第36泳

 観劇が上演されている頃、シズルは植木鉢を抱えて、しげしげと眺めているところだった。

「グリンさん、不思議な方でしたね。こんな技術をお持ちとは」

 イモガイは外洋にあったときよりも、美しさの本領を発揮するように光っているし、海藻はグリンの背中のものよりも堂々として、色鮮やかな芸術品といっても遜色ない。

 それはこの部屋の照明のおかげなのか、手をかけた職人の丁寧な仕事の成せる技なのか、とシズルは簡単な推理を立てた。


 マリンは客人の帰った部屋で、ハンモックに深々と腰かけ、右脇にもたれて目を瞑り、しんみり呟いた。

「さびしいわ」

 シズルが植木鉢をどこに置くか聞くので、目を開けた。ぼうっとしたようなマリンの目が、海藻に留まった。

「しばらく、私のそばに置いておくわ」

 そのようなわけで、マリンの席のすぐそばに、色とりどりの海藻が揺れることになったのだった。

「まあ、おかしい。やっぱり、背中に生えた海藻を贈り物にするなんて。変わってるのね。ふふ」

 赤、褐色、緑の海藻は、イモガイの光の上で踊っていた。


 シズルは言わなかった。懐かしい顔に会って、ほんの子どもの頃に戻った気持ちでいるマリンに、グリンの健康への心配などをわざわざ伝えたところで、できることはもう全てやりつくしたのである。

 この海藻は、寄生して宿主の力を奪うものではないか。

それを裏付ける知識に触れたことはないものの、この広い海の世界に、絶対などない。人魚の背中に生える海藻など、今まで聞いたことがないのと同じだ。


 北から変化が押し寄せているとも聞くし、回遊魚よりもずっとのんびりした人魚たちにも、事態は深刻に迫っているのかもしれない。

 それでも、シズルも立派な人魚で、マイペースな気質には変わりない。

 心配や不安は、胸のうちにしまっているあいだに存在が薄くなって、鑑定事例をまとめた愛書を手にとったときには、すっかり忘れさられてしまった。


「うーん、さすが先生。こんなお宝があるなんてびっくりだ」


 シズルは愛書「あたくしと鑑定―失われた文化編―」をめくっては、ひとり、感嘆に唸るのだった。

 この一冊は、シズルが鑑定を学んだ人魚、ハンゾーの著書のうちの一つである。

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