第35泳

「グリン、元気でね! 有名人さんのところで、めっちゃ綺麗になるからさ、そしたら、写真集、あげちゃうかも。たぶんね!」

 希望にキラキラと輝く深緑色の瞳で、ユキはにっこり笑ってみせた。その微笑みは黄金色の髪に演出されて、なおさらあどけなく、素直で健康だ。


「おれは大きくなるよ、ユキ!」

 リムは将来への展望を、お別れの挨拶がわりにした。マリンの家から始終、ユキのワクワクに満ちた話を聞かされていたので、自分もそのような気持ちになっていたのだった。


「じゃあ、元気で」

 グリンは、北へ向かう出口の、暗い穴の中に消えていく。


 後ろ姿を見送った後、ユキは街を遠く見下ろしながら、少し運動することにした。といっても、街には小さな人魚たちもいるので、外洋でするように力強く水をかくのは憚られる。

 体を動かしたいが、十分な場所がない。そのようなとき、人魚たちは三日月のように体をうんと反らせて、その場でぐるりぐるりと回るのだ。自分の尾を掴むとか、色々とバリエーションはあるが、人間でいうところの「伸び」のようなものだ。

 肩や胸の動きも良くなる上、泳力向上も見込めるとあって、この街では外洋に出る前に、よくこれを練習する。


 ユキは綺麗になれることに夢中で浸って、喜びが体中をめぐって抑えられないでいた。それだから、街にかすかに流れるコーラスなどは、全く耳に入らない。


「かみのけ、まるで、あおみどろ」


 ぶあつい音に、澄んだ声が乗っている。聞いて楽しむものには違いないが、立体的な感じでさえある。

 そんな歌声を聞いて、観劇好きの人魚たちは大慌てだ。地下の観劇場へ続く小さなドアめがけて、何人も泳いでいく。

「大変、もう始まってる!」

「まだ間に合う!」

「今日の演目はなんだったっけ」

「『みにくい男の人魚のはなし』だよ!」


 駆け込んだ誰かが、観劇場のドアを閉め忘れた。

 漏れる歌声が、いっそうはっきりと響きだす。


「かみのけ、まるで、あおみどろ。べたべたいっぱい、かくしてる」


「ふとくてほそい、なが、みじか。ゆびもいろいろちがってる」


「アゴでたオコゼ、ないまゆげ、しんじゅのこつぶの、めをしてる」


「みにくい、みにくい、にんぎょのおとこ」


 胸いっぱいの希望を抱え、気持ち良さそうな微笑みすら浮かべて、ユキは美しい弧を描き続けている。


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