第37泳

 グリンとリムは、北西へと進路をとる。もう、はじめてやってくる海域に達していた。右手の長い指に、コンパスを絡めて握りながら、時々チラリとのぞく。

「ううん、なかなか、難しいんだな」

「グリン、どうしたんだ」

 背中にぴったりとくっついて、リムが言う。急に寒くなるといけないからと、背中に布をかけたままでいた。こうしていれば、グリンの背中はリムいわく「まるで夏のサンゴ礁くらい」にあたたかいのだ。

「僕、泳ぐのが遅いからね。流されちゃって、なかなか進めない」


 ボコボコと盛り上がった岩に、べったりと緑色の苔類が張り付いている。こうした地味な海がしばらく続いていた。

 クラゲの頭より大きな体をした魚たちが、余裕の表情でうろついている。


 グリンが過ごしてきた温暖な南の海は明るかったが、太陽が遠くなったのか、あまり光が入らない。マリンにもらったコンパスは、暗闇の中でもほんのり光るものなので、その機能が心強い。


 はじめての海域に深刻になるグリンに、リムは眠っているとき以外はおしゃべりを仕掛けていた。

「ねえ、グリン! 次に行くのは、大都市だよね!」

「そうだよ。大都市リュウキューウ」

「名前がある! 前の街は、名前ないの?」

 グリンやユキがミルクをもらっていた街に、名前はない。


 歴史は、一人の人魚に遡る。

 その人魚は、理由はどうだか伝わっていないが、とにかく地下を掘り進め、砂地の家を一軒だけ建てた。そのうちに明かりが欲しくなり、イソギンチャクを入れた壺型の家を置き、発光するサンゴを天井に植えたという。

 それがなぜだか、外洋からやってきた人魚たちに見つかった。元祖の人魚は仕方なく彼らの家も建ててやり、住みやすいように空間を広げる工事をしているうちに、あれだけの街になったのだ。


 グリンは、そんな話をリムに聞かせた。

「へえ、ずいぶん優しい人魚だな。人魚っていうのは、おれは怖いもんだって聞いてたけど」

 小さな魚は、サンゴ礁で習ったことを思い出すのだった。

 人魚は怖い。自分より大きな魚は恐ろしい。エビやカニのハサミは危険で、タコに襲われたら迷子になるのを覚悟して、全速力で逃げること。

 やがてサンゴ礁から出て行き、家を持つべし。生まれたからには、運と度胸を試すのだと。


「おれは運が良いんだ!」

 海藻の味について賛辞を受けながら、グリンは考えた。この陽気な友人と離れて、ひとりで大都市・リュウキューウに行くときの気持ちはどんなものだろう。

「いま、どのへん?」

「いま、なにが見える?」

「グリン! 起きてる?」

 寝ぼけながら、泳いでいるグリンが起きているかどうかを気にするような、このなんともとぼけた仲間だ。

 やがて来る別れが、もうグリンの胸は痛い。


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