MID不動産株式会社

円野 燈

MID不動産株式会社




 この春、四年間の交際を歴てめでたく結婚したマキとタイチは、新居を探しに不動産屋へと向かっていた。


「いい物件が見つかるといいわね」

「そうだな。できれば東京タワーが見える部屋がいいな」


 暖かくなった陽射しの下、手を繋いで仲睦まじく歩道を歩いていた。

 向かっている途中、大きな交差点に差しかかったその時、トラックの事故に遭遇した。ハンドル操作を誤ったトラックはスリップし、他の車を巻き込みながら二人の目の前で信号に衝突して止まった。

 その時の大きな衝撃音と身体に伝わるとてつもない振動は、二人の心臓を止め、一瞬だけ意識を失わせた。


「……び……びっくりしたぁ……」


 マキは、止まってしまった息を大きく吐き出しながら安堵した。


「大丈夫か、マキ」

「うん。タイチくんも大丈夫?」

「何ともない」

「怖いからもう行こう?」


 二人はできあがりつつある野次馬の中からするりと抜け、再び不動産屋へ足を向けた。


「あった……だけど行こうとした不動産、こんな名前だっけ?」

「『MID不動産』……まぁいいよ。入ろう」


 二人は扉を押し開け店内に入った。

 平日の昼間だが、客が多く来ていた。小さな子供から老夫まで。人気のある不動産屋のようだった。

 暫く待ち、二人の順番となった。担当するのは、七三分けに瓶底眼鏡と黒いスーツの男性スタッフだ。気持ちが悪いくらいの営業スマイルをしている。


「本日はようこそおいで下さいました。わたくし担当の、午久宗ゴクソと申します。さっそくですが、お二人にピッタリの物件をご紹介致します」

「えっ。もうですか? 一つも条件言ってないのに」

「わたくしにお任せ下さい。こちらの物件となりますが、如何ですか?」


 午久宗が見せたのは、2LDKの間取りの物件だった。10帖のリビングルームに、アイランドキッチンに、エアコン完備。「景色が抜群」のベランダもあるらしい。しかし、周辺の情報の記載が何もない。


「あの。スーパーやコンビニは?」

「その点は何も問題ございません。こちらの物件今すぐご案内できますが、内見に行かれますか?」


 周辺情報が何もないのは気になるが、間取りや設備は希望通りだし、周辺のことも行けばわかるだろうと、二人は内見に行くことにした。

 ところが。この不動産屋は普通と少し変わっているようだった。


「さあ。こちらへ」

「えっ。あの。何処へ……」

「ここから直で行けますので」


 午久宗はニコニコしながら、不動産屋の裏へ続く扉を開いた。そこはバックヤードかと思いきや、窓もなく灯籠の明かりだけが灯る渡り廊下だった。

 二人は明らかに戸惑ったが、午久宗は何の躊躇もなく廊下を進み出したので、二人は信じてその後を着いて行くしかなかった。


「そう言えば。こちらに来る途中、お知り合いにお会いにならなかったんですか?」

「え? ……ええ。はい」

「そうですか」


 何故、午久宗がそんなことを訊いたのか不思議に思ったマキとタイチは、訝しげに顔を合わせた。 


 着いて行くとマンションの入り口が見えてきて、ちゃんと到着した。だが、周りの景色が一切見えなかったので、周辺情報が何もわからない。

 一階はエントランスと管理人室だけらしく、部屋があるのは二階からだった。エレベーターに乗り込んで、午久宗ゴクソは下から二番目のボタンを押した。


「ご案内するのは、二階のG1フロアのお部屋です」

「G1? 二階なのに?」

「ここでは、一般的なマンションと違った階の呼び方があるんです」


 扉の横に縦に並んだボタンを見ると、「G1」〜「G7」と書いてある。何故か一階のボタンはない。案内の仕方といい、本当にここは普通とは違うマンションのようだ。コンセプトでもあるのかと、二人はまた顔を合わせて考えた。


「ご案内するお部屋はこちらです」


 G2フロアに着き、さっきの渡り廊下と同じく灯籠が並ぶ廊下に沿って均等に配置されたドアの一つが開かれた。

 玄関はシューズボックスがあり十分な広さだが、電気を点けないと不便なくらい暗かった。廊下を進んでリビングの扉を開くが、リビングはより暗く、夜の帳が下りたように光が全く入ってきていない。「景色が抜群」と書いてあったのに、目の前に高層ビルが建っていたとしても、昼間なのにこの暗さは異常だった。

 午久宗が電気を点け、ようやく広さが確認できた。白を基調としたアイランドキッチンに、テーブルと二人がけソファーを置いても余裕のある広さで、申し分はない。

 ここで二人は、ある違和感に気付いた。騒音が何も聞こえない。音という音が一切耳に入ってこない。完璧な防音だったとしても、自分たちの足音すらしない、気味が悪いほどの無音空間だった。


