1-4

 勇飛には、ソレが何なのか分からなかった。しかし「(あぁ、僕はもう死ぬんだ)」と悟った。球体は、勇飛に向かって放たれる。黙視した勇飛は、目を閉じた。


「あ……れ」

 勇飛は無事だった。ゆっくりと目を開ける。

「……あ」

 目の前には、勇飛を庇うように立つ咲良がいた。彼女からは、大量の血が流れる。

「ふっ……ぐふ……」

「あ、あぁ……」

 震える勇飛の前に、咲良が倒れる。背中を向けられていた時には、分からなかったが、彼女の正面は、抉られたような深い傷ができていた。

 咲良は、ノートの切れ端を取り出し、ノイズを睨みながら、後ろ手に勇飛にそれを渡す。

「……これ。本当はしたくなかったけど……そこに行けば貴方は、確実に助かる」

「でも!」

「……正直言って、貴方は邪魔、足手まとい。……早く行って」

 血反吐と荒い息を吐く。彼女の持つ刀が一瞬、靄のように揺らいだ。

「貴方は一般人。私はこれが仕事」

 刀を支えに、咲良は立ち上がる。血は流れ、なんとか筋肉を強ばらせて立った。

「例え死のうとも、私は私の責務を全うする!」

 咲良は、刀を構え、歩む。

「(なんで……そこまでするんだ。なんで……僕は何もできないんだ)」

 過去の出来事を思い出す。

「(あの時も、妹を救ったのは、山にいたナニカだ。僕じゃない。また僕は、何もできないのか……?)」

 頭の中で、自身を苛む声が廻る。抜け出そうともがいても、新たな波が押し寄せる。目の前では、重症であるはずの少女が、得体の知れないモノと戦っている。


 ーーあぁ、情けないな。


 少女は膝から崩れ落ちる。異形は、その姿を嗤う。そして、嬲るように少女の横腹を蹴る。悲痛な悲鳴が、閑散とした空地に響く。


 ーー駄目だ。

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。

「(これ以上、何もできないままなんて……情けないままなんて……救われるだけの僕なんて……)」

 咲良の頭をノイズは強く踏見つける。すでに彼女の声は無い。


「嫌、だ」


 ノイズは、不思議そうに、そして「まだいたの?」と言うかのように勇飛を見る。


「……あ、ァ」


「アァ ゛アァァァァア!!」


 勇飛の喉元に、模様が浮かび上がり、光る。

「(熱い……首が、喉が、熱い)」

 幼い頃の夏の日に、異形に触れられた場所を、熱くなった“それ”を勇飛は両手で掴む。勇飛には、確かな感触が感じられた。確かに“それ”は、そこにはある。

「(息が詰まる。苦しい。取り除かなければ。でも、けっして離しては、いけない)」

 勇飛は、“それ”を自身から引っ張り出す。彼の手には、大振りの鎌があった。しかし、それは歪な、まるで抽象的に描いた雷のような、曖昧な形の青白い光の鎌だった。

 勇飛自身は、何が起こったのか分かっていなかった。それでも、何をすれば良いのかは、分かった。

 身体が動く。

「ハァァァァア!」

 大鎌を振り上げ、ノイズに斬りかかる。ノイズは、それを鋭い爪で弾き、後方へと飛ぶ。


 ーー身体が、軽い。


 まるで、ファンタジー世界のキャラクターのように、身体が動く。

 ノイズを追い、前方に飛びかかった。鎌の刃でノイズを斬る。その腕から黒い液体が吹き出る。しかし、ノイズも爪で応戦する。

 先ほどまでは、目で追うのもやっと可能なほどだった。だがこの時は、それに追い付くことができる。

 鎌の刃が振られると同時にノイズは、後方へと素早く重心をずらす。


「逃がす、ものか!」


 分身をしようとしたノイズの首を、後ろ側から引き、薙ぐ。後方へと逃げ、分身を作り出そうとしたソレは、容易く捉えられ、断末魔を上げた。

 ノイズの首が地面に落ちて身体も崩れる。そして、それらは霧散し虚空へと消えた。



 咲良は、その瞬間を見て、微笑む。

「……良い声、出るじゃん」

 そして、彼女は、意識を失った。



「ハァ、は……ふぅ」

 霧散したノイズを見て、驚きもなく、勇飛は、へたりこんだ。ただ、この状況を打破できたという実感のみがあった。ぼうっと考え込んだが、ふと視界に倒れる咲良を捉えて、我に返る。

