っていればわかりやすいが街並みや森など、一見して土地を特定しづらい風景の場合もある。

 そして、これが一番大きな問題なのだが――念写される写真は一枚ではない・・・・・・のだ。

 複数枚――ターゲットとその周辺にいる複数の人物が映し出されてしまうのである。最初からターゲット個人を特定できる探索者もいると聞くが、キョウジの能力は複数に絞り込むところまでである。

 運が良い時は最初に訪ねた人物がターゲットだったということもあるが、引きが悪く、一番最後に残った者が《残され人》だったということもざらにある。

 何とも中途半端なスキルではある。もっともこのスキルのあるおかげでキョウジはその存在を認められているようなものなのだが。

 そもそもキョウジはカトリック教会の人間ではない。キリスト教を信仰しているわけでもない。

 そんな人間が教皇庁直轄の《天国への案内人》という役割に就いてしまってよいのだろうか。


 人にはそれぞれやるべきことってもんが決まってるんだ。お前に《天国への案内人》の素養が現れたのなら、それがお前のやるべきことってことだ――。

 そう言ったのはヴァチカンの友人であるフェデリコだ。


   * * *


 ヴァチカン公国は世界で一番小さな国である。

 イタリアの首都、ローマの一角に位置する約一マイル四方のエリアが国土であるから、国というよりは町の一区画といってもいい。住んでいる者も五百人に満たないこの小さな国が、しかし世界に対し大きな影響力を持っているのは衆人の知るところである。

 世界人口の四人に一人が信仰しているというキリスト教。その中でも最大の流派であるカトリック教会の総本山がヴァチカン公国なのである。

 高い城壁に囲まれた町の南東にはヴァチカンの象徴とも言えるサン・ピエトロ大聖堂が置かれている。

 現在の大聖堂はルネサンス期に再建されたもので、その建設にはミケランジェロやベルニーニなど当時の名だたる芸術家たちが携わっている。

 カトリック教会の威信をかけた大事業となったサン・ピエトロ大聖堂の建設だが、しかし、この壮大な事業は度重なる設計変更や財政難などから遅々として進まず、幾多の中断を挟み、完成に至るまでに百二十年の歳月を費やすことになるのだから気の遠くなるような話ではある。


 キョウジは三年前までそんなヴァチカンの修道院で暮らしていた。

 修道士だったわけではない。

 もともとは客人だったのだ。当初の用向きはすでに失効していたので、もはや客人という立場でもなくなっているのだが、成り行きでそのままヴァチカンに留まっていた。

 一応、客人ではあるから他の教会関係者のように仕事があるわけではない。ただ、日がな一日何もせずにぶらぶらしているというのも心苦しいので自発的に聖堂内や修道院の掃除や雑用を手伝うようにしていた。もはや立派な居候である。

 手伝いを終えると大体は図書館で過ごすことが多った。


「まァた本読んでるのか。毎日毎日よく飽きないもんだなァ」

 静まり返った図書館の中を通りのいい低音の声が響く。

 声をかけてくるのは決まってフェデリコだ。

 彫の深い顔立ちに無精髭。癖のある長髪を後ろで結んでいる。どう見ても神に仕える者という風貌ではないが、陽気でカラリとした性格もあって不思議と不快感はない。年配者がほとんどを占めているヴァチカンにおいて、フェデリコのような三十前の司祭は珍しい。

