たそがれ不動産
藤光
黄昏不動産
無断欠席が多く、成績も良くなかったおれのために就職口を探してくれた高校の先生には感謝している。それが会社とは呼べそうもない小さな不動産屋であったとしても、そりゃ仕方がないと思う。でも、もう少し冴えた仕事がないものだろうかと、まだ20歳にもならないおれが感じた程度にはパッとしない不動産屋だった。『黄昏不動産』の社員はおれを入れても4人だけ。小太りで頭にわずかな白髪をたくわえた社長兼営業部長と、事務所に姿を見せたことのない専務(じつは社長の息子だと辞めた後に知った)、日がな一日スマートフォンで落ちゲーを遊んでいる中年の女性事務員、そして公立高校をお情けで卒業させてもらった素行不良少年のおれだ。
「
たったひとりの営業部員であるおれはまだまだ見習いで、社長の運転手をしながら仕事を覚えていた。毎日、ひと癖もふた癖もありそうな取引先の人間と昼食をとったり、会社で管理する物件の見回りに出かけたりしていた。『黄昏不動産』が管理している物件のほとんどは中古住宅で、そう呼ぶことすら憚られるほど年季を積んだ住宅は、「空き家」と呼ばれるのがふさわしい。
おれの生まれ育った街はいわゆる地方都市で、当時から若者人口の減少や年寄りの増加、地域の衰退が目立っていた。なかでも目に見えて増えたのが空き家の増加だ。1980年代の好景気と持ち家ブームに乗って開発された住宅地は、40年という時が流れるうちに地域住民の高齢化が進み、亡くなる人も増えてきた。大都市から相当程度に距離があって不便なこの街に新たに住もうという人は少ない。結果、住宅地には人の住まない空き家が増えてきていたというわけだ。
「今日はお客さんがくるんだ」
だから、家を見せてほしい――と客から連絡があることは珍しい。いったい不動産屋としてやっていけるのだろうかと、仕事のことはなにも分からない新卒社員ながらよく思っていた。客とはいっても、ほとんどの人は物件を買っていかないのだから。
「そうは言っても人にはいろいろと事情があるからね」
人が良いのか、商売っ気がないのか、そういう客ばかりやってきても、社長はいつもにこにこと対応していた。客の事情を考えて会社が潰れてしまっては、元も子もないだろうとおれは思うのだが。
その日、客を案内した物件もほかに『黄昏不動産』で管理している住宅と同じく、80年代半ばに建てられ築40年を超えた一戸建てだった。付近は70年代から80年代にかけて開発された住宅地で、道路も公園も古びて崩れかけ、同じような空き家がたくさんあった。
客は、おれの親父と同じくらいの年恰好で風采が上がらず、手垢のついたバッグやすり減らした靴を見るまでもなく、相場より相当安いうちの物件ですら手を出せそうにない雰囲気を醸し出していた。まったく、骨折り損とはこのことだ。
社長が物件を案内すると、客は家の中を見たいと言い出した。もちろん社長はこころよく客を伴って家の中へ入っていった。おれは売物件となっている家を見上げた。木造モルタル二階建ての一軒家は、屋根が葺き替えられることも、外壁が塗り直されることもなく放置され、売り物としてはかなりみすぼらしい。せめて外見だけでも取り繕わなければ、売れやしないといつも思うと同時に、なんでおれはこの仕事をしてるんだっけと考える。真面目に学校へ通わなかったからだよな。
「いま見てもらってるから」
家に入ると、客の案内もせずに台所で社長がタバコをふかしていた。社長は携帯灰皿を持たないので、時代を感じるステンレスのシンクが灰皿代わりだ。
「いいんだよ、ほうっておけば」
シンクに散らばった灰のことか、家を見てまわっている客のことか、社長は飄々としたものだった。ほうっておけば良いと言われたものの、住宅は一応売り物である。目を離した隙に、傷をつけられたりしてもいけない。家の中を客の姿を探して歩くと、2階の和室にいるのを見つけた。窓の脇にある柱を手で撫でさすっては涙ぐんでいる。和室から続く廊下からおれが見ていることに気がつくとばつの悪そうな顔をして頬をなでた。
「じつは子どもの頃、この家に住んでたんです。父親が亡くなり、中学に上る前に引っ越したんだけど。久しぶりに来てみたら、いまは住む人もなくて売りに出てるようだったから、見せてもらったんですよ。30年ぶりに来てみるといろいろと思い出して、懐かしくてね。
この部屋はわたしと兄の部屋でね。柱に傷があるでしょう。わたしと兄がふざけていて付けた傷です。苦労して建てた家だったから父にこっぴどく叱られてね。その直後だったんですよ、父が入院したのは。あれから30年、先日兄が父と同じ病気で亡くなったんです。まだ、54歳でした」
客はその後も、居間や玄関などを懐かしそうに見て回った挙句、事務所で仮契約することもなく帰っていった。
客の運転する軽自動車を見送りながら、これで何人目だろうと指を折って数えてみた。あの柱の前で涙ぐんだ人だけで3人目だ。ひとりは柱の傷は、妹の背丈を計ってあげた跡だと話した40代の女性で、もうひとりは大事な家具を運ぶときに誤って傷つけてしまった傷だと話した中年男性だった。そのほかにもも30年前、この家に住んでいたのだと懐かしげに話してくれていた客は何人もいる。もっとも誰ひとりとして、契約に至った人はいないが。
「この家のオーナーは建ててから40年間、変わってないよ。だから、自分ちだと思ってるのは、お客さんの勘違いだろうけど。いいんじゃないか、あの人たちがなんだって。うちの物件を見て喜んでもらえるなら、わたしはなんだって構わないよ」
錆びたシンクの底でタバコの火をもみ消すと、社長は穏やかに笑いながら言った。おれはずっとと不思議に思ってきたが、いつもそうだった。社長はほんとにそう思っていたのだろうか。
それからすぐ、おれは『黄昏不動産』を辞め、いくつか仕事を変えた後、いまは解体屋で働いている。家を建てる不動産屋とは反対に家を壊す仕事だ。売れそうにない空き家を売ろうとする仕事より、売れなくなった空き家をぶっ壊す仕事の方が性に合ったのだろう。解体屋の仕事はまだ続いている。でも、屋根を落とし、壁を崩してゆくふとした瞬間に、『黄昏不動産』にやってきた客の顔を思い出すことがある。懐かしそうで少し悲しげな顔だ。それがどうしてなのか、おれにはまだ分からない。
(了)
たそがれ不動産 藤光 @gigan_280614
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