鳥たちの楽園へ移住するには

ナナシマイ

🪽

「はあ、内見ですか……」

「難しいですか?」

「いえ、それは構いませんが、いや……その……本当に〈鳥たちの楽園〉へお引越しなさるおつもりで?」

 従業員のお姉さんが、ちらちらと私の背後へ目を向けている。

 ここ火山大陸最大手の不動産。間違いなくエリートである彼女の物腰やわらかで誠実そうな印象から一転、どうにも不躾な視線に困惑しつつ、しかし私は「そのつもりです」と大きく頷いた。長年の夢である〈鳥たちの楽園〉への移住を、こんなところで諦めるわけにはいかない。

「そう仰るのでしたら、とりあえず、ご案内はいたしますが……内見のご準備はお客様ご自身でお願いしております」

「はい、もうばっちりです!」

 少し声が上擦ってしまった。恥ずかしさを誤魔化すように、背負っていた大きなリュックサックを膝の上に置いてぽんと叩いてみせる。双眼鏡にスケッチブックはもちろん、景色に紛れるための迷彩服や小腹が空いたとき用のお菓子も持ってきた。内見とはいえ、〈鳥たちの楽園〉に初めて足を踏み入れるのだ。万全を期すのはとうぜんだ。

「わかりました。では、楽園のふもとまでは車で向かいましょう」

 魔晶石のキーを掴みながら立ちあがった職員のお姉さんは、もう一度、私の背後を見た。


 険しくも、豊かな岩山。

 それが、〈鳥たちの楽園〉を見た第一印象だ。

 いつか見た、冒険者が描いたという絵そのまま――いや、それ以上にごつごつ鋭く尖った溶岩と、幾年の時を経て力強く根を張った巨木たち。ふたつは侵食しあいながら折り重なって、我先にと天を目指すようだった。

 土地と呼べるような平坦さはなく、人間にはなかなか厳しい環境だが、木々の実りは予想以上。なるほど鳥にとっては楽園といえよう。

 もちろん岩山登りの準備もしてきたので、さっそくお姉さんとともに登っていく。

「お客様、あちらをご覧ください」

 さすがは現地人、見事な足運びで登りやすい道を示してくれる彼女が、ふと大きくあいた岩穴を指した。

 よく見るとそこには、ふわふわの茶毛が魅力的な丸っこい鳥が二羽。帽子ほどの大きさで、夫婦なのだろうか、仲睦まじく寄り添っている。

「わ、可愛い」

「魔力溜まりに当たって爆ぜる瞬間に冷え固まった岩漿がんしょうが、あのように穴を残すことがあるんです。彼らのように飛べない鳥にはちょうどいいのでしょう」

 あまり警戒心がないのか、じっと見ているとぽてぽて穴から出てきてくれる。〈鳥たちの楽園〉といえば色とりどりの猛禽類が有名だが、こうして細々と生きる鳥もまた好ましい。

 ところがここで、お姉さんは私の腕を引っ張って木の根のもとへ連れて行く。

「どうしました?」

「頭上にお気をつけください」

 やや硬質な声に、枝葉の隙間から空を仰げば、高いところで大きな鳥の群れが旋回しているのが見えた。遠くでもはっきりとわかる赤黄のまだら模様は、私がこの楽園を夢見るようになった理由のひとつ。

 そうか、ならば――!

 私がお姉さんの行動に納得すると同時に、かつん、べしゃんと岩が鳴った。

 頭を出さぬよう注意しながら観察する。空から木の実やら小動物やらが降ってきては、鋭い岩肌に当たって砕ける。

「あっ危ない!」

 そこでやっぱり警戒心のなさそうな茶色のふわふわたちが獲物の雨の下に歩み出るのを見て、思わず声をあげると、お姉さんが「大丈夫ですよ」と笑った。

「え、でも」

「ここで生きるには弱々しく見えますけれど、あれでなかなか強靭ですからね」

 ちょうど落ちてきた木の実が、ふわふわだと思っていた茶毛に当たって切り裂かれる。切れ味の鋭さがわかる断面の滑らかさに、ちょっとばかり震えてしまったのも仕方ないだろう。

「……触らなくてよかったです」

「あれ以上近づかれるようでしたら、さすがにお止めいたしましたよ」

 茶色ふわふわもどきは、空から獲物を落とす猛禽類たちと共存関係にあるという。ふわふわ――ではなく鋭い毛のみならず、身体は腐敗や毒にも強いらしく、砕いた獲物を取りに彼らが降りてくるまでのあいだにそういった部位を取っていくのだ。

 内見というのは、住むところの環境を知ることでもある。

 そう感心しながら、ひとまず私は心のメモに「ヘルメットが必要」と書き加えた。


 あれこれ観察したり教えてもらったりしながら到着した岩山の頂上付近。お目当ての集落も目前だ。

「やっと、着きました……」

「お疲れ様でした」

 にこりと微笑むお姉さんは息ひとつ乱していない。

 ぜえはあと息切れ気味の私は、彼女にリュックサックと背中のあいだに手を差し込まれて、びくりとしてしまう。おそらくヘトヘト状態の私を支えてくれたのだろうが、女性らしいやわらかな手つきは背中を撫でるようで心に悪い。

