段ボール箱

猿川西瓜

お題「住宅の内見」

 本で壁を作っていた。親は私をアナグマと読んでいた。休日に昼から起きたりすると、父から、アナグマが冬眠から起きてきたぞとからかわれた。

 本であふれた部屋の中から、ノッソリとあらわれる。その姿がアナグマそっくりだという。検索したら、タヌキみたいな画像が出てきて可愛かったので、ちょっと嬉しくなった。


 実家のマンションの、一番奥の部屋が私の部屋だった。

 四方の壁すべてに本棚が設置され、図書館の日本十進分類法に沿って、本は配置されていた。正月休み全部使って、整理したのが懐かしく思い出された。


 経理事務に就職して、5年くらいたった。親に、いい加減に家から出て行けと言われたので引っ越すことになった。近くの商店街にあるマンションにしようかと考えている。賃貸で、月6万くらいするところを探す予定だ。


 引っ越すためには、本の壁を取り崩す必要がある。

 本は全部「積ん読」だ。

 買い物依存症とでも言えば良いのだろうか。

 アホみたいに本を買うことで私は、私自身の現状から逃げていた。ストレス解消だった。

 積ん読は1000冊はゆうに超えていたと思う。買っても、マンガでさえも読まないし、アニメでさえも見ない。ただ、買うことに、やり甲斐があった。


 毎日、仕事から帰れば、ストゼロか、サントリー 角ハイボール【濃いめ】を飲んで寝るだけだ。休日はひたすらスマホでゲームをしてSNSを眺める。たまに読書するとしても、買ったものではなく、図書館から借りてきたものを何故か読む。延滞を死ぬほどして、謝りながら返すを繰り返す。パソコンを見て、hontoというサイトで、いろんなワードで本を検索すること、そして買うことがストレス解消だった。

 もし自分のこの買い物依存がレコードだったら、たぶんDJになれたかもしれない。けれども、自分の場合は、レコードを買っても聴かないDJなのだから、困ったものだ。


 まだ組み立てられていない段ボールの束が、部屋の入口に置かれていた。父が置いたのだろう。私はガムテープで箱を5箱ほど作った。各壁にある本棚の一段で、一箱が埋まった。下手したら、一段の半分で、段ボール一箱がいっぱいになることもある。

 本は、実は信じられないくらい重い。途中から父も入ってきて手伝い始めた。新品の本、古本、ジュンク堂カバーのせいでタイトルすら忘れてしまった本。父に本のタイトルを読み上げられるのが嫌だった。

「これみんな読んだんか?」

「うん」と言ったが、売上スリップは一度も抜かれた形跡がないものばかりだ。


 死体を運んでいるみたいだった。本を段ボールに放り込みながら、「シンドラーのリスト」という映画で、赤い服の少女が死体にまみれて転がっている場面が思い浮かんだ。

 結局、父には部屋から出て行って貰った。読んでいない本を本棚から抜き出すと、本は死体に見えた。

 これを全部読んでいたら、私は何者かになれたかもしれないが、読んで何者にもなれるはずはないし、読み終わっても内容はほとんど覚えられないし、ただ、タイトルを眺めて、背表紙をみて、何者かが書いたその本に、きっと中身が詰まっていて、ためになるものがあるに違いない、何か得るものが封じ込められているという期待感が、私を安心させた。

 その期待感を本棚から抜き取って段ボールに詰め込むとき、それはただの「本」になってしまい、本の向こう側に広がる夢や、いつか読もう、いつでも読めるという気持ちの高ぶりが急速に冷めていく。本を買って読まないことは、私にとって、人生のともしびだったが、それが消されようとしていた。


 重くなって、持てなくなる前に、段ボールを閉じるを繰り返す。意外にホコリが凄く、私はマスクをした。父が私の様子をうかがいながら、中身の内容と、どこの本棚から取り出したかを段ボールにちゃんと書かなあかんよと言った。

 2週間かかって、本を段ボールに入れきった。50箱近くになり、父の知り合いの倉庫を借りて置かせてもらった。運ぶのも何日もかかった。車で、少しずつ何往復もした。


 その後、商店街へ行って、新しい家を見せて貰った。マンションの賃貸で、一階に設置された、よくわからないソファがあるロビーが好印象だった。

 借りる予定の部屋は狭かった。日当たりは良さそうだった。カーテンがないせいで、部屋全体がまぶしいくらいだった。住処は、本と本棚だけで、すべてが埋まりそうで、家具の一つも入らないと思った。部屋すべてを使っても、本で埋め尽くされて、読書するスペースすらない。冷蔵庫も机も置けない。

