内見者来訪
千石綾子
佐藤さんがやってきた
今日はこの住宅の内見の日だ。約束の時間までまだ1時間以上あるというのに、僕は緊張のあまりそわそわと意味もなく部屋を歩き回り、何度もトイレに行ってしまう。
住宅をシェアして住むというのはなかなか難しいものだ。相手との相性もあるし、そもそも選んでもらうにしては、この家は築48年と古い。他の住宅と比べると、スタートの時点でもうすでにハンデがあるのだ。
しかし一方で「古いから多少キズをつけても大丈夫」というメリットもある。僕はそのあたりを全面に出して売り込むつもりだ。
そんなことを考えていたら、玄関の方からピンポーン、と音が鳴った。どきん、と僕の胸は跳ね上がる。
「いらっしゃいませ。家主の高橋です。ようこそ」
僕は慣れない営業スマイルを浮かべてその人を出迎える。立っているのはバスケットを抱えた50代くらいの女性と、その息子らしき人だ。アドバイスを受けた通りに、しっかり目を見て挨拶ができた。第一印象は悪くないはずだ。
「内見に来ました佐藤です。お邪魔しますよ。今日はしっかりと見させて頂きますからね」
ずんずんと音がするような足取りでその女性──佐藤さんは家の中に入っていく。
「ど、どうぞお上がりください」
遅れて僕は後を追う。
「よかったらまずお茶でも……」
「結構よ。それよりもトイレと、食事の場所を見せてくれるかしら」
僕は2つあるトイレをそれぞれ見せた。ここは去年リフォームしたばかりだ。問題ないだろう。
「うん、まあ広さも場所も悪くないわね」
さらに奥へと進み、広いダイニングを見た佐藤さんは厳しい表情を崩さないままうなずく。
「ここで食事するのね。悪くない場所だわ」
悪くない、と言いながらも彼女の表情は終始厳しい。僕は緊張のあまりまたトイレに行きたくなってきた。
しかしここで僕が離れたらまずいことになる。勝手に見て回られたら、天井に浮き出た人の顔のような模様や、壁紙を変えても変えても染み出てくる血のような染みを見られてしまうではないか。
それに床下から聞こえてくるカリカリと何かを引っ掻くような怪しい音も聞かれてしまうかもしれない。
「どうでしょうね。お気に召して頂けましたかね」
答えを急がせるように僕はたずねてみた。すると佐藤さんは大きくかぶりを振った。
「決めるのは私じゃないわ。この子よ」
そう言って、ふと足元を見る。
「……あら? どこに行ったかしら。銀ちゃん、銀ちゃんどこ?」
そう言って佐藤さんは階下に降りて行った。僕も慌てて追いかける。
あちこち探して、陽当たりのいいリビングに行くと、そこには佐藤さんの息子らしき人がいた。そしてその横には、僕が用意しておいた座布団の上でへそを天に向け大の字になって爆睡しているサバトラの猫。着いてすぐにバスケットから出して、自由に内見させていたようだ。
「あら、まあ」
佐藤さんは途端に相好を崩して猫に駆け寄った。
「銀ちゃんはここが気に入ったのでちゅねぇ~」
壁の染みよりも何よりも、佐藤さんのその豹変ぶりの方が僕は怖かった。
後はとんとん拍子に話が決まり、佐藤さん一家は広すぎる我が家に越してくることになった。
そして間もなく銀二くんの働きで、カリカリ言っていた床下のネズミ達も大人しくなったのであった。
了
※お題:「住宅の内見」
内見者来訪 千石綾子 @sengoku1111
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