ウチーミ・トゥ・ジ・ヘル

幼縁会

ウチーミ・トゥ・ジ・ヘル

「このタイミングで住宅の内見?! 正気ですかッ?!」


 如何にお客様が相手とて、声を荒げずにはいられない。

 スーツ姿で応対している二階堂の前には、確かな眼を輝かせて肯定の言葉を返すお客様。

 顔に刻まれた皺は彼の人生が波瀾万丈に満ち溢れたものだと声高に主張し、年齢とは反比例した背筋はパソコンにかじりつく過程で丸まった二階堂を上回る。

 痴呆の類とは無縁ながら、なれば発した音は間違いなく生を手放す前提のもの。


「あぁ。全てを破壊して突き進むバッファローに壊される前に、私は自宅の内見がしたい」


 全てを破壊して突き進むバッファローの群れは既に霧散し、現在は群れからはぐれて点在する全てを破壊して突き進むバッファローとなっている。直撃コースとなっていた地域に破滅の蹄が打ち鳴らされる事態は回避された。

 はずだった。

 老人と二階堂にとっての不幸は、僅か三分足らずで群れを霧散させた者の正体もまた、かつて群れからはぐれて野生化した全てを破壊して突き進むバッファローであったこと。

 バッファローは対抗馬のいなくなった街を思うがままに突き進み、望むままに破壊を巻き起こしている。

 当然避難警報はなおも継続中。

 無論のこと、一般人が足を踏み入れていい状況ではない。そして二階堂は社会に背を向けてまで業務を邁進する忠誠心など持ち合わせてはいないのだ。


「考え直して下さいお客様ッ。こんなタチの悪い自殺はお止め下さい!」

「ならば君は来なくていい。地図だけでも持っていく!」

「何故です?!」


 机の上に置かれた地図を引き抜こうとした老人のしゃがれた腕を咄嗟に掴み、二階堂は視線を鋭利に研ぎ澄ます。

 彼のこぼした疑問は自らの所業にも注がれている。

 内見で自分ごと死ぬのは論外だが、勝手に足を運んだ結果として命を落とす分には関係ないはず。にも関わらず、何故自分は彼の自殺を必死に食い止めているのか。


「この内見は、事前に申し込んでいたんじゃ……だから……!」

「だからって今じゃなくても……保証に関しては私も説得に協力しますから」


 二階堂の説得を受けてか、老人の声に震えが混じる。


「妻と一緒に見る予定だった住宅を、妻と住むはずだった住宅を……最期に一目見させてくれ……後生じゃから」

「お客様……」


 彼は既婚者であり、前回内見について相談するために足を運んだ時には、傍らには長年を共にしてきただろう妙齢の女性が付き添っていた。

 意味深な言葉を聞き、二階堂が周囲を見回してみる。が、件の女性は影も形も見当たらない。

 二つの言葉と最期という響きは、彼女の辿った結末を想像させる。

 だからなのか、二階堂は口を紡ぐ。そして数秒の間を置き、確かな声音を老人へとぶつけた。


「顔を上げて下さい、お客様。

 奥様方が見たかった光景はバッファローが練り歩くものではなく、貴方様と歩むものだったはずですよ」

「君……」

「大丈夫です。住宅は逃げませんし、何よりも壊れても再び建て直されますから」


 二階堂の言葉を受け、老人は泣き崩れた。

 そこに込められた万感の念を、男だけは知っている。

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