4-3
「……その場で、アイリス様は名乗られたのですか?」
場所と時間は移り変わって、摩天楼とネオン輝く夜の行政区。ホワイトとアイリスの二人は学院州の
トップの領事長が直々にもてなす会食。テーブルには彼の国の伝統食——和食のお膳が並んでいる。趣向を凝らした彩りの料理に舌鼓を打ちながらアイリスは答える。
「もちろん。堂々と答えきらんかったら
あれから。
結局ホワイトたちは無数の子供たちにたかられながら近場のおもちゃ屋に押しかけることになり、当然対戦スペースなど足りないので(店主の学生も協力者として連行して)近場の学生会館の体育館に行ってテーブルやらイスやらの設備を整えて(その辺にふらついていたヒマな学生も巻き込んで)そうこうしているうちに噂が広まって、最終的には終わりのない人だかりができるレベルの対戦イベントに発展していた。
そして日が落ちる時間帯となり、子供たちと入れ替わるよう押し寄せたこれまたヒマな学生連中によってイベントは自主大会パーティーとして引き継がれていた。主催者のラジェを残してホワイトたちは退散し、こうして日本国の外交官と一席設けている次第である。
「それにしても、スィン氏は郊外区三〇万人の希望の星ですね」
「ん。あれには人を惹きつける謎の力がある。海運王の親一族のスネ齧っとうボンボンやけど、ゆえにいい意味でリーダーとしての余裕と善性を身につけとる」
アイリスのラジェ評はともかく。
あのときのアイリスの名乗りに一番驚いていたのはホワイト自身だった。
仮に自分がアイリスの立場なら、絶対に名乗らなかった。理由は一つ。アイリスは責任ある立場であの大戦をひき起こし、大勢の人生を狂わせた存在だから。
軽々に出ていけば、憎まれるのは必定。
恨み節、罵詈雑言ならまだいい。襲い掛かられても文句は言えない。ホワイトはそう思っていた。アイリスとてそれがわからない人間ではないだろう。
しかし、アイリスはみんなの前に立った。
逃げもごまかしもせず、アイリスだと名乗った。
いかなる非難も、罪への罰として受け止める。そういう覚悟だったのだろうかと、ホワイトはアイリスの心境を推し量る。
けれども杞憂だったのか。アイリスは子供たちに大人気だった。有名人に会えたという驚きと興奮の熱気に迎えられた。
カードゲームの対戦はさることながら、サインを書いたり手紙を受け取ったり。アイリス本人もまんざらでもない様子で子供たちとふれあっていた。
「まあ、ホワイトも人気やったやん。謎の人としてカードのルール子供らに教えてもらったりして」
「そうだな。おまえさんがおれにもコレで遊べって言ったからな」
ホワイトはコートのポケットから、カードゲームのデッキを取り出した。おもちゃ屋の店主から買ったもので、ルールの把握に苦闘しながら、まわりを取り囲む子供たちのアドバイスを受けながら、ああでもないこうでもないと対戦していた。
「でも。案外楽しかったやろ」
「……まあな」
子供たちとふれあったのはホワイトにとって始めての経験だった。孤児時代から子供らしい遊びを知らなかったからだ。
屈託のない笑顔の子供たち。悪くはなかった。ホワイトの偽らざる感想だ。かつてホワイトを拾って世話をしたあの「センセイ」も同じような気持ちだったのだろうか。
「……もっとも。この州、いやこの合聖国に逃れた大半の子供は孤児や貧困層やろうけど。ラジェはごく一部をポケットマネーで救ってるに過ぎん」
アイリスはポツリと指摘した。それは水を差すような発言であると同時に、ホワイトも重々承知の真実だったのだが。
郊外区の資金源の大半がラジェ持ちだ。合聖国を代表する海運王の親がスポンサーというわけである。
「ほう、〈
「領事長?」
「ホワイトさん。実は私もやってるんですよ。日本人コミュニティの中でも流行っていましてね。よろしければ今度、対戦願えますか?」
