第72泳
「こちらです!」
ナビは元気よく言うと、なんと司法の裏手に回って、木のうろのようにぽっかりと口を開けたところに案内してくれた。あれだけ恐ろしく不安な気持ちになった司法だが、その裏口は花を模した工作で飾られた、まるで子どもの部屋のそれである。
裁判長のナンデモオコルは、司法の中に住んでいるのだ。円柱型の部屋が、三階ほどもある巨体を楽に納めている。法廷よりもいくぶん手狭な感じだが、それは子どもの人魚が何人もいるせいかもしれない。
ナンデモオコルの周りに子どもの人魚たちが戯れ、まるで幼稚園のような空間が広がっていた。
グリンは壁に背中を擦りつけるようにしながら、リムを守ることにした。素早い子どもたちの動きが恐ろしい。
それから、部屋の質素な壁には、文字版が掲げてあるのを見た。子どもの人魚たちはそれを見て文字を覚えたり、年長の人魚と本読み会をしたりしているのだ。
「すまないね。旅の途中で」
ナンデモオコルは、法廷で会ったときと同じツノ、同じひし形の目、筋肉も豊満な体つきをしていたが、ここでは母性的というか、やさしさを纏っていた。迫力を残したままの声も、なんだか包容的である。
ナンデモオコルのため、ドアもなにもかもが規格外に大きい。そのため子どもの人魚たちは自由に泳ぐこともできる。その子どもたちに聞かせたくないのか、ナンデモオコルはグリンとリムを別の部屋に案内した。
縦穴をストンと降りていくと、頭上に子どもたちの声が遠くなる。ナンデモオコルは後ろ手に金属のマンホールに似た扉を閉めて、グリンの体ほどもある光るサンゴにエサをやり、部屋を照らした。太い一本のサンゴは、部屋の中心に植え込まれている。
円形の部屋に窓はなく、壁をぐるりと取り囲むように本棚が並んでいた。
「本に囲まれちゃったなあ」
こわごわ背中から出てきたリムが、部屋を一周して驚いている。
「ここは図書館みたいなものさ」
ナンデモオコルはそう言って、憂いのある目をグリンに向けた。
「頼みがあって、どうしても。ユキについて教えてほしいんだ」
豊かな声が静かに、図書室の本たちに染みていった。ナンデモオコルは凛として、顔付きは神妙だ。
グリンがユキの肖像画を取り出すと、ナンデモオコルはその大きな目から大粒の真珠をポトポトと落とした。泣いたのだ。
「ああ、ユキというんだね。名前を変えやがって、まあ、変えるんだろうと思っていたけどね。流行りのやつに」
リムは落ちてきた真珠に驚いて、一度はグリンの背中に隠れたものの、またすぐに出てきていたく同情的な声を出した。
「裁判長、裁判長。どうしたの」
「あの子、ワルワーラは、ユキはね、私が街に連れていった子なんだ。北の海から、みんなで長い旅をしたんだよ」
それからユキの肖像画を愛おしそうに、両手の短く太い指に上手に挟んで、またポロポロと真珠の涙を流した。
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