 失礼とわかりつつ荒ぶりかけた呼吸を飲み込んでいると、「ふむ」と納得か疑問か判断しかねる声で頷かれた。背筋趣味でもあるのだろうか。……まあこれくらい、いい。


 とにかくそうして、一本の木の前に立ち。

「こちらが、内見されるお家でございます」

 巨木の枝を上手く利用した、ツリーハウス。素朴で、武骨さもあり、なにより格好いい木の上の家。夢の楽園。夢のマイホーム。

 けれども私は、「え?」と頭の中が疑問でいっぱいになる。

 いや、いったん落ち着こう。

 探しものは慎重にと言い聞かせ、幹の周りをぐるりと歩く。やっぱり、ない。

「あの、玄関はどちらに?」

「あちらです」

 お姉さんが指したほうへ視線を持ち上げて、ついてこなくなった下顎のせいであんぐりと口が開いてしまう。いや、そんな、まさか。

 ゆーら、ゆーら、と揺れている。

 ゆれている。枝の先。たしかに、玄関が。

 私はもう一度、「え?」と瞬いた。とうぜん、見えてるものは変わらない。

「あの、どうやって入ればいいんでしょう?」

「ご準備なさっていたのでは……ないようですね」

「はしごは」

「あれだけ揺れていて、かけられるとお思いですか?」

 困った。こんなことになろうとは、思わなかった。まあここまで来られただけでも、いい経験ではあるけれど。現実逃避かもしれないけれど。

 ぴゅーい、と知らない鳥の鳴き声がして、ああやっぱり来てよかったとは、思うのだ。

「この鳴き声は?」

「笛の音ですよ」

「笛……?」

「ちょうどよかったです。隣のお宅をご覧になってくださいね」

 どこか楽しそうなお姉さんの言葉に、隣の木の、きちんと手入れがされているとわかる家の玄関へ目を向ける。

 そのさらに奥、空中。

 大きくて、美しくて、力強く羽ばたく真っ白な翼を見た。

「あれは……」

 みるみる近づいてくるその鳥は、見事な滑空で揺れる玄関へ着地する。ああ、あのブランコのように揺れる玄関は衝撃を吸収するためなんだと、教えてもらわなくてもわかった。

 鳥はそのまま玄関の扉を開いて――って、開い、手……!?

「……っ、え。えぇえ……?」

 翼をたたんだ、その姿は、人間そのもの。

「やはりご存知ありませんでしたか。彼らがここ〈鳥たちの楽園〉の主、有翼人族ですよ」


 叫びそうになる口をむぎゅぎゅと両手で押さえ、それからは興奮に任せて集落の玄関を観察した。しまくった。本当は有翼人族さんと話したい気持ちでいっぱいだったけれど、ご近所さんと決まってからのほうがいいだろうと我慢した。うん、やっぱり双眼鏡とスケッチブックは用意してきて正解だ。

 玄関はどの家でも木の上のほう、程よい角度で伸びる太枝に吊るされ、かつ、周囲の家と出入りする際の動線が重ならないよう計算されているのだと思う。少なくとも私が見ているあいだ、ぶつかりそうになるようすはなかった。

 扉から奥は蔓で作られた渡り廊下らしきもの。幹までいくとあちこちに分岐して、幹の隅々まで張り巡らされている。

 玄関以外から侵入できないようにか、壁がしっかり作られていて中は見えない。防犯面、プライバシー面でも安心の設計だ。

 もちろん作りの素晴らしさだけではない。

 揺れかたが滑らかな玄関、木の幹に挿し木をして美しく飾られた玄関、たくさんの鐘がついていて楽しい音を鳴らす玄関――

 住人のこだわりが見て取れて、私の新居への妄想も膨らむというものだ。この岩山の巨木は台木としても優秀そうなので、さまざまな植物を育ててみたり、家畜を飼ったりするのもありかもしれない。

 肝心の玄関へは、ほら、ロープを垂らせばなんとか……ならないだろうか。ならないだろうな。

 双眼鏡から目を離し、真下から見上げるこの高さ。

 はあ、と私は無念の息を吐いた。


 さて、こうして移住への第一歩は内見にも至らず外見で終了し、残念な事実も知ってしまったわけだが。

 帰りの車の中。私は、お姉さんの熱い視線の理由にはたと気づいた。

「あの、もしかして……私にも翼があるのかと思っていました?」

「思っておりました。まったくその気配がないので、てっきり翼を出し入れできる新種なのかと……」

「あ、それいいですね!」

「え?」


 ――〈鳥たちの楽園〉により魅入られた私が、世界初の人工翼の開発に成功するのは、また別の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳥たちの楽園へ移住するには ナナシマイ @nanashimai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