不動産屋のタワマン階段競争

ゴオルド

不動産屋が集う場所

「バンブー、イエッ。

 バンブー、イエッ。

 おっおっおっ、住まいっ!

 おっおっおっ、住まいっ!

 バンブー、家っ」


 高らかに勤め先のCMソングを歌いながら、私は階段を上っていく。


「おっ、おっ、おっ住まいなら、竹不動産~」

 階段は割と高さがある。登り続けたせいでつま先はむくみ、ふくらはぎは張ってきた。つらい。しかし、こんなところで脱落するわけにはいかない。自分を鼓舞するように、声を張り上げる。


「バンブー、イエッ。

 バンブー、イ……」

 足首に何かが当たる感触がして、私は前のめりに転倒した。あやうくコンクリの階段で前歯を打ちそうになったが、とっさに手を突いて頭部は守った。しかし、膝を打ってしまった。痛みに悶絶しつつ、私はおでこのハチマキに取り付けたミニカメラを確認する。グリーンの表示ライトがきらきらと点灯しているし、レンズにも傷はない。うん、大丈夫だ。どこにもぶつけなかったようだ。頭部を守ったかいがあった。


 そのとき私の目の前を、嫌味なくらいツヤツヤな革靴が横切った。スーツ姿の男性が、私をしっかりと見下ろしながら悠々とまたいでいく。

 倒れたままの状態で見上げている私と目が合った。男は片方の口のはしだけ上げる皮肉っぽい笑みを浮かべて、私を見下ろしていた。俯いた姿勢になったせいか、赤く光るヘッドセットがずり落ちそうになり、男は中指で押さえた。気取った仕草だった。

 なるほど、理解した。こいつが私を転ばせたのだな。確証はないけれども、なんか感じ悪いから多分そうだと私は決めつけた。

 

 私ににらまれて、男はかえってご機嫌に歌った。

「地元に愛され52年~。不死身の社員がご提案~」

 そこで男は大きく息を吸った。

「おお、フェニックス、命のきらめき、火の鳥不動産~」

 戸建てに強い火の鳥不動産の男は、生地の薄いスラックスで軽快に階段を上っていく。


 くそう、負けてたまるか。


 立ち上がった私は、しかし、またもや足首を取られてしまい、再び階段に這いつくばった。今度は誰かが私の足首を掴んでいるようだ。

 見ると、真っ青な顔をした小太りの男性が、ヒューヒューと喉に風が吹いたみたいな危険な呼吸音を立てて、私の足首を掴んでいた。

「ひぃ」

 足を振って、男の手を振り払おうとしたが、男はしっかり掴んで離そうとしない。

「ちょっと、離しなさいよ。可憐な乙女の足首をつかむなんて失礼な」

 まるで溺れた人が藁を掴むかのようだ。

「ええい、これが目に入らぬか」

 私は懐から宅建士証を取り出し、男に突きつけた。

「ひぃ、有資格者さま、済みませんでした」

 男は嫌なものを見たとでも言いたげな顔でうめきながら手を離すと、匍匐状態で後退した。

 男は顔を伏せ、ひゅーと長い息を吐くと、階段に頬ずりしながら歌い出した。


「ドゥンッ……ツクワッ、ドゥンッ……ツクワッ! アーバン、あーはん? エブリバディ、スマイル、スマイ……うう、はあはあ……ス、スマイ……ル」


 ワンルーム賃貸の仲介を得意とするアーバンスマイル社の男はかなり苦しそうだった。ヘルメットは今にもずり落ちそうだし、取り付けられたカメラも斜めになってしまっていた。

 この分だと、アーバンスマイル社は脱落だろう。それなのに倒れたまま歌い続けている姿は敵ながらあっぱれ。とはいえ、もう無理するな、そう声を掛けたい気持ちになったが、いや、人のことを考えている場合ではないと思い直した。


