探検家ロカテリアの間借り【KAC20242】

竹部 月子

探検家ロカテリアの間借り

 探検家ロカテリアは、大家と一緒に賃貸物件の前に立った。

 空色の壁に、明るいオレンジで塗られたドアが映えていて、なかなか洒落しゃれた建物だ。

「先生、せんせーい」

 大家がけたたましくドアをノックすると、そっと扉が開く。

「家賃は……あと三日待ってください」

 そう言った青白い顔の男は、目の下にひどいクマを作っている。


「先生、家賃の滞納がもう三月みつきになります。そこでね、間借り希望のお客様をお連れしたんですよ!」

 まるで部屋の主が承諾済みのような口ぶりでここまで連れてきたのに、これから交渉かいとロカテリアは面白そうに笑う。

「ささ、ロカテリア様も中へお入りになって、部屋をご覧になって下さい」


「え?」

 青年は口を開けて玄関前に立っている人物を見つめた。

 総白髪しらがを後ろで一つに編んだ、痩身の婆さんは、丈の長いコートを羽織って、片手にトランクを持っている。 

 固まっている青年の横を、ロカテリアは「邪魔するよ」とすり抜けて室内へ入った。


「こちらがキッチンになっておりまして、奥がリビングです」

 あまり使用されてなさそうな台所には、パン屋の紙袋としなびたリンゴが置いてある。

「シャワーはこちらです」

「お湯は出るのかい?」

 もちろんですと大家が胸を張ると、上等だねと彼女は口笛を吹いた。

 テーブルの上いっぱいに広げられた原稿用紙と、本の山を見て、ロカテリアは青年が物書きの「先生」なのだろうと推察する。

 

「待ってください! まさかこの人を僕の家に泊めろと?」

「そうですよ。クラゲ祭りでどこの宿もいっぱいでお困りなんです。なんとロカテリア様は十日ほど間借りさせてくれれば、一月分の家賃を肩代わりしてくださるって言うんですよ!」

「で、でも、男の一人暮らしですよ」


 単に断る口実だったのであろうが、思いがけず女扱いされたことに、ロカテリアの口角がニンマリと上がった。

「じゃ、十日で家賃三カ月分ならどうだい?」

 大家がもろ手をあげて喜んだのはもちろん、この条件には青年も目の色を変えざるを得ない。

 

「アンタだって、七十歳のババアにむしゃぶりつくほど困っちゃいないだろ?」

「むしゃ……? ば、馬鹿なことを言わないで下さい、僕には婚約者がいるんです!」

 

「先生、スランプなんでしょ? 探検家ロカテリア様の話を聞かせてもらったら、またパーっといいものも書けますって」

 金の話より、そちらに強く反応した青年を見て、ロカテリアは握手のために手を差し出した。

「決まりだ。よろしくね、センセ」

 

