住宅の内見・厄落とし篇
人生
転生してもやくざだった件
高級社用車にお客様を乗せ、佐伯氏は今日も安全運転を心掛ける。バックミラーには交通安全のお守りが揺れていた。後部座席には宮野夫妻が座っており、手にした物件一覧のパンフレットと、窓の外に広がる"実物"とを見比べて談笑していた。
「
お客様の気配に敏感な佐伯氏である。二人のあいだで何かしらの意思決定が行われたことを察し、絶妙なタイミングで声をかけ、それとなくバックミラー越しに二人の様子を窺う。
「はい。そちらに見える邸宅を内見したいと思います」
「かしこまりました。では、行きましょう」
宮野夫妻が指定した住宅の前で車を止める。和風な邸宅である。表札には「山城」とあり、傍に「
佐伯氏と宮野夫妻がその邸宅の門前に近付くと、中からスーツを着崩した若者が二人現れ、
「あァん? どちら様でございましょうかコラぁ」
「アポイントメントはおとりでしょうかゴラぁ?」
「こちら、宮野様でございます。私は担当の佐伯、と申します。山城さまのご家族の方でございましょうか」
眼鏡にスーツ、穏やかな表情。一介のサラリーマンといった風貌の佐伯氏を前に、二人の若者は若干拍子抜けしたようだったが、
「こちらの物件を内見させていただきます」
佐伯氏が一歩前に踏み出すと、若者たちは表情を引き締め、恫喝の声と共に殴りかかってきた。
「ごぉあっ!?」
「
佐伯氏を殴った拳があらぬ方向へと捻じれていく。拳の先から肘までが完全な垂直、直線となった、骨と体重を乗せた痛恨の一撃だった――それが、佐伯氏の頬に触れた途端、手首からかくんと折れ、そのまま拳は手首の内側へと曲がってしまった。手首から骨が突き出し、血が噴き出す。
佐伯氏は眼鏡と顔にかかった血をハンカチで拭おうとしたが、眼鏡のレンズにはねた血液はすぐに蒸発して消えた。佐伯氏は少し恥ずかしくなった。
「こちらの石畳をご覧ください。水はけがよく滑りにくい、お子さんやお年寄りにも安心です」
血に濡れた石畳を促してから、何事もなかったかのように先へ進む。
「では宮野様、参りましょう」
佐伯氏が歩き出すと、さっきまで呻いてた若者の一人が悲鳴のように叫んだ。
「カチコミじゃあ――っ!
すると、邸宅の方からぞろぞろと人相の悪い男たちが飛び出してきた。
「ご覧ください、戸は滑りが良く、玄関もこうして十数人が一度に飛び出してこられる広さがございます」
現れた男たちは、ジャパニーズマフィア『
「君たち……」
佐伯氏はここでようやく、背後を振り返った。
「年収はいくらかな? 私のこのスーツ、ネクタイ、カフス、腕時計、靴、そして眼鏡……これらの合計額に足る価値があるのだろうか?」
叩きつけられた木製のバットが粉砕する。振り下ろされた木刀が粉微塵と化す。彼らマフィアものたちの攻撃は、その一切が佐伯氏に届かない。
なぜなら、彼らの数千円程度の価値しかない得物では、佐伯氏の身にまとう高級ブランドに傷一つつけられないためである。
「君たちは保険には入っているだろうか?」
そして、佐伯氏は保険に入っている。現代の保険は加入者の身を守るのだ。
つまり佐伯氏は防御力の高い装備だけでなく、攻撃を無効化する加護も身にまとっているのである。これが現代のエリート社会人の姿だ。
しかし、ジャパニーズマフィアも負けてはいない。
「おうおう、カタギのお兄さん、ずいぶん派手にやってくれるじゃあねえか」
「山城様でいらっしゃいますね? お宅の内見に参りました。場合によってはこの邸宅、我々に明け渡してもらいます」
現れたのは、『覇荒吐組』三一五代目頭目・
彼はそこら辺に転がっている若い衆とは異なり、高級ブランドのスーツを着こなしている。ぎらぎらとしたネックレスでその太い首を飾り、両手は巨大な宝石を嵌めた指輪で武装している。
「明け渡せだぁ?
