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 五章 嵐の前の凪。


 

 郊外区区長。それは学院州の外縁部に栄える〈慧龍寨城ラザルスとりで〉へと集う三〇万人超えの若者たちを束ねる、大都市の首長にも匹敵する代表者の座である。

 すなわち、民意の集約者にして公約実現の責任者。孤児院や学校を訪れたり、工場や研究施設を視察したり、区庁舎オフィスで他の学生たちと一緒に自治政策を詰めたり。決してお気楽な仕事ではないのだ。


「ふむふむ、ラジェもちゃんと仕事っぽいのするんやな」

「俺一応ここの区長だし学生議員だぞ? なんなら野党の党首もやってて……」


 ここは区長室。

 ラジェは汚いデスクの山のような書類と格闘しながら、ひっきりなしに陳情に訪れる各地区のセクター長やら経営者団体代表やらとの面談をこなしている。

 あの予算案には融通を気かそうとか。あの施策では誰それに口を利いてもらうとか。アイリスと一緒に側から見ているホワイトも舌を巻くテキパキさで、陳情者との話を進めては納得してもらうの繰り返しだ。


 ちなみに来訪者には、区長室に屯するアイリス目当ての人間も多い。便宜や金品を要求することはなく「握手してください!」とか「サインください!」とかそういう触れ合いである。余談だが、アイリスが握手をするのは、年頃で学校制服の女の子相手か、笑顔がまぶしい子供たちとだけ。あと、アイリスのサインは酷い悪筆で(サインとはそういうものかもしれないが)ミミズが這ったような判読不能模様である。

 とにもかくにも、今は合間の休憩時間。

 ホワイトは文庫本を読み、アイリスとラジェは他愛もない話でからむ。

 

「アイリスさあ。おまえヒマ人なの? ある意味学生ですらないし」

「暇じゃないこともない。額爾徳特阿琳エルデト・アリンの血を引くものとして、下々の民草とふれあっておる」

「触れ合いねえ。そういやおまえ、女の子との握手だけやけに長かったよな?」

「……つまらんこと気にしとらんで、ラジェは自分の仕事しとけばよかろう」


 図星とばかりに口を尖らせたアイリスの文句に、ラジェは書類の山をちらりと見てため息をつく。


「とくに用事ないなら帰れよ……」

「いやん。ラジェの借家狭いしカビくさいけんあそぶ時以外おらんでいい」

「俺の家からも帰れよ! つーかおまえらどんだけ遊び場として居座るつもりなの?」


 ラジェは頭を掻きながら、ごもっともといえる抗議した。

 ちなみに、ホワイトとアイリスは定住していない。セキュリティの関係上これまでは行政区の高級ホテルを転々としていたが、どういうわけかアイリスはラジェの借家を(というよりはラジェ相手に自堕落に絡むのを)お気に召したようだ。

 暇な時はピザや中華のデリバリーをとったり、カードゲームや麻雀に興じたりで。何かの用事以外の時はラジェの部屋で遊び散らかしている。一応シャワーや寝る時はホテルに戻るが、郊外区をめぐる際の便利な拠点として扱われている。


「前から言いたかったんだけどさ……、アイリスが俺の家にゴロゴロするためだけに持ち込んだベッド、邪魔なんだけど」

「ラジェは触ったらいかん。そこで寝たら地中に埋めるけん?」

「そんな無体な」

「そのかわり便宜をはかろう。わたしは徳のある皇帝なので、ラジェの臣従と貢物には、それをこえる回賜を以て応えてやらんこともない」

「俺はいつのまに臣下に……?」


 ラジェはともかく、アイリスはまんざらでもなく駄弁る。ホワイトはそんな二人の掛け合いを、文庫本を読んで傍観するのだ。


「それに、このゴミゴミとした趣の違法建築くさい区庁舎もアートっぽいけん気に入った。わたしの隠れ家にしてやらんこともない」

「それは本気でジャマだから丁重にお断りしていいですか?」


 ラジェは助けを求めるように、無言でホワイトに目線を遣るが。


「ラジェ。こいつはそういう生き物なんだ。適当に受け流してくれ」

「ホワイトさあ、最近そいつに毒されてない? なんか今日はうわの空か、本読んでるかだし……ちなみになんの本?」

「これか? レ=テウの『魔導革命論』だ」

「そんなん読まんでいい」


 〈魔導師〉の存在を軸に、近現代軍事技術と市民革命理論の関係性を解く趣旨になっている。


 レ=テウ曰く『人間の千人に一人は〈魔導師〉の素養を持って産まれる』『よって人的魔導資源は勢力圏の人口総量に比例する』


『蜂起人民の組織化と広範な連帯は、既存国家体制の構成基盤(経済機構/基礎工業力/政治制度)に楔を打ち込むのみならず、直接武力としての魔導戦力を募るものとイコールとなる』『量的な〈魔導師〉の確保は、近代軍事技術が積み上げた戦略戦術理論における運用上、それ自体が支配階級を成す一握りの名家出身〈魔導師〉に伍する質的な戦力価値を伴いうる』

『体制打倒の前衛をなす職業革命家により掌握された〈魔導師〉勢力は、体制側軍隊をはじめとする軍事職能集団の離反を伴う革命過渡期における、革命軍事力量(旧体制を打倒し新体制を防衛する実力)を即時に担保する揺るぎない源泉となる』



「ホワイトも、ようそんな駄文を読みきる」


 ホワイトの書物に対して、アイリスは眉を潜めた。


「文章や単語がいちいち長くて仰々しくて専門外の人間に解らせようという気がない。理屈はともかく、構成の稚拙さが自意識過剰な半端者丸出しの論文未満。ラジェが使っとう尻を拭く替紙ぐらいにしかならん」

「俺は文庫本じゃ拭かないよ?」

「確かに読みにくいかもしれないが、軍事理論はもっともだぞ」

「それはホワイトが〈白い亡霊ホワイティ〉やけん。レ=テウの文章力じゃなかろ」


 ホワイト個人の経験と素養に過ぎないと。

 アイリスはレ=テウの著作物を酷評する。


「その『魔導革命論』とやらは著者レ=テウ同様、中身のない駄文にすぎん。革命とか正義とか理想とかを、民草の地道な生活から遊離したことを声高に叫んでれば高潔な人間になったという勘違い。その本にしても、親に守られて育ったにすぎん戦前当時の合聖国の高校生だか大学生あたりが、中身もろくに読もせずに雰囲気で礼賛してただけ。地に足つかないモラトリアムの若気の至り。……まあ、昔書いたわたしの文章もぜんぶ、その程度のものやろうけど」


 アイリスのうそぶきとともに。

 よく解らない沈黙の間が、区長室を支配した。


「で、なんでラジェはそんな忙しそうにしとうと? 普段は二日に一日はプラプラしとうのに」

「なんでかっておまえ、来週末の日付見てくれよ」


 ラジェは呆れた声で、壁張りのカレンダーを指差した。


「年間通しての一大イベント、学院州祭が近いからな」

 

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