 札束で頬をはたかれるように始まった奇妙な共同生活は、青年の予想に反してずいぶんと穏やかだった。

 執筆する時間を邪魔されるのが一番気がかりだったが、青年が書き始めるとロカテリアはフラリと出かけていく。

 それでいて、行き詰まってぐったりしてくると、はかったように夕飯を買い込んで帰宅するのだ。


 キッチンに総菜を適当に広げて、ロカテリアは青年を手招きする。

「飲むかい?」

 ワインの栓を抜きながら老婆が尋ねた。

 青年が首を横に振ると、ロカテリアは立ったままビンに直接口をつけて、ワインを流し込み、チキンをかじる。

 適当につまみな、と勧めてもらったので「今テーブルを片付けますね」と青年は言ったが、ロカテリアはすぐにそれを止めた。

「いや、いいよ。あそこはアンタの仕事場だからね」


 そんなことより面白い話を聞かせてやろうか。

 酒が回ってくると、探検家ロカテリアは上機嫌に話し出す。

 高山に住む少数民族が故郷に残してきた神の姿、地底湖に眠っていた宝石、嵐の砂漠を砂クジラの口の中で越えた話。

 彼女はたった今、そこから帰ってきたかのように鮮やかに物語り、質問責めにしてくる青年へは、真摯に答えてやったり、適当にはぐらかしたりした。


 そんな穏やかで、不思議と心地いい日々が、続いていたのだ。


 食事を終えると、いつもロカテリアは丸椅子を持って行って、細く窓を開けてタバコを吸った。

 窓枠にヒジをつき、片膝を立ててタバコの煙をくゆらす。

 背中に垂れたお下げ髪がしっぽのようで、青年はなんだか彼女は気まぐれに部屋に居着いた猫のようだと思った。

 

空海月そらくらげ、綺麗だねぇ」

 産卵期になると、群れで海から飛び立つ空クラゲは、月に引き寄せられるように浮遊していく。

 ちょうど街の上空を、青白い光の帯が横切っているところだった。 

「あなたもクラゲ祭りを見にこの国へ?」

「『海月渡りのはるか』良かったからね」

 思いがけず著作のタイトルを出されて、青年は頬を染め、それからすぐに唇を噛んだ。


 空を渡るクラゲと共に世界を旅する冒険物語は、異例の大ヒットになり、青年を街の作家大先生へと押し上げた。

「でもあれは、実物を知っていたから書けただけで、僕には本当は文章を書く才能なんて無いんです」

 事実、その後に書いた作品はどれも鳴かず飛ばず。

 本が売れなければ原稿料は入らず、調子に乗って借りた高級アパートの家賃と、婚約者からの結婚の催促ばかりが溜まっていく。


「分かっているんです。流行はやりものを書くべきだって」

 時流は政治闘争モノなのだ。民衆が手を取り合って、横暴な政府に立ち向かい、新時代を創る物語が求められている。

 クラゲのようにフワフワとした空想冒険物語なんか、本来売れるはずがないものだったのだ。


「どうして? 書きたいものを書けばいいじゃないのさ」

 知ったようなことを言う老婆に、つい青年は八つ当たりで乱暴な口調になる。

「僕が書きたいものは読まれない。本が売れなければ結婚どころか、家を追い出され、明日食べるパンにも困るんですよ!」

 

「確かにね、パンが買えない日々は、ひもじくて辛いだろう」

 でもね、と彼女は人差し指を青年の胸につきつけた。

 そして、ゆっくりと口の端を上げて、とても偉そうに言ったのだ。


 その言葉は、一晩中青年の頭の中で暴れまわって、ひどく始末が悪く、明け方まで彼を寝付かせてくれなかった。

 しかも青年が目覚めると、既に家の中にロカテリアのいた痕跡は全く無い。

 約束通り三か月分の家賃を支払って、彼女は街から去ってしまっていたのだ。

 青年はその日一日をぼうっとして過ごすと、翌日から昼夜を問わず、寝食を忘れて書き続けた。

 



 探検家ロカテリアは、あのクラゲ祭りで有名な街から、遙か東方の国の公園で、昼下がりの読書を楽しんでいた。

 手には、この国の言葉に翻訳された青年の新刊がある。

 「闘争」「暗黒政府」の帯が並ぶ書店の平積みの中に、ひときわ高く『銀色猫の旅』が積まれていたのを見つけた時、ロカテリアは頬がゆるむのを抑えきれなかった。


 旅に憧れつつも、住み慣れた港町での暮らしを捨てられない友人に、銀色猫は言うのだ。

「確かにサカナが食えなきゃ、腹ペコで悲しくなるだろうさ」

 銀色のしっぽをフサリと揺らして、猫はキラキラと目を輝かせる。

「でも情熱と浪漫を無くしたら、僕たちの魂は、きっと死んでしまうよ!」

 

 新緑の風に吹かれながら、ロカテリアは満足気に目を細めて、ゆっくりとページをめくっていった。

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探検家ロカテリアの間借り【KAC20242】 竹部 月子 @tukiko-t

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