1-3

「音鳴くん!」

 聞き覚えのある声が、勇飛の意識に届く。

「(誰だろう?)」

 ぼやけた視界には、黒くて長い髪の女性が写る。先ほどの黒いナニカでは無いことは、明らかだった。

「音鳴くん!」

「あ」

 意識を覚醒させた勇飛は、身体を起こす。そこは、路地裏だった。波に揺られるような感覚に苛まれつつ、辺りを見回した。

「よかった……生きてた」

「咲良さん、なんでここに?」

 咲良がそこにいた。咲良は、地面に膝をついていた。

「コホン……そんなことは、どうでもいいの。音鳴くん。その……気を失う前に、何か視た?」

「……うっ」

 異常に身体を曲げた茜里のような何かを、そして渦を巻いた顔を持つ黒い異形。それらが思い出され、勇飛はえずく。あの姿を意識するだけで、気分が悪くなる。

「そう……視たのね」

 咲良は、立ち上がる。自身の口元に片手を持っていき、ハァ、と息を吐いて、手を離していく。すると、その手の中には、淡く輝く一振の刀が現れていた。

「私から離れないで」

 目の前で行われた、ファンタジー小説のような出来事に、勇飛は、唖然とする。「夢か?」と無意識的に、そして自身にも聞こえない声で呟く。

「夢じゃないわ」

 その言葉に勇飛は、驚き肩を揺らす。

「聞こえているわよ。私、とても耳が良いの」

 息を吸う。

「来る!」


 ギギィン


 一瞬だった。黒いナニカの鋭い爪と咲良が持つ刀がぶつかる。咲良は、それを弾く。否、黒いナニカが自ら離れたのだ。

「ア、アレ。あれって何なの」

 急いで刀を構える咲良の背後に隠れる。

「……ノイズ。そう呼んでいる。けど詳しくは後!」


 ギギィィン


 ノイズは、腕を振り上げて飛ぶ。そして再び、爪と刀が競り合った。そして、ギリギリという音が鳴る。ノイズを弾き、今度は、咲良から斬りかかる。腕にかするものの、それは、まだ動きが止まらない。

 金属がぶつかり合う音が、辺りに響く。激しくぶつかり合う刀と爪。素早く動く彼女らを、勇飛はただ視ることしかできなかった。

「ぐッ!」

 ノイズの蹴りが、咲良の横腹を抉った。彼女は何とか刀で防ぎ、脚を刀で弾く。そして再び斬りかかるが、腕で止められ、防がれる。

「ハアッ!」

 咲良は、刀を返し、薙ぐ。ノイズは、胴で二つに別れた。切り口からは、靄が溢れだし、そしてその身体は、消えた。

「ふぅ……」

「あ、あの」

「信じられないよね。うん。………怪我はない?」

 目の前での出来事に理解が追いつかず、咲良を見つめることしかできずにいた。月光だけが彼女を照らす。物語の主人公のように、佇む彼女に、勇飛は憧憬した。

「うん、大丈……あ」

 彼女の肩越しに“何か”を勇飛は見た。刹那、咲良の姿は消える。その後、衝撃音が響き渡った。廃墟ビルの壁が崩れており、そこに咲良はいた。先ほど彼女が立っていた場所には、消えたはずの“アイツ”が立っていた。勇飛は、後退る。

 ノイズは嗤った。その音はないが、勇飛には、そう見えた。

 パラパラと、壁が崩れる。

「ケホッ……んぐ、ゲホッぐふっ……油断した。分身を身代わりにするなんて……」

 土煙の中から、咲良が現れる。腹部を抑えた彼女の口からは、血が流れていた。

「逃げなさい!コイツ……手強い!」

「で、でも……!」

「早く!」

「っ!」

 異常だ。それは、勇飛には分かりきっていた。そして逃げなければならないということも、自分が足手まといだということも分かっていた。

 しかし、逃げることができない。動けなかった。

 咲良のことも一人にしておけないという矛盾した気持ちもあった。だが、動けなかった理由は、もっと単純なものだった。

 ーーそれは原始的な恐怖だ。

 身体の先端が冷たい。

 膝が震える。

 筋肉が固まる。

 涙が溢れる。

 声が詰まる。

 それらが、勇飛に、一度にのし掛かる。

 ファンタジーの中の世界が、眼前(現実)にあった。そして、物語のようにヒーローが必ず勝つというようなことは、非現実であるということに、絶望を覚えるしかなかった。

 ノイズは何かを閃いたようにパチンと指を鳴らす。

 ノイズの顔の、渦の中央部分が、口を開けるように横に裂ける。そしてそこから、球体が浮いて現れる。球体も渦を巻き、そこから甲高い金属音や、人の悲鳴、怒号、まるで不快な音を混ぜ合わせたような音が響き渡る。

 勇飛には、ソレが何なのか分からなかった。しかし「(あぁ、僕はもう死ぬんだ)」と悟った。球体は、勇飛に向かって放たれる。黙視した勇飛は、目を閉じた。

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