あなたもやってるのか……と、ホワイトは思わず面食らってしまった。たしかに学院州に暮らす人間のほとんどは三十歳未満の若者同士であるから、お堅い立場でも流行りの遊びに通じていることに不思議はないのだが。
「して、先のリベルダージ地区の件ですが。本当にありがとうございます」
領事長は突拍子もなく礼を言った。
「ホワイトさんには過激な一派による虐殺を未然に防いでいただきました。そしてあの奇跡はアイリス様のなされたことですよね?」
領事長の言う「奇跡」。
それはレ=テウとの戦いでアイリスの司った超常の魔導術〈
事象を空間ごと書き換える神の御技はリベルダージ地区を大地に帰してしまったが、薬物中毒に陥っていたスラム住人を一人残らず健康体へと戻していた。その中には少なからぬ日本人の若者もいたという。
死ぬに任せるしかなかった人々を事実上生き返らせた魔導術は、領事長がいうようにまさに奇跡。ホワイトと同意見だが、アイリスは不服そうに口を尖らせた。
「礼にはおよばん。しかし奇跡はしょせん再現性のともなわん奇跡にすぎん」
アイリスは続けて語った。
薬物問題は合聖国を伝う病根の表層にすぎない。いくら彼らスラム民の身体が〈盤古〉の力で健康になったところで、彼らが生きる意味を見出せないのなら意味がない。
人間には、生きる糧と意味を与えてくれる社会が必要だ。社会が彼らを受け入れないのなら、道具として使い潰すのなら、彼らはまた現世を棄てて幻の世界に舞い戻ってしまう。
アイリスは言う。
どんな奇跡とて、本質は薬物と変わらない。
救われるのはほんの一瞬のひとにぎり。泡沫の夢にすぎないのだ、と。
「奇跡にすがる
アイリスは塊のような高級ステーキを切り分けながら言ってのけ、横目にホワイトの反応を見る。
常道に叛く行い。
革命かクーデターか。
「学院州も例外じゃないってことだな。実際問題、エリートら体制側はレ=テウ率いる〈革命派〉を止められていないからな」
「無論。しかし別の懸念もある」
アイリスはホワイトの言葉を首肯するも、
「体制に不満を抱く人間は、なにも反体制側だけに限らん。そうやろ総領事?」
アイリスの意を汲んだのか。外交官はうなずいて、鞄から数枚の資料を取り出した。彼らが独自のルートで得た情報。おそらくはトップシークレット。
「学院州軍部の一部勢力に、不穏な動きがあります」
領事長の警告に、ホワイトは訝しむ。
ユーリアの下で殺しの仕事をしてきたホワイトはよく知っている。学院州軍部、いまの州軍にクーデターを起こせる力はない。
重要ポストは営利追求に余念のない学生議員の犬に取って代わられ、あの大戦を知る指揮官クラスの生き残りはことごとく軍を去った。学院州の変質に意を唱える大戦経験者は、学院州政治の都合で冷遇された。他州での再就職が決まれば良い方で、彼らの多くは議員らの嫌がらせのすえに路頭に迷った。正義感の強い人間であればあるほどに社会の矛盾に苦悩して、自責の念から命を絶った。
ユーリアの軍権もまた名ばかりだ。
基幹部隊のほとんどは彼女の指揮下から引き剥がされている。さきの大規模暴動における治安出動での議事堂通りにおける部隊の発砲も、ユーリアの命令を経ずに行われたのが事の真相。なによりも直接頼れる武力が〈
ホワイト自身、学院州を正す特効薬はユーリアの蜂起しかないと考える。博打の要素はあるが、彼女が立てば
ホワイトは思う。ユーリアは叛乱に向いていない。ひとたびクーデターを成功させて指導者となってしまえば、ユーリアはあらゆる手段で学院州を正そうとする血も涙もない独裁者となる。彼女はそれで幸せになるのだろうか……。
ともかく。ユーリア以外に叛旗を翻せる人間が州軍にいるなどと、ホワイトは夢にも思わない。しかし。
「
領事長の口にした覚えのある名前に、ホワイトは目を細めた。
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