 私も頑張らなくては。

 私は気合いを入れるために自分にビンタをかますと、再び階段をのぼりはじめた。


「バンブー、イエッ。

 バンブー、イエッ」


 声を振り絞って歌う。頭がくらくらする。

 今何階なのだろう。200階までは数えていたのだが……。



 私たち不動産屋がいるのは、レジデンス・サンサーラという新基準の超級高層マンション、その非常階段である。


 始まりは、あるお客様からの依頼だった。

「レジデンス・サンサーラの内見をしたいんですが、私は今海外にいます。オンライン内見をお願いできませんか」


 そのとき社内で暇だった私が内見に行くことになった。リアルタイムで映像を送れるカメラをハチマキで頭部に装着し、レジデンス・サンサーラに向かった。

 マンションにはエレベーターが3基あった。そのうち1基は業者用である。しかし不動産屋が内見で使うのは禁止だと1階にいたコンシェルジュから止められてしまった。

「業者用エレベーターというのは、引っ越し業者とか宅配ピザの方とかが使用するものであって、そのへんの不動産屋が使っていいものではありません」

 そういうわけで非常階段をのぼることになったのだが、階段に行ってみたら、不動産屋がいっぱいいた。もういっぱい。もしかして市内の業者全部いるのかなっていうぐらいぎゅうぎゅうにいた。


 皆、次世代型ライブカメラを持っていた。私のようにハチマキ型の人もいれば、ヘルメット型、ヘッドセット型、眼鏡型など、形はまちまちだ。

 昔はスマホやパソコン、タブレットなんかをオンライン内見では使っていたのだが、国交省がオンライン内見のやり方を法令で定めて以降、次世代型ライブカメラでお客様とやりとりしながら、同時にスマホで職場の上司とつながっておくというやり方が業界の主流になっていた。オンライン内見中に、社員がおかしなこと(物件のマイナス情報が映らないようにする、ナンパ、宗教の勧誘等)をしないように会社は監視しないといけないとのことである。


 不動産屋たちのカメラは、どれもオンになっていた。つまりお客様とつながった状態で非常階段をのぼっているのだ。オンライン内見の場合は、マンションの外からカメラをオンにするのが一般的だから、別におかしなことではない。外観や周囲の環境、非常階段など、物件に関する情報は漏らさず提供するのが良い不動産屋というものある。とはいえ、不動産屋でぎっしりの非常階段をお客様に中継しているのもなんだか間抜けな感じだ。

 私のハチマキカメラも、目の前にいる不動産屋のお尻が階段をのぼるたびに動くさまをバッチリとらえていることだろう。誤解のないように言っておくが、別に撮影したくて撮っているわけじゃない。大勢で階段をのぼっていると、目線の先に誰かのお尻があるのは自然なことだ。


 うちのお客様は、非常階段内の映像を見て、焦ったような声を出した。

「あの、これって内見希望者がいっぱいいるってことですよね。もしも私が部屋を気に入って、ほかの人も気に入った場合はどうなるんですか?」

「それは先着順になるかと……」

「そんな……じゃあ、急いでください! 前のお尻を追い抜いて!」

「わ、わかりました!」


 そういうわけで、内見の部屋を目指して階段をのぼる、不動産屋レースが始まったのであった。


「い、今、何階なんだっけ……いや、そもそも内見の部屋って何階だっけ。最上階ってことしか記憶にない……」

 階段はどこまでも続く。息が切れる。ここまで随分のぼってきたから、このあたりはもう空気も薄いのかもしれない。酸欠のせいだろうか、頭もぼんやりしてきた。高山病だろうか。

「ふう……ふう……、し、しんどい……」

 そのとき、ずっと黙って内見を見守っていた上司が、スマホから叫んだ。

「ちょっと、歌がとまってるよ。ちゃんと歌って! ほかの不動産屋のカメラ先にいるお客さんに聞こえるように!」

 なぜこの状態で、セルフソングによる広告を打たねばならないんだろうか……謎は深まるばかりであるが、社畜は命令どおりに歌うことしかできない。


「おっおっおっ、住まいっ!

 おっおっおっ、住まいっ!

 バンブー、家っ」


 最初に歌い始めたのは誰だったのだろうか。気づいたら各社の対抗歌合戦が始まっていた。始めた人のことを恨まずにはいられない。なんちゅうことしてくれてんの。ただでさえ呼吸が苦しいというのに、歌のせいで余計苦しいわ。


「急いで!」

 お客様も急かしてくる。回り階段なので、上に何人いるのか確認することができない。それがかえってお客様の焦る気持ちを煽ってしまうようだ。

「い、急いでますからご安心ください」

 ぜえぜえ。頑張ってスピードを上げるが、10段も行かずに速度が落ちてしまう。


 へろへろになりながらのぼっていたら、若い女性が階段に座り込んでいるのに出くわした。眼鏡型のライブカメラの表示が紫色にぼうっと輝いている。彼女は小さく口を動かしていたが、何を言っているのかは聞き取れなかった。

