第56泳

 ところで、ここに寝坊助のイソギンチャクがいた。こぶしほどの大きさの若者で、幹にへばりついて暮らしている。体はレモン色で、起きているときはたくさんの手をそよがせていて、なんと好物は魚である。


 名前をレミュウというこのイソギンチャクは、起きたばかりだった。寝ているときは全ての手を上手に畳んでいるので、不思議な形の岩に見える。

 目が覚めると、まず手という手を伸ばして背伸びをするのだが、今日はそのとき、偶然にも目の前に、みにくい男の人魚がいた。どこかに向かっているようだが、レミュウはよく考えない。

 背中に布なんかかけて、なんだ、おしゃれのつもりかと苛立った。レミュウはほとんど何にでも腹を立てる短気者で、怒りは長続きしないが瞬間的に噴き上がる。


 だからグリンの背中の布に手を伸ばし、とってやった。


 ここからは文字通り、あっという間もない出来事である。


 レミュウの無数の手が布をとりはらうと、そこには哀れなリムがいた。急に視界が開けて、驚いている。

 あ、魚がいる、とレミュウは思う。思うが早いか、さっと手を伸ばしてリムを絡めとって、パクンと口に入れてしまった。

 レミュウは後先を計算しない。したとしても、魚が二匹、一匹食べたらあと一匹、というくらいの単純なもので、それも面倒でいっぺんに二匹を口に放り込む。


 グリンが振り向き、飲み込まれていくリムを見た。こちらも見るが早いか、躊躇いなく左手で、レミュウの喉元をギュウと絞る。

 リムを飲み込もうと体を細長く伸ばしていたレミュウは、グリンの左手に根元を握られて、首を絞められたようになった。


 顔は緊張しきってこわばり、真珠の目だけを飛び出そうに見開いたグリンは、間髪入れず、右手の細長い指をレミュウの口から突っ込んだ。


「うげ」

 リムはポンと吐き出された。

「良かった! リム!」

 両手でリムの小さな体を受け止めたグリンが早口で言うが、リムは気が遠くなってだらりとしたまま、友人の言葉に反応しない。グリンの胸は潰れた。

「リム! ああ、リム!」


 嘆くグリンを目の前に、レミュウは謝ることはしない。むしろ、それは哀れっぽく、しかも大胆に泣いてみせ、騒ぎ始めたのだった。

「うわあー! 人魚に乱暴された! 男の人魚だ! みにくい男の人魚だ!」

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