じんご。

夕藤さわな

第1話

 部屋を見に行くということはその部屋で暮らす自分の姿をイメージするということ。

 その部屋で暮らす自分の未来をイメージするということだ。


 その部屋を見に行ったのはほんの軽い気持ちからだった。

 一人暮らしをしている部屋の更新時期が近付いていた。それを知った彼氏が同棲を考えないかと言い出した。結婚を前提に。

 付き合い出したのは社会人になってからだったけど、知り合ったのは高校時代。彼氏としては五年、友人としては十年以上の付き合いだ。


 一つ二つ、とりあえず部屋を見てみようか。

 そう言って見に行った最初の部屋がその1LDKの部屋だった。


 ちょっと手ぜまかもしれない。でも、お試しの同棲。本当に結婚するならもう少し広い部屋に改めて引っ越せばいい。

 そんな話を彼氏と不動産屋さんがしているのを聞くともなしに聞きながら、私はまだ何も置かれていない、ただ広くて小綺麗なリビングを眺めながら想像してみた。


 あそこにテレビを置いて、ソファを置いて。

 仕事から帰ってきたらまずは部屋着に着替えてソファに引っくり返って。

 そろそろ起き上がらないとな、夕飯を作らないとな、なんて思っているとガチャ……と玄関が開く音がして――。


『ただいまぁ!』


「じんごぉぉぉぉおおおおおーーーー!!!!!」


 絶叫していた。

 多分、きっと、彼氏も不動産屋さんもぎょっとしていただろう。急に叫んだかと思ったら髪をむしり始めたのだ。どう考えてもぎょっとしていただろう。

 その時の状況を想像すると穴に入るので埋めてくださいの気持ちではあるのだけれども、そんなことはさておき、その時の私には彼氏の表情を確認する余裕も不動産屋さんの視線を気にする余裕もなかった。

 発狂しそうだった。想像するだけで発狂しそうだった。ていうか、発狂してた。


 ようやく仕事から帰ってきたのにまだ人語を喋れというのか!

 日中、散々、頑張って人語を喋る生物に付き合って人語を喋ったのにまだ人語を喋れと言うのか!!!


 という気持ちを言語化できたのはその日の夜、彼氏に電話で謝罪したときのこと。

 その時の私はあの髪を掻き毟らんばかりって言うか実際に掻き毟った感情を言葉にして説明することなんて少しも出来ず。もちろん、あらやだ失礼なんて言って無理くりでも誤魔化すことすら出来ず。


「人語ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおーーーーーーーー!!!!!!!!!!」


 彼氏と不動産屋さんを置き去りに部屋を飛び出し、そのまま見知らぬ街を走り回り、人語を喋れる程度に落ち着いたところで通りすがりの人に最寄り駅を教えてもらって一人で暮らしている部屋に何食わぬ顔で帰宅したのだった。


 その日の夜、彼氏には電話で謝罪すると共に別れを告げた。ぶっちゃけ一泊二日の旅行で限界だったし、二泊三日の旅行で発狂しかけてた。

 後日、共通の友人たちからはお叱りを受けた。アイツと結婚できないんじゃあ、世界中探してもお前が結婚できる相手はいないぞ、と。最もな指摘だったので結婚しないことにした。

 その年の年末、帰省した私は両親に恐らく一生、結婚できないだろうことを報告した。両親たちからは――。


「でしょうね」


「だと思った」


 と理解あるお言葉をいただき、現在も独身を貫いている。


 結婚しないのか、結婚できないのか。

 何はともあれ、私の黒歴史は〝人並みに付き合って結婚した方がいいかな?〟なんて思って限界まで我慢した結果、いい年こいて人前で発狂姿を晒したことである。


 いや、でも、ホント――家に帰ってもまだニンゲンいるとか、マジ、ムリ。

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じんご。 夕藤さわな @sawana

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