3-9

 


 レ=テウの放った〈紅蓮世界〉を受けた彼女は、導障壁を張る間もなく、ひとたまりもなく消し炭になり……。


「かってに殺さんでくれん?」

「なっ‼ いつの間に!」


 がしっ、と。アイリスはホワイトの背中にしがみついていた。

 彼女は無傷で、歴戦のホワイトすら欺く回避。


「ホワイトも心外やな。あんなヒステリックな破綻人間に、このわたしが後れを取るわけなかろうに」


 アイリスは、ちょこんと口を尖らせては涼しげにへらず口をたたく。その様子から、あの規模の炎導術をしてアイリスにはまったく通じなかったことがわかる。

 ホワイトは既知の経験を総動員する。

 アイリスの回避。どういう理屈なのか? どういう現象なのか? 

 アイリスが駆使したものが、仮に門外不出の魔導だとして、必要最低限の術名詠唱すらしていなかったが……? にわかに信じがたい。


「……〈盤古バン・グゥ〉だ」


 上空で対峙するレ=テウが口を開いた。

 紅い彼女は、ホワイトの疑問に答えていた。


「かつて東洋に君臨した覇権国家――清朝中華ダァチン・グルンが完成させた、かの皇帝のみが継承する究極の魔導術。詠唱なしに空間そのものを創造し、あらゆる事象を術者の意のままに書き換える――その神話の名バン・グゥのとおり天地開闢の御技だ。

 そうだろう? 

 生後数ヶ月で玉座に据えられるも、王朝滅亡で王宮を追われ合聖国に亡命した、かのラザルス・レイの庇護の下で育った前時代の遺児……。清朝中華最後の皇帝。文嶺帝――額爾徳特阿琳慧怜エルデト=アリン・フェイリン


 レ=テウの声に、アイリスは応じない。

 ホワイトは理解する。レ=テウの指摘が正しければ、アイリスは事実死んでいた。

 そしてアイリスは、死んだ事象自体を打ち消しにするチカラを駆使した。回避でも治癒でも防御でもない。意思ひとつでの存在保存。

 この世のことわりへと干渉する真実の超常的存在――〈魔導師〉すらも超えた存在だというわけだ。


「……なん? ホワイト。まるでお化けでも見たみたいな顔しとって」

「お化けどころか、神か何かだろうよ」


 ホワイトは再認識する。

 背中にくっついてアンニュイな表情をしている彼女は、ただの頭のいい東洋系の華奢な少女ではない。建国の父ラザルスの子孫にして、高貴な血をひく生きた歴史だという。


「皮肉だな、アイリス。神に至るチカラを持ちながら、きさまは腐った世界を変えられない。なぜなら今のきさまは、運命に飼われることをよしとする敗北主義者にすぎないからだ」


 レ=テウは言葉を続ける。

 彼女はアイリスへの並々ならぬ憎しみを隠さず、雄弁であった。

 その雄弁さは、まさしくアイリスとの因縁を示していた。しかし。


「社会からあぶれた〈革命派〉ふぜいに、あらたな運命を、社会を作れるとは思わんけど」 


 アイリスは抑揚もなくつぶやいた。レ=テウへの反論であり、彼女が率いる〈革命派〉への批判でもあった。

 アイリスは訥々と続ける。


「健全な民主主義体制とは、構成員たる市民の地道な努力と、現実に即した知識と能力による改良にもとづいて運営される。『市民』とは善き隣人であり『社会』とは他者への義務と献身を前提とする。よって……、仕組みに不平不満をいうだけで、さりとて共同体に貢献もできん、危険思想しか語れんテロリストなどは害毒にすぎん。普通のみんなが迷惑する。世界におらんほうがいい」


「……『普通のみんな』だと? ――ふざけるなっ‼」


 レ=テウは激昂する。


「『普通』? それは持てる者の、搾取の詭弁だ! 奴らにとって都合のいい『従順な人間』を生み出すための屁理屈だ! 要求に満たない『弱者』を切り棄てるための、己の利潤のために『弱者』を使いつぶすための、大勢の『普通』と『弱者』を争わせ、怒りの矛先を特権階級に向けさせないための、卑劣な分断工作にすぎない!


 世界から消え失せるべきは、寄生虫の奴らのほうだ! ゆえに我々は闘っている! 革命とは持たざる者の最後の武器なのだ! ひきこもりの皇帝くずれアイリスごときに、世界をかたる資格などないっ!」


 レ=テウは鬼気迫る勢いで叫び倒していた。

 対してアイリスは反論しなかった。

 目を伏せるだけで、相対するレ=テウを認めない。

 一方でレ=テウは烈火の如く続ける。


「神も、皇帝も、英雄も。だれも世界を救わない。なればこそ我々人民が新たな世界を打ち立てる! いかなる犠牲も困難も私は厭わない! 旧弊なる世界を打ち砕き、革命を導く先駆けとなる!」


「そう。わたしたちみたいな地に足つかん人間は、叶うはずのない理想を求めてしまう。無謀なことに大勢を巻き込むから、生きているだけで累を及ぼす。……だから。誰もいない砂漠か山奥で、人知れず死んだほうがいい」


 その事象は、アイリスの孤独なつぶやきの後に起こる。

 天地鳴動。天変地異。

 地図を書き換える規模で地殻が割れ、そこから生まれた無数の樹木が、瞬く間に生長しては一つなぎとなり雲海を突く! 上空に浮かぶアイリスとホワイトを護るように地上から現れたのは神話のごとき巨大樹ユグドラシルであった。ホワイトは見上げるばかり。

 規模にして千メートル超えの、まさに完成したバベルの塔。

 もはや魔導術の範疇ではない。

 まさに神の域。異次元の存在。

 同時に。レ=テウの〈紅蓮世界〉で焼け爛れたはずの焦土は、アイリスの一瞬にして生命の息吹を取り戻す。元来のリベルダージのスラム街は、もはや原型をとどめぬ大樹海と化した。逃げ出したリベルダージの住人や〈革命派〉の魔導師たちはどうなったのか? ホワイトには知る由もない。

 目前の超常現象を前に、歴戦のホワイトすら畏怖する。

 本能が理解を超えていく。第六感がすべての常識を塗り替える。

 これが〈盤古バン・グゥ〉の力。見る者すべてに息を呑ませる、アイリスの意思ひとつで生まれいずる大樹海。それ自体が、敵をうちたおす大いなる力であるかのように。

 しかしレ=テウにひるむ様子はない。

 彼女の背後が陽炎でゆがむ。透明な極超高熱が、巨大な鳥の翼のように拡がる。

 アイリスと対をなすほどの熱量で。レ=テウの魔導力は凝縮され、増幅を繰り返す。


「迷惑な罪人はきさまだけだ。偉大なる合聖国革命の英雄ラザルスの名を汚す歴史の愚者め。いまここで燃やし尽くす」

「……じいじラザルス。わたしに、力を」


 革命の戦士レ=テウ。亡国の皇帝アイリス・レイ。

 かつての大戦で、歴史を作った彼女たち。

 二人の、壮烈な戦いが始まろうとしたときであった。

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