「マフィアさんもご存知でしょう。現在この国は深刻な土地不足、人類の生存圏は狭まる一方なのです。人が住める土地は限られ、新たな住居を建てる資材にも限度がある。ゆえに、我々不動産屋は常にシェアの奪い合いなのです」
この世の中に都合の良い空き物件など存在しない。なので、不動産屋は住人のいる住宅に押し入り、お客様が望むならその家屋を差し押さえる。もちろん、実力行使だ。それを拒むなら、相手も相応の戦力でもって迎え撃たなければならない。
世はまさに不動産戦国時代――
「かーっ、ペッ」
山城氏がタンを吐いた。それは佐伯氏の高級ブランド靴の爪先を汚した。
「こちらの不動産には良い担当がついていなかったと見えますね」
「んなもんいらねえわ。こちとらマフィアもんよ、自分の身ィくらい自分らで守れるわ。……それよりも、不動産屋よぉ、気ィついてるか?」
「なんでしょう」
「お前ェの周りはウチの若ェもんで囲まれてんだよぉ……! つまり、数的有利が成立する! ここはもう、非合法ゾーンなんじゃあ!」
つまり、保険が機能しないのである。法は佐伯氏を守ってはくれない。タンが蒸発しなかったのもそのためである。不動産をめぐる戦いは、お互いの純粋財産力による勝負になったのだ。
「そもそもよぉ、この家はワシらのホームじゃけえ。家の中で何をしようがのう、ワシらの勝手なんじゃ」
よろよろと立ち上がるマフィアものたち。その中の何人かが恐怖で強張る宮野夫妻へと手を伸ばそうとしていた。
「カタギの方々に手を出すとは、マフィアものというのは恥もプライドもないようですね」
中指で眼鏡の位置を直しながら、佐伯氏は泰然と告げた。
「おぉん?」
「おい、若ェの、そこのカタギさんには手ェ出すんじゃあねえ」
「けどよぉ旦那……」
「これはワシらと不動産屋の問題じゃぁ。そこの夫婦は目が高い。ワシの家の内見しようゆうんじゃからの。手ェ出すんじゃあねえ」
山城氏の言葉で若い衆は宮野夫妻から距離をとる。マフィアものたちの視線は全て佐伯氏に向かっていた。
これが、佐伯氏が"最強タンク"と呼ばれる所以である。お客様にヘイトは向けさせない。ヘイト管理の
「不動産屋よぉ、カタギさんは丁重に返しちゃるけえ――安心して、死になっせ!」
山城氏の恫喝の直後、何人かのマフィアものたちが奇妙な構えをとる。彼らの得物では佐伯氏に届かないとみて、手段を変えたのだ。
マフィアものたちが次々と声を発した。
「宵越しの銭は持たぬが江戸の華、鎬を削り耐え凌ぐ。上納、
「
足りない金額を補い価値数千円の得物を瞬間的に高級品のそれに変える支援魔術、そして己の指を
これまでただの木っ端、雑魚の過ぎなかったマフィアものたちが、一騎当千の武将にも等しい力を得た。これが非合法厄座ゾーン。ただの不動産屋ではとうてい勝ち目がない。
しかし。
「な、なにぃ……!」
「オレの金満魔術が効かぬだと……!?」
「マフィアものに魔術使い、呪術師、異能力者がいる――ならば、不動産屋にも相応の備えがあると考えるのが、自然ではないですか? なにぜ、我々不動産屋は貴方方のような違法者をカモにしているんですからねえ……!」
佐伯氏がスーツのジャケットを開く。内側に着たシャツには、いくつものお守りが縫い付けられていた……!