 その全てを諦めたような呆けた顔を見て、私は不安になった。

 もしや、どこかの業者の内見が済んでしまったのか? もし先を越されて契約申し込みをされてしまったら、ここまでのぼってきたのが無駄になってしまう。


「こんにちは、私は竹不動産のものですが、情報交換しませんか」

「私……」

「はい」

「私、私、わたしあわせ、幸せ、幸せ、しあわセンボン不動産……」

 歌だった。

 私はもうそれ以上の会話は諦めて、再び階段をのぼることにした。



「歌って!」

「はいぃ、バンブー、イエッ!」

 上司に叱られながら階段をのぼっていたら、今度は白髪頭のおばあさんと出会った。黒のトレンチコートとブルーに光るヘッドセットがよく似合っている。

 おばあさんは、私に指を3本立てて見せた。

「タバコ1本、300円で譲ってやるよ」

 非常階段で商売をする者があらわれた。経済誕生の瞬間に立ち会えた感動があった。

「ここで一服したらいいさ」

「だ、だめですよ、急いでください!」

「はい、急ぎます、お任せください」

 と、お客様には返答しておいて、おばあさんからタバコを買った。

「ん」

 おばあさんはライターを差し出してくれたので、ありがたく火をおかりした。

 肺いっぱいにタバコの煙を吸い込むと、頭の奥がしびれるような快感があった。疲れすぎているせいか、よく効く。ふう、と白煙を吐き出すと、私はなんでこんなことをやっているんだろうと虚しくなった。

「まだ行くのかい?」

「ええ、それが社畜のさがですから」

 虚しくても面倒だなと思っても、投げ出すわけにはいかない。多少の休憩は挟むけど。

「そうかい」

 おばあさんは目を細めて、手のひらを突き出した。

「缶コーヒー、500円で譲ってやろう」

「買います。あ、領収書……」

 私が言い終わるより先に、おばあさんは既に記入済みの領収書を、缶コーヒーのプルタブに挟んで投げて寄越した。

「うちはコロラド不動産っていうのさ。お見知りおきを、バンブーさん」



 私は缶コーヒーを持って、階段をのぼる。お客様は静かだ。何か文句を言われるかと身構えていたが、どうしたんだろう。怒っているのかもしれない。これは何かフォローしておいたほうが良さそうだ。

「あの、お客様、勝手に休憩してしまって済みませんでした」

「……はあ」

 溜息の感じでわかる、これはブチギレ寸前のやつだ。しかし、先手を打って謝罪しておいたから、しばらくは爆発することはないだろう。

 上司がささやいた。

「さっき領収書もらってたけどさ、あれ経費で落ちないからね」

 うう、しんどい。


 今何階だろう。もうあたりに不動産屋の姿はない。CMソングを歌う意味がないので、黙って階段をのぼった。

 


 黙々と歩き続けて、ついに最上階に到着した。

 やった!

 順位はわからないけれど、やりきった! 私は登り切ったのだ。

 缶コーヒーを音を立てて開けて、仁王立ちで一気飲みした。うまい!

「ああ最高……ん? なんだ?」

 登頂成功の感動でさっきは気づかなかったが、最上階の通路には、数人の不動産屋が倒れていた。私をまたいだ火の鳥不動産もいた。

 一体何だというのだろう。わけがわからないが、私は彼らを無視して、お目当ての部屋の玄関前に立った。


「お客様、ついに到着しました! こちらが本日ご案内するお部屋です!」

 しかし、返事がない。

 まだ怒っているのだろうか。

「えっと、お客様?」

 そのとき、ふと思い当たることがあり、背中がすうっと寒くなった。まさか。私はおそるおそるハチマキを取り、カメラを確認した。

「なんてこったい」

 ライブカメラのバッテリーが切れて、オンライン内見は終了してしまっていた。

「こ、こんなに頑張ったのに……!」

 私は全身から力が抜けていくのを感じ、気づけば通路に倒れていた。ショックすぎて、立ち上がれるまで数時間を要した。私のあとにのぼってきた不動産屋たちも、おのれのライブカメラが光を失っていることに気づき、精神的ショックと肉体疲労でばったばったと倒れていった。

 不動産屋たちが折り重なって気絶しているさまは、まるで死期を悟ってどこからともなく集まってきた象の死体のよう、あるいは冬を越すために集まって団子状になるカメムシのようでもあった。



 この一件以来、このマンションの最上階は「不動産屋の墓場」とか「不動産屋の越冬場所」とか呼ばれるようになったのであった。


<おわり>

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