Noise

崚我

1-1

20XX年 5月8日PM9:50

 日本列島北部にある地方中枢拠点都市の路地裏で、音鳴 勇飛おとなり ゆうひという名の青年は、一つの異形と対峙していた。異形から常に発せられる怪音は、青年の意識を奪うには十分であった。

『……前にもこんなこと、あったような』

 勇飛は意識は、起源的な恐怖とともに沈んだ。


 ****** *****


 木々の葉が生い茂る山で、少年は一緒に遊んでいたはずの妹を探していた。カラスは夕暮れを知らせ、少年は焦燥感に駈られる。そして、偶然見つけた古く小さな社に手を合わせる。

 社の門が開き、黒く長い腕が少年の頬を覆った。


 ーーーあの時に見たアレは、何だったのだろうか?


「ソレ ヲ チョウダ イ」



20XX年 5月7日 AM11:00

 ガタンと、机に頭をぶつけて目が覚める。机上のペンが、床へと落ちる。教室に広がる静かな空気と数多の視線が、勇飛に突き刺さる。

「おい、音鳴。窓際で気持ちいいからって寝るなよ」

 ため息を漏らしながら言う。

「ひぁっ、あ、すみませ」

「あー、いいから。じゃ、音鳴。次の文を読んで」

「は、はい。えっと」

 勇飛は、隣の席に座るクラスメイトから教えられた文を読み上げる。ーー少なくとも彼は読み上げているはずだった。

「先生ぇ、クンの声が聞こえませーん」

 男子生徒が言った。これに呼応するように、クラス中がザワザワと嗤う。

「もっと声を出せよオトナシィ」

「そうだぞ、音無くん」

「え、っと」

 再び、否、更に大きいに嗤いの波が音鳴の声を飲み込んだ。一度沈んでしまえば浮上は難しい。勇飛は、熱を帯びた顔を教科書で覆う。

「はいはい、お前ら静かに。あー、じゃあ、今、音鳴が読んだところを……あー……咲良、もう一回読んで」

「はい」

 まだ波が立つクラスの中、返事をして咲良美聡さくら みさとは、静かに立ち上がった。そして、教科書の文字を読む。すると、先ほどまで白波が立っていた海は、自然と、穏やかに凪いだ。彼女の澄んだよく通る声は、爽やかな風のように教室の中を巡る。

 音鳴は、彼女が読み上げる姿を見る。その声に憧れていた。


 チャイムが鳴り、四限目の終わりを告げる。昼休みとなると、静かだった空間が生徒達の賑やかさで溢れかえる。そんな中、ひっそりと勇飛は、朝にコンビニで仕入れていたメロンパンを一口齧り、コーヒー牛乳を口に入れる。誰とも話すこと無く、黙々と食を続けた。その時だった。教室の入り口の方から声がする。

「音鳴くん」

 勇飛が、声が聞こえる方を見ると、咲良と中等部の制服を着た少女が立っていた。少女は手招きしながら『おにいちゃん』と口を動かしている。勇飛は、食べていたものを置いて、自身の妹の元へと行く。


 咲良が「それじゃあ、私はこれで」と言って教室の中へと戻ると音鳴茜里おとなり あかりは、話し始めた。

「お兄ちゃん、お母さんに部活で帰るのが遅くなる、って連絡してくれる?」

「は?なんで、そんなことを。スマホあるだろ?」

「家に忘れた」

「……そっか。うん、分かった」

 勇飛は、制服のポケットからスマートフォンを取り出し、連絡用SNSを起動する。慣れた操作で文字を打ち込んでいく。

「何時くらいになる?」

「うーん……六時半くらいかな」

「ん、おっけ。はい送信したよ。……そういえば大会に向けて、とか言ってたっけ?」

「そうだよ。今年こそ全国行くんだから!」

「頑張ってね」

「あたりまえ!それじゃ、ありがと」

 茜里が微笑む。その時、男子生徒が声を上げた。

「おーい、ダイジョーブか?ソイツの声聞こえてる?」

「てか、中等部の子?もしかしてオトナシ君の妹さん?妹さんの声は、ちゃんとハッキリ聞こえるね!」

 勇飛の後ろ。すなわち、教室の中からの声だ。その声に勇飛は、苦笑する。一方で茜里は、苦渋の表情を浮かべながら、頬を赤らめて、早歩きでその場を去る。

「あらら、妹ちゃんに嫌われちゃったねぇ」

「ははは、そんなことないよ」

「え、何か言った?」

 教室にいる一部の者達の笑い声で、その場は湧き返った。そんな中でも勇飛は、顔から微笑みを外すことはなかった。

「はいはい!みんな、人をそんなにからかわない!」

 また、澄んだ声が響き、波が凪いだ。そして、勇飛を笑ったクラスメイトは、ニヤニヤと笑いながら「ゴメンゴメン」「冗談だって」と口々にこぼす。勇飛は、それらを聞きながら席へと戻る。その途中で咲良とすれ違う。

「咲良さん、さっきはありがとう」

 すれ違い際に勇飛が言うと、咲良は「ふん」と言い、今度は教室の外へと去っていく。これにも勇飛は、困ったような微笑みを外さなかった。

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