交通安全、家内安全、戦闘万全、健康長寿、不老不死――
「ヒトの法が届かずとも、神の護法は機能する。我らが主神、
「おんどれ、不動産屋……!」
「では、そろそろ仕事に戻らせてもらうとしよう」
佐伯氏がネクタイを緩めた。そして、構えをとるやいなや、その片足を地面に叩きつける。
音は、しなかった。あまりにも強い力を以て、その動作にも勢いがあったにもかかわらず。
そのためマフィアものたちは一瞬拍子抜けした。
しかし、すぐに異変に気付いた。
次の瞬間にはほぼ全員が空を仰いでいた。
さながらバナナの皮でも踏んですっ転んだかのような有様だった。もちろん、その中に大事なお客様は含まれていない。
それは中国武術でいう『震脚』と呼ばれるものだった。佐伯氏のそれは迫力に欠けるものではあったが、山城氏はその技の妙――見掛け倒しではない、洗練されたがゆえに音を立てるという無駄をなくした、もはや奥義とも言っても過言ではない精度のものだと見抜いた。
これぞ、現代不動産屋が身に着けるべきとされる
「見事」
山城氏は敵ながら天晴だと褒め称えたのではない。
「我が邸宅の耐震性、とくと御覧じろ。そこのカタギの夫婦もいやはや、お目が高い」
佐伯氏は微笑んだ。
「ええ。我々は一流のお客様に、一流のサービスを提供する。この程度で崩れる住宅をパンフレットには載せません」
「どうやらこちらも、本気でいかねばならないようじゃのう。――おい、奥の間からあれを持ってきんしゃい」
「へ、へえ親分……!」
近くの三下がすぐさま玄関へと駆け込もうとすると、
「おいコラぁ! そんな三下みたいな口調でどうする! 貴様が持ってくるのは、我が覇荒吐組が誇る家宝だぞ!
「お、押忍!」
三下もとい組員が邸宅の中へと駆け込んでいくと、一点その場は静けさに包まれた。
煙草を取り出し、一服する山城氏である。
佐伯氏も、ことを荒立てない。これから内見する住宅の、前の住人がどのような人物だったか。それをお客様に知らせることも業務の一環だからだ。それに、「家宝」なるものがあるならば、それもまたこの住宅の価値に箔をつけるものになる。
(この住宅の価値が、そのもの家宝の
佐伯氏は眼鏡の位置を正した。緊張の瞬間である。
その時だった。
静寂が破られた。
それは佐伯氏のスーツの内ポケットからだった。
「はい」
佐伯氏は反射的にスマホを取り出していた。この時間、電話がかかってくることなど滅多にない。緊急の案件だと思ったのだ。
「……なんだ、君か。業務時間中にはかけてこないでくれ、と言っておいただろう?」
『ごめんなさい、あなた。でも……お買い物していたら、今夜のお夕食、どうしようかしらって。何か食べたいものはある?』
「そうだな……」
佐伯氏はちらと周囲に転がり気を失っているマフィアものたちに目を向けて、
「麻婆豆腐がいいかな。とても辛いやつが食べたい気分だ」
『分かったわ。広東風と四川風、どっちがいい?』
「広東風で頼むよ。……じゃあ、切るね」
と、通話を切ってから、佐伯氏ははたと我に返り、マフィアものたちに背を向け、宮野夫妻に深々と頭を下げる。
「失礼しました……」
「今の電話、奥様かしら?」
「はい……」
「どうして麻婆豆腐なんだい?」
「そこのマフィアものたちのシャツの柄が、中華風に見えたもので……」
「はっはっは、佐伯さんは面白い人だなぁ。奥様も幸せものだ、良い物件を手に入れた」
「ねえあなた、やっぱり佐伯さんにお願いしましょう。いい不動産屋さんだわ」
――と、佐伯氏がお客様と歓談しているあいだに、組員の男がひと振りの刀を手に山城氏のもとに駆けつけてきた。
「頭目、これを」
「うむ」
恭しく捧げられた刀を手に取るやいなや、山城氏は一息に鞘から刀を引き抜いた。
「見よ、これが我が覇荒吐組に伝わる宝刀、妖刀シャワーライス……! この刀の前に、貴様の護法も役に立たんぞ……!」
「なるほど、確かに恐ろしい刀のようですね、しかし――」
「問答無用……!」