 内見しながら、不動産屋の男が、ここは静かだし安全だし、と色々と勧めてくるが、私の頭の中は本でいっぱいだった。読んでないけれども、希望に溢れた本を、我が子のように、生き返らせる場所を探している。

「ここって、本棚持ってくるとしたら、どこにおけますかね」

 奥の方の、小さな部屋を案内された。畳半畳分のスペースがあり、ここにちょっとした本棚でも置いたらどうですかね、と不動産屋は言った。たぶん、段ボール2箱分も置ければいっぱいだろう。残り48箱はどうしたらいいのだろう。でも、一冊も読んでないのだけれども。


「本、どうするんや」

 内見を終えて、家に帰った私に、父親がそう言ってきた。自分から私を追い出しておいて、まるで他人事だった。私の部屋は、父親の趣味の部屋として使われるという。

 二ヶ月たった。段ボール50箱はまだ知り合いの倉庫にある。一年が期限だという。倉庫代金は、私の給料から引かれる。月1万くらいだ。格安だろうけれども、1万でどれほど新刊や古本が買えるだろう。侮辱だった。


 希望を、人は抱えてはいけないのだろうか。本は「読まないこと」で、いつか読める希望や、読まなくてもその本の中に希望が溢れていることが、わかるのだ。感じられるのだ。そこにあるだけで暖かい。それがあるだけで、自分を守ってくれる。

 私は知り合いの倉庫の鍵のコピーを作って貰った。合鍵でもって、いつでも本を運び出せることをしたいので、お願いしたのだ。

 そして、金曜日の夜、ハイボールを買って倉庫に向かった。そこでじっと段ボールを眺めることにした。

 50個の段ボール。中身は、文学、生物学、情報学、批評、仏教、キリスト教、神道、プログラミング、イラストレーター、芸術学、古代、近世、明治、大正、全集、プロレタリア……なんでもが詰まっている。無限に広がる世の中の多様性を、50個の段ボールが、積み上がった棺桶のように見えて、それでいて中ではまだ希望の火を灯している。

 私は、持ってきた折りたたみ椅子を広げて、座り、50箱を見上げる。ハイボールを飲んで、開けかかった段ボールの一箱から、懐かしい手つきで本を取り出す。経済学の本だ。

 倉庫のホコリで、うっすらとざらついた感触がする。表紙を撫でると指が白くなる。何度かはたく。タイトルをしげしげと眺め、それから、ページをぱらぱらと捲る。ページから微風が起こり、私の頬を撫でる。私はホッとしてまた段ボールにその本をしまう。


 引っ越しが完了するころには、この50箱のほとんどは、古本屋にいくかして、売り払わねばならなかった。それか、あの部屋をすべて本で埋めて、私は玄関だけで住むという手もある。玄関にコンロを置いて、そこでコンビニ飯を炊いて食べれば良い。トイレだけ使えれば良い。寝床は、実家に帰って、リビングで眠ることでいいのではないか。

 だが、賃貸のマンションで、書庫の代わりに、月6万の費用を支払うのも嫌だった。6万あればどれだけ、新刊・古本が買えるだろう。

 父の暴力だ。これは暴力だと思った。段ボールに本を詰め込んでいるとき、悔しくて、本を投げ入れて、押し込んで、本はひん曲がった。ひん曲がったまま、押し込んで、ガムテープで蓋をした。段ボールは途中から、何が入っているかのメモも書かれず、無名の墓のようになった。


 外から雨の音が聞こえた。湿気で本は傷む。早く、売ってあげた方がいいかもしれない。それでまた本を買って、新しい住まいに適した冊数で、過ごそう。そう考えるのが正解なのだけれども、段ボールの中身は、私の心や体の一部だった。読んでないからこそ、そう思えた。

 吐く息が白くなった。背後から人の気配がしたので、振り返った。母親が心配で倉庫まで観に来た。

「明日仕事?」

 母親はかじかんだ手に息を吐いて、そう言った。

「土曜日出勤は、今週はないよ」

 と返事をした。

「困ったことがあったら、何でも言ってね」

 母は笑顔だった。母は本のことには触れなかった。もう捨てるしかないだろうと、シンプルに確信しているから、本を捨てるのは辛いだろうねともなんとも思っていない。私は母に逆らったり、怒ることもできずに、ただこう言うばかりだった。

「今のところ、困ったことは特にないよ」

 二人で、段ボールの山を見上げながら、私は白い息を吐いた。倉庫は、アナグマが暮らすにはあまりにも寒く、本に囲まれ、暖房の効いた部屋が恋しかった。

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