「あの。カーテンは開けないんですか?」

「こちらは、後ほどのお楽しみということで。他のお部屋もご案内致します」


 言いようのない恐怖を感じ外を確認したくて言ったが、営業スマイルでもったいぶられ、寝室やバスルームなどを見て回った。常に電気を点けていなければならない室内ではあるが、設備は普通に揃っているし、新品なくらい使用感がなく、住めない訳ではない。

 三人はリビングに戻った。


「ひと通り見て頂いたところで、プランについて説明させて頂きます」

「プラン?」

「このマンションには、賃貸プランがございます。住んで頂けるのは、最長で49日間、最短で7日間となっております」

「えっ。最長でも49日間しか借りられないんですか?」

「それは困ります。私たち新婚で、将来的なことも考えて部屋を探してるんです。できたら他のマンションを紹介してもらえませんか」

「それは無理です。お二人が住むには、この物件がピッタリなのですから」

「いやでも……」

「もう少し正しく言えば、

「え?」


 この午久宗ゴクソという人は何を言っているんだ。二人の表情はそう言いたげだった。


「では。景観をお見せしましょう」


 そう言った午久宗は大きな窓に近付き、締め切られていたカーテンを開けた。

 二人の目には、何も入ってこなかった。ペンキで塗り潰されたかのようにガラスは真っ黒だった。

 自分たちの目を疑った二人は、窓にへばりつくくらい近寄った。そして外を見ようと必死に目を凝らし、そのうちだんだんと目がなれてきて、外の景色が少しずつわかるようになってきた。

 だが、目がどんなに慣れようともそこには何もなかった。滅びた世界のようにただ平坦な地面が果てしなく続き、遠くに山脈がそびえ立っていた。


「何処。ここ……」

「ああ。やはり、気付いていらっしゃらなかったのですね」

「え?」


 二人は駭然として一切の言葉を失った。


「今お二人がいる世界は冥土です。わたくしがご紹介しているのは、お亡くなりになり霊魂となった方々が閻魔大王様の裁判を受ける間にご滞在して頂く、霊魂専用のマンションなのです」

「冥土……? なくなった……?」

「じゃあ……俺たちは……」

「ご理解頂けましたか?」


 午久宗は変わらぬ営業スマイルで言った。

 理解できたかと言われても、できる筈がない。死んでいると事後報告をされても、死んだタイミングすら自覚していないのだから。


「そういう訳ですので奥様、こちらの物件をご契約で宜しいでしょうか」

「え……あ。いえ……その……」


 自分の身に起きたことを整理できず、マキは動揺と当惑で何も言えない。

 すると午久宗は、タイチに言うべきことを告げる。


「旦那様。申し訳ないのですが、旦那様はこちらにはご入居頂けません」

「えっ。なんで?」

「旦那様はこれまで、玩具のコインをわざと賽銭箱に投げ入れたり、ご鎮座なさっている本殿に悪戯をなさったり、挙げ句、神仏を謗り、侮辱されておりましたよね。他にも様々な悪事を働き、それを奥様にも黙っていらっしゃる」


 午久宗は何処かから取り出した霊魂情報の巻物を見て言った。


「え。なにそれ」

「な……なんでそんなこと……」

「ですので、旦那様の判決はもう決まっております」

「は?」

「……キャアッ!?」


 タイチを見たマキは、恐怖で血の気を引き後退った。


「……?! な……なんだこれ!?」


 平均的な体型だったタイチの身体は、肉と脂肪が吸い取られたように細くなり、多かった毛髪も抜け落ち、頬はこけ、目の周りもはっきりと影ができるほどに窪んで、ミイラのような風貌と化した。


「何だよこれ! 一体どうな」


 そして影に攫われるように、その場から消えていなくなった。髪の毛一本、存在の余韻すら残さずに。


「タイチくん……!?」

謗法罪ぼうほうざいを犯された旦那様は地獄へ行かれました。ご了承下さい」


 午久宗はマキに会釈をした。

 マキの身体が震え上がる。次は自分が皮と骨しかない人ならざる姿になり、消滅してしまうのではないかと。


「さて、奥様」

「ヒッ!」


 マキの身体が、電流が走ったようにビクリとする。


「奥様はこちらにご入居頂けますが、どうされますか?」


 営業スマイルを顔に貼り付けた午久宗は尋ねた。


「……え」

「最初は二人用のお部屋を希望のようでしたのでこちらをご紹介しましたが、お一人様用のお部屋もご案内できます。如何されますか?」

「え……え……」


 午久宗が鬼の類にしか見えなくなったマキは、連れ去られたり食われないように警戒した。


「急なことで、整理がついていないようですね。でしたら、ご自身の葬儀を見届けてからまたいらして下さい。その頃には気持ちの整理もついているでしょう。次回の内見予約はされますか?」


 マキは小さく何度も首を振った。


「そうですか。ですが必ず来られると思うので、7日後に内見の予約を入れておきますね」


 午久宗はスーツの内ポケットからペンと手帳を出し、来週の予約を書き込んだ。


「それでは、現世に未練のなきよう。次回のご来店も、心よりお待ちしております」




 気が付けば、事故があった交差点にいた。見下ろせば、歩道に横倒しになったトラックの下敷きになり、血塗れで倒れた自分たちがいた。



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