容赦なく、一閃。山城氏は刀を振りかぶった。これに応じる佐伯氏、とっさに片腕で前面を庇う。刀はいとも容易く佐伯氏の高級時計を叩き割った。
「次はタマぁとったる……!」
佐伯氏、危うし。
しかし。
「ぬ……!」
佐伯氏は素手で妖刀シャワーライスのその恐ろしき切っ先を受け止めていた。
そのスーツを突き破ってはいても、佐伯氏の皮膚からは血の一滴もこぼれてはいない。
見よ、そしてとくと御覧じろ、これこそ現代不動産屋が信仰する不動大神の教え、その奥義である。
自らを一つの住宅と見立てることにより、鉄筋コンクリートがごとき強度を獲得する体術。
自らを一つの住宅と見立てることで、自身の構成、設備、仕様を知る。これぞ仏教にいわく「
あらゆる物体は、原子、そして分子の集合によって構成されている。その分子の結合を強めることで、物体はその強度を増す。佐伯氏は自らを構成する全細胞、全分子の結合を強めることによって、鉄壁がごとき防御力を手に入れたのである。
それはいわば、皮膚によって真剣白刃取りを成したようなものである。山城氏はすぐには刀を引き抜くことが出来ない。しかし。
「貴様が不動大神の教えに殉じるものであることは、百も承知よ。ゆえに……! 喰らえい、これぞ覇悪吐流剣術奥義、白蟻の型・漏水の突き……!」
皮膚で止められた刃を引くのではなく、そのまま押し込み軌道を変え、切っ先を佐伯氏めがけて突き刺す動き。
自らを一つの住居に見立てる佐伯氏にとって、木材を喰らう白蟻、それによりもたらされる水漏れは天敵のようなもの。無論、対応は可能だ。しかし「構え」を変えることは、即ちこの白刃取りを解くことを意味する。
腕が落ちる――
「銃刀法違反、確認! 正当防衛を執行する……!」
その時である。邸宅の前庭に声が響いた。
ずらりと、山城邸を取り囲む塀の上に現れる無数のスーツ姿。彼らはそれぞれマシンガンを携えていた。無論その銃口は覇荒吐組構成員一同に向けられている。
「私の役割は、タンクだ。火力担当は、別にいる」
「き、貴様……先ほどの電話は……!」
「あれは、プライベートだ。我々不動産屋が、大切なお客様を内見に案内するために、社員一人を寄越すはずがないだろう。無論、
拡声器越しの声が、邸宅中に響き渡る。
『我々は武装警備会社とも繋がりを持っている。法を犯した今、君たちはマフィアもの以前に社会のクズも同然となった。これより超
そして、死の宣告が放たれた。
踊れ、そして狂い咲け鮮血紅花――
一斉放射だった。無数の弾丸がマフィアものたちの肉体を打ち、彼も望まない、滑稽なダンスを踊らせる。
……無論、いくら水はけの良い石畳の上とはいえ、この住宅を事故物件にする訳にはいかない。発射されるのは全て実弾ではない。しかしそれでも、先の死の宣告もあり、マフィアものたちは全治数か月の負傷によって心身ともに再起不能に陥った。
「家で妻が待っているのでね。私は死ぬ訳にはいかないのだ」
「お、おのれ……貴様、佐伯……! その名、覚えたからな……! 末代まで祟ってやる……!」
「君の代で覇荒吐組はおしまいだ。そして、佐伯の名は末無く、いつまでも続くだろう――」
これこそ、佐伯氏が"最強タンク"と呼ばれる所以である。住居を追われるものたちの怨嗟をお客様には向かせない。最後までその厄を負い、役目を全うする。
定時になり、佐伯氏は妻の待つ我が家へと帰宅した。
外では一介のビジネスマンである佐伯氏も、自宅では良き夫として、よそでは見せない顔を出す――
「おかえりなさい。麻婆豆腐にする? お風呂にする? それとも――きゃっ」
「…………!」
「今日は激しいの、ね……!」
――その日の佐伯氏は、少し様子が違っていた。
――後日、佐伯夫妻に待望の第一子が誕生した。
しかしその赤子は生まれるやいなや泣け叫ぶでもなく、
「かーっ、ペッ」
タンを吐き、そして邪悪な笑みを浮かべた。
――
住宅の内見・厄落とし篇 人生 @hitoiki
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