 外見や言葉遣いはともかく、教会から将来を嘱望されている人材ではあるのだろう。

 テーブルに軽く腰掛けた司祭は呆れたような顔で鳶色の目を向ける。

「そんなに本ばっかり読んでたら、いまに読む本がなくなっちまうぞ」

 この図書館には百万冊以上の文献や書物が収められているのだ。

 そう簡単に読み切れるものじゃないよと答えると、たまには外に出ろって言ってんだよと若い司祭は窓の外を指さした。

 外か――。

 別に出たところで行く当てもないし、知っている人もいない。

 そう返すとフェデリコはここにいるよりは楽しいぞ、と笑った。

「それに知っている人がいないなら、知ってる人を作ればいいじゃないか」

「簡単に言うなあ」

「簡単なんだよ。お前が難しく考えすぎなんだって」

 彼にとっては簡単かもしれないが、世の中みんながフェデリコと同じわけではない。

 キョウジだって外に出たいとは思う。

 思うが――。

 その一歩がなかなか出せないのだ。

「僕は……ここで本を読んで暮らすよ」

「一人でか」

「うん」

 そのほうが気楽でいい。

 フェデリコは大きなため息をつくと、あのなあキョウジと出来の悪い弟子を見るような顔で続ける。

「人間ってのは一人じゃ生きていけねえんだぞ。わかるか? 食事はどうするんだ。いま読んでる本だって誰かが書いたもんだろうが。俺みたいに相手をしてくれる奇特なヤツもいないんだぞ」

「最後のはなくても困らない」

「バッカヤロウ。いいかキョウジ、人は一人じゃ生きられねえって言ってるんだ。だからお互い支え合って生きるんだ。そのために人にはそれぞれやるべきことってのが決まってるんだよ」

「やるべきこと?」

 フェデリコはああ、そうだと頷くと、お前もやるべきことがわかったら今までタダ飯食ってた分、働いてもらうからなと言って笑った。


 フェデリコの出て行った図書館はいつもの静寂を取り戻した。

 ――僕のやるべきこと、か。

 この図書館で一人で本を読んでいる自分に何かできることがあるんだろうか……。

 しかし。

 やるべきことがわかる日は意外と早くやってきた。


   *


 図書館でフェデリコと話をした五日後、突然両手が光り始めたのだ。

「キョウジ、こりゃ兆しだよ! すごいじゃねえか!」

 話を聞いて飛んできたフェデリコは興奮気味にそう言った。

「兆し?」

「ああ、聖なる力が宿ったんだ! ようやくお前もやるべきことができたってわけだ」

「やるべきことが?」

 やるべきことができたと言われても、ただ手が光っているだけなのだけど……。

 ただでさえ経験したことのない事態に困惑しているというのに、まわりの騒々しさが拍車をかける。

 中でも特に困るのが司祭たちだ。今まで話したこともなかった司祭たちが次から次へとやってきてキョウジに向かって祈りを捧げていくのである。おかげで彼らがくる度にしかつめらしい顔を作らなければならなかった。


