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 20XX年 5月7日 木曜日 PM7:00


「やっと終わった……」

 勇飛は、薄暗くなった校内を歩く。肩や首を回すとコキコキと鳴る。五月下旬に控えている生徒総会の準備の中で、ホワイトボードに掛かりきりであったためである。窓の外を見ても、やはり静かであり、誰もいない。

「(茜里あかりは、もう帰ったかな)」

 静かで、ただ暗いだけの階段を下りていく。


 キィィィイン


「っ痛……!」

 一階に降り立った時のことだった。静寂のせいか、疲労のせいか。突然の耳鳴りが勇飛を襲う。それは一瞬であり、嘘のように痛みが引く。

「(早く帰ろう)」

 勇飛ゆうひは、昇降口へと出た。

「……え?」

 昇降口の手前で勇飛の足が止まる。異様な光景が目に入ったからだ。蛍光灯が、チカチカと点滅する。

 中数人の中等部の生徒達と一人の教師が倒れていた。部活終わりなのか、ジャージ姿である。そして、この中には、知っている人間もいた。

「茜里……!」

「う、ん。お兄ぃ……ちゃ」

 茜里は、意識を失った。しかし、息はしている。これに安堵した勇飛は、少し落ち着きを取り戻した。だが、顧問と思われる教師も倒れている。助けを呼ばなければならない状況であった。

「(……まだ、先生は残っているだろうか?まずは、呼んで……)」

「うわ、なんスかこれ」

 後からやって来た、他の生徒会のメンバーが言う。勇飛は、伝わらないと分かっていながらも、声と身振りを交えて、助けを呼ぶよう伝えた。副会長が頷いて、着た道を戻っていく。なんとか、伝わったようだった。

 ほどなくして、先生が駆けつける。それと同時に、残ったメンバーが呼んだ救急車もやって来たのだった。


 発見された者達は、搬送後に目が覚めたと、勇飛は聞いた。しかし、直ぐに帰される事はなく、彼らは、一日検査入院という処置がとられた。そして、中等部昏睡事件があったことから、原因究明のために、他の者達も休校という措置がとられた。



 20XX年 5月8日 木曜日 PM9:30


 いつもよりも早くアルバイトが終わった勇飛は、帰路に着く。町の中心にある飲食店を出るとこの時間であっても、人の往来は激しい。その様子を見て、人と関わることが苦手な彼は、少し気分が悪くなった。


「オ……イチャ……」


「うん?」

 突然聞こえたソレに、勇飛は振り向く。しかし、誰かを呼ぶ素振りをする人はいない。すると再び声が聞こえる。

「ォニィチャン……」

「え?」

 今度こそハッキリ聞こえた。声が聞こえた方向を見ると、人と人との間、離れている場所に、まだ検査入院しているはずの茜里の姿が見えた。彼女は、うつむいたまま、路地裏へと消えていく。

「なんで……?」

 確認しようにも茜里は今、スマートフォンを持っていない。この事を思い出した勇飛は、あり得ない現象に困惑しつつも茜里の後を急いで追った。


「茜里!」

 中心街の道から長い距離を歩いた。ただの路地にしては、とても長い。それに疑問も考える余裕がなかった勇飛は、妹の背中を追って進む。やがて、廃墟ビルの入り口がある、少し開けた場所で、彼女は足を止めた。

「オ……」

 月の光に照らされた彼女の声が響く。人の気配が感じられないほど静寂であることに勇飛は気づく。

「オォ、ォ、ニィ チャ ン」

 茜里は、ゴキッという音と共に首だけを百八十度回転させる。否。茜里みたいなナニカは、音を立てて形を変えていく。“ソレ”は、黒く光沢を帯びた人型の“ナニカ”となった。かおは無く、グニャリと捻れた渦がそこにあった。人の言葉のように、ソレは、怪音を発し始める。


 キィィィン

 ーー耳鳴りがする。


 ソレは、勇飛に近づく。

 貌の中央、渦の深淵に、勇飛の視線が落ちていく。暗く、重く、冷たい、水底へと落ちていく。


「あ、が、あぁ……」


 ギイイィィィィイン

 ーー耳鳴りが強くなる。


 ソレの両手が勇飛の頬に触れた時に、勇飛は、白目を向き、泡を吹いて、糸が切れた操り人形のように、膝から崩れ落ちた。



 ****** *****



 勇飛が子供の頃のこと。夏休みを利用して、両親と妹と共に、祖父母が住む田舎へと赴いた。

 数件の民家と田畑、役場の支所と個人経営の商店が一件ほどある程度の小さい村であった。少ない子供達の遊び場は無く、必然的に境内や山の中に遊び場となっていた。村外部から来たの勇飛も例外ではなく、村の子供達と山へと遊びに出ていた。