「ど、どどどどうしよう!血、血が出てるし、救急車呼ばないと……!あぁ、でもなんて説明したら……!」

 勇飛は、慌てて鞄を探り、スマートフォンを取り出す。迷いながらも『119』の番号を押した。

「おい、少年」

「ヒエッ」

 近くから女の声がして、勇飛は、スマートフォンを落とす。黄金に染められた髪を靡かせながら、その人物は、一枚の紙の切れはしとスマートフォンを拾い上げた。そして、画面を操作して通話をキャンセルする。

「ちょ、っと……何を」

「あン?……あぁ、咲良は、アタシたちが引き取るから安心しろ。普通の病院だと面倒だ。獅悠しのぶ

「はい」

 空き地の入り口、すなわち路地の暗闇から、男が現れる。その獅悠と呼ばれた男は、咲良を抱えて去っていった。この様子を見て困惑する勇飛に、女は語る。

「……驚かせたかい?アタシたちは、謂わばってヤツでね」

「は、はぁ」

「そンなことより、さっき見てたが……お前もンだな」

「(……見てたのなら、助けてほしかったんだけど……)」

「うーん、ふむ……猫だけじゃなく犬も……いや、動物植物魑魅魍魎悪鬼羅刹の手も借りたいところだったンだ」

「?」

 何か嫌な予感がする。と感じた勇飛は、後ずさる。そんな彼にも目をくれず、先ほど拾い上げた紙片を、つまみ上げる。

「ンー?うーん……あー、咲良め……こんな切れ端を渡そうとしてたのか」

 その紙は、咲良が勇飛に渡した紙片だった。スマートフォンを取り出した時に落としたようだ。

「ちゃんとした物があるンだから、そっち渡せよ……」

 女は、一枚の紙をケースから出し、勇飛に向ける。

 名刺だった。

「申し遅れた。私は神威探偵事務所所長、神威伊織かむい いおりだ。さっきのは白麒獅悠しらき しのぶ。事務所にはカフェレストランもあるから、是非とも来てくれ。……まあ今の時間帯はバーになっているが」

 勇飛が名刺を受けとると、神威は、背を向け表通りへと歩きだす。

「明日の午後二時半に店に来てくれ。この件について、説明がしたい。……どうやら君、ノイズとは無関係じゃないらしいからな」

「それって、どういう……」

「早く帰るンだぞぅ、少年」

 神威は、歩みを止めずに手を振って去る。勇飛は、あまりにも急な展開に、彼女の後ろ姿を見つめることしかできなかった。


 ****** *****


20XX年 5月9日AM14:10

 勇飛は、スマートフォンを片手に、神威の名刺に書かれた住所へと来ていた。

「(本当にココなのかな……)」

 町の中からバスに乗って数十分。海が見える小さなレストランカフェがあった。

「(探偵事務所……?)」

 勇飛は、再度スマートフォンに住所を入れて検索をかけ、間違っていないかを確認する。そして、何度も、画面と実際の建物を交互に見る。昼の二時までのランチタイムが終わり、閉められているせいか、人は誰もおらず、照明も消えている。どうしようかと悩んだ結果、とりあえず、ドアをノックすることにした。

 勇飛は、息を吸い直し、ドアに近づく。

「んぐっ」

 ガン、と鳴る。ドアが開かれたのだ。それに額をぶつけた勇飛は、ふらついた。

「……誰だ」

 店の中から男が出てきた。男は、欠伸をし、不機嫌そうに勇飛を睨み付ける。

「眠ィってのに、うろちょろと……用がねぇなら帰れや」

「ヒッ……いや、あの、その」

「あぁ?」

「……」

「……?」

 二人は見つめ合う。互いに言葉を発せずにいた。

「……白麒しらきくん。そんなに威圧していると可哀想ですよ」

 白麒の後ろから、恰幅の良い老齢の男が現れた。その男は、黒いエプロンを着ている。

「あぁ……お前、昨日路地裏いた奴か」

「さぁ、上がって。神威さんに呼ばれたんでしょう?白麒くんは、神威さんを呼んできて」

「……へい」

 白麒は、店の奥へと消えていく。一方の、老齢の男に案内された勇飛は席に着く。男は船見ふなみと名乗り、勇飛も挨拶をする。彼との会話は、自然に言葉を引き出されるようであった。

「はいこれ、サービスだよ」

「え、あ、ありがとうございます」

 一杯のアイスコーヒーが、勇飛の前に置かれた。この匂いと、いつの間にか流れ出したBGMが、ゆったりとした空気を作り出す。勇飛は、不思議と心地よさを感じていた。そんな時、空を切る雷のような声が響き渡った。

