第41泳

 その騒動を知らぬまま、真っ黒で手のひらほどの大きさの、太った涙型の生き物がやってきた。その生き物の速さといったら、落ちる水滴ほどである。

 背の高い海藻をぴょんぴょんとカエルがするように伝って、囁き話が聞こえるところに陣取った。


「人魚と魚がケンカしてるらしいぞ!」

「なあにそれ、見に行こう」

 そんな会話を耳に入れると、やはりのっぽの海藻を伝ってついていき、噂の中心地へと近付いていく。


 やはり真っ黒の短い手足は、イモリのような質感だ。揺れる海藻をピタリと抱きしめ、その涙型の黒い生物は、人魚と小魚の様子を伺いはじめた。

 太ったオタマジャクシのような胴体、しっかりくっついているしっぽが先端になるにつれ細くなっているから、涙型に見えるのだった。


「リム、ダメなんだ。ここに住んでくれ」

「嫌だね。嫌だったら、嫌だ。絶対に嫌だ」

 こんな押し問答の大元に、飛ぶように海藻を移動しながら近付いていく。


 この黒い涙型の生き物にとって、こんな潜入は朝飯前だ。泳ぎには自信があるし、一面の砂礫で身を隠すところがなくても、ロケットのように砂に突っ込んで煙を立てるか、そのまま潜ってしまえば良いのだ。


 四つん這いの姿勢をとった男の人魚と、その眼前でぱたぱたと動き回る小魚が目に入るところまで来ると、その生き物は宝物でも見つけたように、にやりとした。

「グリンにたくさん、海藻が生えたらいいんだ!」

「ひどいじゃないか! 僕はそれで医者を探してるのに!」

 背中に海藻が生えて困っている男の人魚に、クリーム色の小魚だ。


 あれがグリンとリムだろうと当たりをつけるやいなや、隠れていた海藻からぴょんと飛び出す。二人の上に浮かぶと、短い手足を横にバッと広げてゆっくりと落ちながら、ひどいがなり声を出した。

「おしらせ! おしらせ! こちら飛尾ひおでござい!」


 頭上からとどろく荒っぽい声を聞いて、リムはすばやくグリンの背中に隠れてしまった。グリンはふわりと眼前に落ちてきた生き物を前に、こころは大変な驚きようで、体の恰好もそのままに固まっていた。


 この飛尾という生き物は、速達で伝言を届けることを生業にしている。

 「飛尾ひお」という名前がいのちに付いているのか、それとも仕事の上で使っていたものがすっかり馴染んでしまったのか、実は本人もよく覚えていない。


「おしらせ! おしらせ! こちら飛尾ひおでござい!」

 声を張って名乗りを上げること、驚く客の顔、飛尾はとにかくそれが楽しい。


「グリン! 食べられちゃう! 逃げて! グリンったら!」

 大慌てのリムが、グリンの背中に生えた海藻をグイグイ引っ張る。うまくくわえて、体中をくねらせて力を込めるが、背中の皮までがピンとなるだけで、本体のグリン自身はやっぱり凍ってしまっていて、飛尾を見つめるばかりだ。


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