はじめての一人暮らしと謎の声

明里 和樹

謎の“声”

「うん、この部屋が一番いいんじゃない?」

「あなたがそういうのならここにするけど……変に気を遣わないで、もう少し家賃の高いところでもいいのよ?」


 本日のお客様は、この春から大学生になる娘さんとその親御さんです。この時期には珍しくない、むしろよく見る光景ではありますが、で気の重い今の私には、他愛のない親子の会話がとても微笑ましく感じます。……いえだからこそ、余計心苦しくもあるともいえるのですが。


「え〜でも、この辺の相場からしたら、この部屋が一番お得じゃない? さっきの部屋より周りも静かだし」

「そう? じゃあ、あなたが気に入ったのなら、ここに決めるけど?」


 来たっ……! 勇気を出せ私! 気合を入れろ私! 逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ……!


「……あ、あの……お話中すみません。ご契約の前に一つ、お伝えすることがございましてですね。その、こちらの物件なのですが──」


 ✤


「あー眠い……」


 この部屋に引越してきて三日、荷解きしたり周りのお店をチェックしたり慣れない家事したりで、ま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ、疲れた。


 実家にいた頃は、受験で見れなかったドラマとか推しの配信とか見てゴロゴロしてても、あったかいご飯は出てくるし服は洗濯されてるしそもそも冷蔵庫の中には食べ物も飲み物もあるのが普通だったけど、一人暮らしは全部自分でやるのが普通。失ってわかる、実家のありがたさよ……。……いや、失ってはないけど。というわけで、今までありがとうお母さん。実家に帰ったときはまたよろしくねっ♪


「ふわぁ…………」


 早くも懐かしい我が家を思い出して気が緩んだのか、大きな欠伸が出た。お風呂も入ったし、今日はもう寝ようかなぁ…………。


 灯りを消して、布団に入って目を閉じる。


 あ〜、干したお布団気持ちいい……。すぐにでも寝れそう…………。


 うとうとと微睡みながら「そういえば……」と、不動産屋さんのお姉さんの話を思い出す。



「その、こちらの物件なのですが──実はですね、以前ご契約されていた方が……その……『夜になると女の声が聞こえる』と仰ったことがありましてですね。もちろん、当社の方でも調査をしまして、問題がないことが確認できましたので、今回、こうしてご紹介させていただいたのですが──」



 ……きっと、前のひとの……気のせい……なんじゃ…………。






















 ……フフッ……フフフフフッ…………!














「…………ッ!」


 ゾワッ、とした鳥肌が立つような感覚を覚え、パチッ、と目を覚ます。今、なんか聞こえた……?


 シン……と、静まり返った暗い部屋の中で、身を守るように布団の中で身体を縮こませながら、じっ、と耳を澄ます。



 ……。



 ……………………。



 …………………………………………。



 …………き、気の…………せい…………?



 息を潜めたまま、全神経を耳に集中させる。




 ……。




 ……………………。




 …………………………………………。




 シン…………と静まり返ったままの、暗い部屋。




 ……………………うん、気のせい……かな? ……というか……寝ぼけてたか、変な夢でも見た……かな……? 寝る前に、お姉さんの話を思い出したりなんかしたから…………。



 ほっ、として、全身から力を抜く。



 はー、なんかどっと疲れた……。変に目も覚めちゃったし。今何時だろ……?


 枕元に置いておいたスマホを手に取って画面を付ける。えーっと……。










 ……ヒヒッ……! フヒヒヒヒヒヒヒヒッッ………………!!






「…………ッ!」



 今! 聞こえたっ……! そうだ! 録音!


 私は素早くスマホを操作すると、録音ボタンをタップした。


 ✤


「うう……重い……」


 スーパーからの帰り道、中身がズッシリと詰まった買い物袋を肩に掛け、アパートに向かって歩いていると、向こうから歩いてくる、見覚えのある人と目が合った。


「「あ」」


 不動産屋さんのお姉さんだ。仕事帰りかな?