「待たせたな、少年!」

【Staff Only】と書かれた部屋から、神威が勢いよく現れる。彼女に驚きつつも、勇飛は、頭を下げた。そして、神威がテーブル席に手招き、席を移った。


「さて、昨日ぶりだな。音有くん」

「え、僕の名前」

「なに、調べればすぐに分かるコトさ」

「え?」

「……そう!咲良に聞いたんだ」

「そ、そうですか……」

 勇飛は、訝しげに神威を見るが、彼女は笑っているだけだった。

「(うーん、まぁ、そういうことは、あるのか)」

 幾ばくか強引に、そう思うことにして、流すことにした。いくつかの会話を交わして、ふと勇飛は、疑問を浮かべた。

「えっと、僕の声も聞こえるんですか?」

「あぁ、その事。ノイズが見えるってことが関係しているンだと思う。簡単に言えば感覚が鋭いってところだね」

 カラカラと神威は、笑う。そして言葉を紡いだ。

「コホン。さて、本題に行こうか」

 グラスの中の氷が、カランと鳴る。

「まずは、咲良のことだ。咲良の方は無事。今は自分の家で休んでいるよ」

 勇飛は、胸を撫で下ろす。一拍置いた後に神威は、手でVの字を作る。

「二つ目。“ノイズ”についてだ」

「その、ノイズとは?」

「そうだな、怪音とも言われる、動植物の呪詛や怨念が、噂話や都市伝説という型に嵌まったモノ、とでも言おうか。それがごちゃ混ぜになって“ノイズ”という怪物だ」

「……それなら、あのノイズの超音波みたいなのは」

「聞いたンだな。そうさね、彼らの“叫び”みたいなもんだ」

 神威の顔に陰りが出来た。勇飛がそう感じたのは、その一瞬であった。

「さて、君の話だが……。君、過去にあの怪物……“ノイズ”に会ったことがあるだろう?」

「(……思い当たる節が無いわけではない。でも、あれは……)」

 幼い頃の山での記憶が、脳裏によぎる。勇飛は、少し考える。

「ノイズにも個体差がある。影のように低級のものから神のような存在のものまで。ノイズは、形を得るために、生命力を、特に人のものを糧にしている」

「生命力……」

「うん。生命力ってのは、生き物の“存在”そのもの。言い換えれば“魂”だ。そして“声”もその内にある」

「……」

「……大変言いにくいンだが、君には“生命力”が一般人の半分以下だ。何よりも君の“声”が、なによりの証拠だ」

「……っ」

 あまりにも、非現実的である。突拍子もないことだ。しかし、幼い頃のことと、先日の出来事が、夢ではないことを示す。

 勇飛は、沈黙した。そんな彼を見た神威は、口火を切った。

「時に君は、熊が獲物の狩りをするならば、活きのいい者と、弱っている者、どちらを選ぶと考える?」

「弱っている方と思います」

「ほう、ソレは何故?」

「その方が、返り討ちのリスクもないし、労力が必要ないから?」

「まさしく、今の君の状態がそれだ。弱ってて獲物として狙いやすい。加えて、君の“生命力”は、彼らにとって極上のものときた」

「極上?」

「一般的に言うなら……そうだな。霊感が強いってことだ。どうだい、ファンタジーで滑稽だろう?」

 神威は、手を叩いて笑う。

「路地裏の件は、そんな君が狙われたからだ。学校で居合わせたのは偶々。だが、その時にノイズに目をつけられたンだろう。腹が一杯だったのと、あそこに咲良もいたから、一旦撤退した。とアタシは見ている」

「え、咲良さんが?」

 記憶を辿っても彼女がいたとは思えなかった。勇飛の驚き様に、「ふっ」と神威が笑う。

「君が過去に会ったノイズが、どうして君の生命力を半分残したのか、そこはアタシには分からない。守護霊的な何かに君が守られたのか、それとも人間的な考えで、ご馳走を後で食べようとしたのか」

 カラカラ笑っていた顔が真剣な表情になっていた。そして、いつの間にか彼女の横に座っている白麒が持って来たであろうアイスティーを一口、含んだ。

「昨日の君と咲良とノイズの邂逅を見て、思ったンだ。君は、その状態でも戦えるほどに強い“生命もの”を持っている。けれども、ノイズからは狙われやすく、戦闘経験が無いから、命が危うい」