 その日は、村の子供達とは都合が合わず、勇飛は、まだ五歳の茜里と山の中へ入って遊んでいた。山の入り口には石の鳥居があり、その先は、車が一台通れるほどの、土と砂利の山道があった。

「お兄ちゃんー待ってー!」

「茜里ー、早く来いよー!」

「待ってー!」

「あははは!」

 笑い声が山の中を反響する。八歳の勇飛は、好奇心旺盛で元気な少年だった。都市に近い町の中で生まれた彼にとっては、自然の中での物事は、何でも“珍しいもの”として写った。土の道、茂った草木、鳥の囀り、全てが輝いて見えていた。

 茂みがカサリと動く。

「なんだ?」

 葉を避けると小さなリスがいた。リスは、驚きの表情をして固まっている。勇飛は、それを面白いと思った。

「茜里ー!こっち来て、リスがいるよ!」


 ザワザワ


 木々の葉が擦れる音が答える。

「茜里……?」

 返事は無い。振り向いてみるが、姿もない。来た道を覗いてもやはりいない。ガサガサと茂みが揺れる。先ほどのリスが走り、逃げていく。カラスが飛ぶ。勇飛は、全ての音が耳元で鳴っているように感じた。

「(どうしよう……)」

 焦燥感を駆り立てられた。

 穏やかな山中とはいえ、山道を外れれば、暗い森や急な斜面がある。また、先日ニュースで見かけた熊が人を襲う報道が、勇飛の頭の中を過る。額から冷や汗が流れる。同時に足が動いた。

 登ってきた山道を駆けて、茜里の名前を叫ぶ。時折、崖下の河川や、獣道を覗きながら、叫び、走った。

 大人を呼ぼうという考えには、この時の勇飛は、至らなかった。


 やがて息が切れる。どんなに走り回っても妹の姿が見えない。空も日が傾き始め、暗くなってきた。親からは、夕焼けが見える前に山を下りなさいとも忠告されていた。

「もし、茜里が……見つからなかったら、どうしよう」

 あらゆる感情に押し潰されそうになった勇飛の目からは、涙が溢れ、流れ落ちる。それは止まらない。

 ふと、山の奥の方を見ると、古く小さな社がポツリとあった。勇飛は、その社の元へと行き、手を合わせる。

「神様……お願いします。妹の茜里がいないんです。僕が悪いんです!妹は山から下ろしてやってください!僕はどうなってもいいから!」

 勇飛は、必死に社にすがった。何の神が、そもそも神なのか分からない“ソレ”にすがるしかなかった。


「オマエ ハ」


「?」

 社からだった。男か女か分からないが、低く、重く、直接頭に響くような、不気味な声。刹那的に勇飛は、身体を強ばらせた。恐怖を得たからだ。

「……オマエ ハ 妹ヲ 探シテイル ノカ」

 社のソレは、小さく笑う。

「心当タリ ガ アル」

「それなら……!」

「……良イ ダロウ」

「ッ!ありがとうございます!」

「ダガ、只デハ イカナイ」

 社の扉が開く。


「ソレ ヲ チョウダ イ」


「キレイ ナ イノチ」


「え?」

 社から伸びた黒い異形の両腕は、勇飛の首元へと伸びる。

「オマエ ノ 生命 ヲ 我ガ 贄ニ」



 気づいた時には、祖父母の家で寝かされていた。玄関からは、母親と誰かが話す声が漏れている。

「いいえ、いいえ。お子さん達に大事がなくてよかったです」

「本当にご迷惑をおかけしました」

「それにしても、驚きましたよ。山の入り口で倒れているのだもの。日射病かしらねぇ」

 いくつかの言葉を交わして、ピシリと玄関の戸が閉まる音が聞こえた。

「(帰ったのかな)」

 静けさを取り戻した家の中では、元気に茜里が喋る声が、勇飛の元にも聞こえた。

「(良かった。茜里は無事だったんだ。……あの時の、社のヒトが助けてくれたんだ)」

 勇飛は、布団から出て、廊下に出る。

「あら勇飛、起きたのね」

 母親が歩み寄って、勇飛の頭を撫でる。

「ォ かァ さ ン」

「……その声は、どうしたの?」



「(ーーあぁ、そうだ。この時だった。僕が、上手く声が出せなくなったのは……)」


 ****** *****



「音鳴くん!」

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