 そんなことが二日間ほど続いたあと、キョウジは枢機卿の執務室に呼ばれた。

 大きな窓の前に置かれた執務机。そこに白髪頭を撫でつけたロッシ枢機卿が座っていた。

「来たかキョウジ」

 厳つい顔をした老人は執務机に眼鏡を置くと、のそりと立ち上がった。

「まさかお前に顕現けんげんするとはな」

「はあ、すいません」

「どうして謝る。これは光栄なことだぞ」

 ロッシはキョウジにソファに座るよう勧めると、自分も向かいに腰を下ろした。

「まずは今回お前に顕現した力について説明しよう」


 ロッシの語る話はにわかには信じられないものだった。

《残され人》――。

《魂の救済者》――。

 キョウジに宿った力はその《残され人》の魂を救うために必要な力なのだそうだ。

 あまりにも現実離れした話だったが、実際に自分の手がこうして光っているのだ。死んだまま生きている者がいたとしてもおかしくはないのかもしれない。

 でも――どうして僕が選ばれたのだろう。

「キョウジ、お前はこれから旅に出るのだ」

「え? 旅、ですか?」

 そうだ、と仰々しく頷く枢機卿に訊いてみる。

「あの、ロッシ枢機卿。いきなり旅に出ろと言われても困ります。だいたい、僕に魂の救済なんてことができるとは思えません」

「お前は《残され人》の魂を天国に送る手助けをすることになる」

「手助け?」

「そうだ。実際に魂を天に送るのは天使の仕事だ」

「天使?」

 枢機卿はセラ様と隣に声をかけた。

 と――。

 あたりが光ったと思うと、眼の前に白い法衣を来た女性がふわりと降り立った。

 天使は柔らかい微笑みを浮かべ

「初めましてキョウジさま」

 と言うと、セラと申しますと名乗り丁寧なお辞儀をした。

「あ、え、初めまして」

 しどろもどろになりながら挨拶を返したキョウジを見てセラはくすりと微笑んだ。半信半疑で訊いてみる。

「あの、本当に天使なんですか?」

「はい」

 驚いた。ずっと昔に教会が神と契約したという話は聞いたことがあるが、まさか本当に天使が現れるなんて。

「手を――」

 見せてくれますか、と天使は言った。

 宿った力は人それぞれ違うらしく、一緒に魂を天に送る天使がその能力を見極めるのだそうだ。これによりキョウジの能力が念写による探知ということがわかったのである。

「キョウジさま、これからよろしくお願いいたします」

 うやうやしく頭を垂れる美しい天使に、こちらこそと答えてはみたもののまったく不安は減らなかった。


   *


「で? 何が気に入らないんだ? 自分の使命も見つかって、旅に出られて、天使様まで一緒なんだろ?」

 フェデリコは何が不満なのかわからないと言った顔で肩を竦めた。

 ヴァチカンの宮殿内にある小さな礼拝堂である。

 二人しかいない礼拝堂はよく声が響く。

「僕が役に立つとはとても思えないんだ。せっかく念写できても、何人も候補が出てくるんだ。どの人が《残され人》なのかわからないよ」

「何言ってんだ。そこまで絞れるだけでも大したもんじゃねえか。街中の人全員にあんたは《残され人》ですかって聞いて回るよりはずっといいだろ」

「そりゃあ――」

 そうだけど。

「だろ? 少なくともお前は俺にはできない事ができるんだ」

 フェデリコはもっと胸を張れ、と言ってキョウジの背中をバシンと叩いた。

「そうかなぁ……」

「そうだよ。今回だって四人のうちから一人を見つければいいんだ。楽勝じゃねえか」

 口で言うのは簡単だ。

「どうやって調べろって言うんだい? あなたは死んでますかって聞くのかい?」

「そんな事聞かれて、はい死んでますなんてヤツがいるはずないだろ」

「じゃあ、どうすればいいのさ」

 つい、突っかかるように訊いてしまったのだが、若い司祭は

「それはお前が考えるんだ」

 とキョウジを見据えて言った。

「いろんな人と話をしろ。何を考えていて、どういうことをしたいのか。聞いているうちに大事なことがわかってくる。大事なことがわかれば、自ずとすることも決まってくる。お前が存在することの意味も見えてくるはずだ」

 普段はどうしようもないことばかり言ってるくせに、この男はたまに司祭らしいことを言うのだ。

「存在することの意味……そんなものが本当にあるのかな」

「ありますよ」

 突然、天使の声が聞こえた。

 フェデリコにも聞こえたのだろう。キョロキョロと辺りを見回している。

 キョウジは懐から懐中時計を取り出した。蓋を開けると小さな天使が姿を現した。

「天使様、ですか?」

 眼を丸くしたフェデリコに、天使はセラと申しますと丁寧に挨拶した。フェデリコですと挨拶を返す司祭の隣でキョウジが訊ねる。

「セラ、僕が存在することの意味っていうのは何なんだい?」

 セラは小さく首を振った。

「いまはわかりません」

「わからないって、さっき――」

「わからないから探しに行くんです。私もお手伝いいたします」

「ほら、天使様にここまで言わせてるんだ。シャキっとしろ!」

 そう言ってフェデリコは再び背中をバシンと叩いた。

 静まり返った礼拝堂に手荒い激励が響き渡った。


   * * *


 それからキョウジはセラと旅を続けている。

 自分が何のために存在しているのかはまだわからない。

 けれど――。

 この手が光り《残され人》の魂を救うということが何かに近づいていることなのだ。

 そう信じて今日も歩き続けている。

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