「……まさか」

「そのまさか、アタシの、対怪音ノイズ専門探偵事務所で働く気は、ないかい?」

「え、いや急に言われても……」

 まごついた様子の勇飛を見ていた白麒が「はぁ」と息を吐く。

「あのなぁ、テメェには選択肢は二つだけだ。生きてぇなら守られろ。そして守る術を学べ。二つやるなら俺達の所に来い。死にてぇんなら、今のままでいい。ただ、そんなに長くはない、とだけ忠告する」

「(死にたくはない。でも、急に言われても)」

「お二人とも、落ち着いて。急に言われても、音鳴君は困るでしょう?」

 船見が言う。彼の手には、複数枚の紙が握られていた。

「……ふむ、どうやら音鳴君は、猫頭鷹軒ふくろうけんという中華料理屋でアルバイトしているみたいですね。そちらのこともあるのでしょう」

「な」

 驚く勇飛を他所に、船見は、その紙束を神威に渡す。神威がそれに目を通し始めた際に、紙が垂れた時に、勇飛の個人情報が覗く。

 勇飛が船見を見ると、彼は、穏やかに笑っていた。

「(何者なんだ……この人)」

 恐怖心を覚えた勇飛は、肩を震わせた。入店時に感じた優しさと安心感は、凍りついた。

「ふーん。猫頭鷹軒ねぇ……。だとすると、店主はアイツか」

 おもむろに神威は、スマートフォンを取り出すと何処かへと電話をかけた。白麒は、「諦めろ」と言うように首を振る。勇飛は、なんとなく絶望を感じた。

「よっしゃ。人材ゲット!……あー音鳴くん。店主に話を着けたが、君には、誠に勝手ながら、猫頭鷹軒を辞めて貰った」

「へっ?!」

「そして、ここで働いて貰うことになった。大丈夫大丈夫。探偵業の方の仕事がない時は、こっちのレストランの方で働いて貰うから!」

 その言葉と同時に、勇飛のスマートフォンに、メールが届く。猫頭鷹軒の店主からであった。内容として『許してくれ。神威サンには、逆らいたくないんだ』というものが書かれていた。

「(この人も普通じゃない……。いや、その前に法律的にアウトでは?)」

「諦めろ新人。神威さんは、こうなった以上止まらねぇ。あと、この人はツテで何もかもを、何とかしちまうから」

「(既にここで働くことになってる……!)」

「なぁに、大丈夫だって!あんな武器出せたんだから、戦えるし、守ってもやれるから」

「そ、そう言うことではなくって……」

 勇飛の小さな声は、無惨にも波に呑まれて、大海に沈む。ただ、その上に広がる空は、ひたすらに青かった。


 翌々日の月曜日。驚くほど、いつもの風景だった。学友と語り、笑い、やがて教師がやって来て、教鞭をとる。

 先日の昏倒事件は、教師が目眩によって昏倒したことによる集団パニック、と処分された。それ以上のことは、教師達は口をつぐみ、生徒も触れようとはしなかった。当事者たちも、健康体と言う結果が出ており、その時の記憶も無く、それで終わった。

 相も変わらず、勇飛の声は、小さく、この日もからかわれる。彼は、苦笑いをする。今までは、どうすることもできなかったから笑って誤魔化していた。しかし今は、少しこの声に自信を、誇りを感じていた。


 ーー彼女も何事も無かったかのように、登校していた。あの抉られたであろう傷も、どこにも無い。

「(あの日は、やっぱり夢だったのかな?)」

 勇飛は、目の当たりにした現状に、そう思うしかなかった。


 下校時間までは。


 スマートフォンが鳴り、メッセージが来たことを知らせる。神威からだ。


寝丑山ねうしやまで事件が発生。

【内容】友人同士で登った際に互いの声で貶し合う。しかし、それぞれが何も話しておらず、急に殴られたとのこと。

 また同時に親子連れの子供がいなくなったとのこと。親は子の声を聞きながら目を離していたところいないことに気がついたが、声だけ聞こえていた、とのこと

16:30までに登山口で集合』


「夢じゃ……なかったか」

 スマートフォンを鞄にしまう。

「音鳴くん」

 振り替えると、咲良が立っていた。

「この間は、ありがとう」

「……ううん、気にしないで」

「そう……。それじゃあ、集合場所に行きましょう。白麒さんが車を出してくれるから」

「うん。分かった」

 校門の近くに停車している、シルバーのバンに向かって歩き出した咲良の後を勇飛は追った。


 -END-

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Noise 崚我 @fia50-Reog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