第4話(後)

 深い紺色の空の端にまだ日の残りの滲む頃から夜桜鑑賞会は始まる。親たちは桜のすぐ傍の縁側を陣取って、赤ワインのボトルを空けたノリで白ワインと純米大吟醸を先ほど開封した。4人しかいないとは思えないほどやかましく騒いでいる。しれっと母は明日の朝食にしじみの味噌汁とおろし大根のしらすのせを作るよう透に申し付けていた。ちゃっかりして抜け目がない。


 透と澪は無糖の紅茶を飲みながらお重をつついていたのだが、透の母の作った俵型のおにぎりと透と澪の母が丹精込めて作ったお重は常に量を多めに見積もって作られている。酒飲みたちは箸の進みが遅いから透が空になったお重を夜会当日に見ることはない。程よいころにふたりで目を合わせて居間に移り、そこで澪の作ったデザートを食べるのだ。


 澪の料理の腕前を初めて確認したのは同じクラスだった中学二年生の時の調理実習だった。日頃から料理をする透は一年生の頃の調理実習で、やってくれるならやってほしい系の班員に囲まれた結果、ほとんど自分一人で行ってしまい他の班より20分巻いて調理を終えるというやらかしをしていたので、家庭科の先生からある意味目を付けられていた。『石見さんがやると他の人の料理をする機会が減るので、あまりに見ていられなくなったときを除いて洗い物を担当すること』を、家庭科教師から回りくどく明確な言語化なく命じられていた透は、斜め向かいの班にいる澪の姿を遠くから眺めていた。


 澪は料理を慎重に作る。ショウガの細切りは針に近くなるまで刻み、調味料を計るときにはレシピと手元に視線を3往復ほどさせてから大さじに醤油をゆっくりと注ぐ。丁寧だけれどゆっくりで、もう少し肩の力を抜いてもいいのになと思うものだった。きっと透の方が手早く、そして美味しく作れるのだと思う。その自負はある。


 しかし、ことデザートに関しては澪の独壇場なのだ。あんこであれば透にも炊ける。ジャムも作れなくもない。ただ、澪の持つ繊細さと潔癖なまでの心配りが必要になるレシピで澪は最高のデザートを作る。


 バレンタインには洋菓子を、そして夜桜鑑賞会では澪は和菓子を毎年作るのだ。


「今年は何を作ったの?」

「最高の三色団子。5時間かけたの」


 居間で澪に尋ねると、澪はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに微笑んだ。キッチンへ移動し、手元に団子を一本持って帰ってきて、はいと透にそれを手渡す。スーパーで販売しているような団子とは見るからに違うそれを。


 まず団子の等身が違う。串はやや短く太い。そこに、頭の中で聞いた時にイメージした1.5倍の大きさの団子が刺さっている。緑色の団子の生地からは葉の名残が覗くし、ピンク色も着色料じみておらずパステルカラーに近い。全体的に見てずんぐりむっくりという言葉が浮かぶ。


「どうぞお召し上がりください」


 澪は自分の串を取りに行く気配を見せない。食べるときの透のリアクションを見るらしい。とてもいい笑顔をしていて、普段からそんな顔を自分だけに見せてくれればいいのにと思いながら、透はご希望を叶えるため動く。


「いただきます」


 澪の方に軽く会釈をしてから、一番上のピンク色のお団子にかじりついて目を見開く。


 もちもちとしすぎない、歯切れの小気味よい食感の団子の中にこし餡が入っていたのだ。団子だけの食感を想像していたせいで綺麗にギャップに騙される。だから普通よりも大きな団子である必要があったのか。


「おいしい?」

「おいしい。びっくりした」

「よかった」


 澪は透のいいリアクションを見れてご満悦の顔を浮かべながらキッチンへと向かう。粒が大きく中身も味も満足感もあるため、食べるのがどうしてもゆっくりになってしまう。お湯の入った急須と空の湯飲みを持って澪が戻ってくる頃にやっと一粒目を食べきった。澪は支度をしながら透の観察を続けている。


 何気なく次の白い団子にかじりつき、また驚く。今度は白味噌餡が入っている。特有の上品な塩味と甘み、鼻に抜ける香りが油断していた脳を刺激する。


「餡が違うんだけど」

「頑張ったでしょ」


 顔にエッヘンと書きながら澪はほうじ茶を湯飲みに入れてくれる。透は三粒目の緑色の団子を観察する。団子にしてはやはり重いからこれにもあんこは入っているのだろうけれど。ドキドキしながらかじりつく。


 団子の中には粒餡が入っている。あんこの種類がそれぞれ違うのは衝撃だがそれは想定内。けれども予想を超えていたのは香りだった。団子の中でよもぎが強く主張している。粒餡がよもぎのとがった部分を抑えながらやわらかく広げている。バランス感覚が見事としか言いようのない。


「すごい、澪。さすがすぎる」

「ありがとう」

「これに5時間しかかからなかった方が驚き。もっとかかってもいいのに」

「少し市販品も使ってるから」

「そうはいってもだよ」


 名残惜しく最後の一口を含み、心ゆくまで味わいきって、いれてくれたほうじ茶に手を伸ばす。猫舌の透に合わせて、食べきったタイミングでちょうどいい温度になるよう早い段階で注いでくれていた澪の気配りは透にはまねのできないものだ。


 透の観察をやっと終えた澪はキッチンへ向かうと、自分の分の団子を持ってきて食べ始めた。その姿を見つめる。


 昔から澪を見つづけていた。春も、夏も秋も冬もずっと。繰り返してきたその日々はいつ失われるのだろう。ふたりの進路が分かれたときなのか、あるいはもっと早く、澪に恋人ができたときなのか。澪は透の命運を握っているなんて気づいていないような顔で団子をもきゅもきゅと食べ進めている。


 もうすぐで始業式が始まってしまう。二年生になって、環境が少し変わる。変化は怖い。澪を連れ去ってしまいそうだから。変わる勢いは透を置き去りにしてしまいそうだから。


 もう少し桜が咲くのは遅くても良かったんじゃないか、なんてひとりごちながら、斎宮家の桜の花びらが舞うのが澪越しに見えた。

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君に触れるための言い訳 池端 駿 @shun14

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