「今お帰りですか? えーと……その後どうですか? その……なにか問題とかありましたでしょうか?」

「ん〜……いえ、今のところは特に何も。強いて言うなら、一人暮らしって大変だなあ、くらいです。いいお部屋を紹介してくださってありがとうございました」


 買い物袋が重くてお辞儀できないので、ぺこり、と頭だけで会釈する。


「あ……そうでしたか。いえ、こちらこそ、あのお部屋を気に入っていただけて、とても嬉しいです」


 と、ホッとした表情を見せるお姉さん。いえいえこちらこそ、本当にを紹介してくれて、ありがとうございます。




 階段を昇って廊下をまっすぐ進み、と、突き当たりにある隣の部屋のインターホンを鳴らす。


 ピンポーン♪


 ドアの前でたっぷり十秒くらい待つと、スーッ、と、静かに扉が開く。


「い、いいい、いらっしゃい…………」

「お邪魔しまーす」


 ドアの影に隠れるようにしている髪の長い女性に挨拶すると、スルリと玄関に潜り込む。


 勝手知ったる他人の家、というほどじゃないけど、角部屋という以外は私の部屋とあまり間取りが変わらないので、キッチンにある冷蔵庫の前まで迷わず進み、買い物袋をドスッ、と床に置く。はー、重かった。


「買い物リストの他にも必要そうなの買ってきましから、とりあえず冷蔵庫に入れちゃいますね」

「うっ、あっ、ありがとうぅ……」


 この人は唯さん。いわゆるお隣さんであり、いわゆる人見知りであり、コミュ障というやつであり、でもある。


「ところでごはんって食べました? それとも配信しながら食べる予定ですか?」

「ぅ……ま、まだ……。ど、どうしよう……」


 そう、何を隠そうこちらの唯さんは、イラストもしくは3Dでできたアバター外見を用いて動画配信をする、いわゆるVtuberなのである! ……まあ、本業は私と同じ学生、しかもなんと同じ学校、そして本来は一学年先輩なんだけど、コミュ障人見知りが災いして半分引き籠り生活に。結果出席日数が足らずに見事留年、そして今年の春から私の同級生となった、すごいんだかすごくないんだかよくわからない人なのである!


 話が逸れた。


 そう、あの日の夜、録音しながらじーっ、と聞き耳を立てていた私は、その話し声にふと、奇妙な既視感を覚え、パソコンである動画サイトを確認した。


 、とある配信者のライブ配信を視聴しながら、どこからともなく聞こえてくる声に耳を澄ます。


「フフッ……フヒヒヒヒッ……ギャーーーー!」


 フフッ……フヒヒヒヒッ……ギャー!


 …………うん、完全に一致したね。


 この特徴的な笑い声と、演技には聞こえない本気ガチのリアクション。苦手なのに「ホ……ホラゲなら、コミュ障でも輝けるから……」という、わかるようなわからないような理由でホラー怖い系ゲームの配信をよくしている、私の推しのVtuberさんである。まあ私も、演技ではなく本気で怖がったり驚いたりしている様子が面白くて、まんまとハマった一人なわけだけど。それに声が綺麗だから、聞いてて心地いいんだよね。

 ちなみに配信を始めた理由は「ア、アルバイトとか……無理……」という、非常に切羽詰まった理由だそうです。


 そして明くる日、人目を避けるようにゴミ出しに出てきた唯さんとばったりと出くわした私は、それとな〜く探りを入れようとしたところコミュ障過ぎて会話にならなかったので、失礼とは思ったものの音漏れの件もあるし「いつも楽しく拝見してます〜♪」とにこやかな笑みを浮かべたまま、畳み掛けるように彼女の配信でたまにコメントしている私のアカウント名を名乗り、録音した音声を聞かせながら音漏れの件を伝え、なんやかんやで今のような友達? 先輩後輩? 関係になったのである。いやー、あの時は大変だった……。


 それにしてもまさか、謎の声の正体が私の推しだったなんてね……。配信は不定期で毎日するわけじゃないし、たぶん不動産屋さんが調べた日は、何も問題なかったんだろうなあ。


「えーと……じゃあ、とりあえず何か軽く食べます?」

「う……うん、た、食べ……ます……」

「……先に言っておきますけど、簡単な料理しかできませんからね。……あまり期待しないでくださいよ?」

「ぅ……あ、はい……」


 と、たどたどしくも肯定の意を示す唯さん。ちなみにここまでの会話で、一度も目線は合っていなかったりする……。さすがコミュ障である。まあ、こうして会話できるようになっただけ、だいぶ進歩したなぁ、とは思うけど。あとやっぱり、声が綺麗なんだよねぇ。ほんと、眼福ならぬ耳福です。


 なんというか、思っていた一人暮らしとはだいぶ違うというか、正直予想もしていなかった新生活だけど、これはこれで楽しいからヨシ! かな?


 ほんと、この部屋を紹介してくれた、不動産屋のお姉さんには感謝だね。……まあ、唯さんが追い出されないように、夜に聞こえる“謎の声”については、しばらくの間は内緒だけど。

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はじめての一人暮らしと謎の声 明里 和樹 @akenosato

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