3-2



「アイリスが。あの子が、歴史を動かしたのだ」


 卓上で手を組みユーリアは述懐する。

 アイリス・レイは開戦当時一二歳にすぎなかったが、合聖国政界への影響力は絶大であったという。実利と理念。政治力学と市民感情。国家戦略と国際情勢。アイリスはあらゆる手管で合聖国に参戦を決意させた。

 アイリスの手腕で、自由と民主主義は尊厳を保ちながら五年間も戦うことができた。

 アイリスの策謀で、自由と民主主義は人類を召し上げて五年間も戦ってしまった。

 彼女は稀代の天才か。はたまた大虐殺の教唆人か。その判断は後世の歴史にゆだねられるのだろうとホワイトは考える。

 もっとも今の合聖国の、とりわけ学院州の実情を鑑みるに。後の世代に悠長な未来が訪れるとも思えないが。


「人々を動かす力は、人々を不幸につき落とす業から逃れられない。名うての〈魔導師〉ともなればなおさらだ。無論この私も。負け戦なのに英雄などと担がれている以上、数えきれない死者への責任を背負う身なのだよ。……なにも成しえない、情けない一介の州軍司令官止まりだがね」


 嘆息しながらのユーリアの自虐に、黙するホワイトの内心は揺れた。

 ホワイトは弁えている。仮にアイリスが大量殺人者なら、おれ自身も同類なのだ。戦局まで変えられない分際で、名もなき戦場伝説ホワイティを演出したお前は。偽りの希望とか奇跡だとかを見せつけて、人々を戦場に駆り立てたお前は。


 自分だって戦えるのかもしれない。

 あの侵略者に勝てるにちがいない。


 人々はそう思って、願って、五年間戦って。負けて、死んだ。なのにホワイトはおめおめと生き残った。白い亡霊ホワイティだから死なない。悪い冗談だ。 


「ホワイト。ひとつ頼みがある」

 ユーリアはそう切り出すと、一枚の小冊子を机に出した。


 『個人の権利と生命コモン・ライト』。


 ホワイトにも見覚えがあった。アイリスの著作だ。権利を尊び、自由を掲げ、そして戦争の大義を説いた本。すなわち思想原理イデオロギーにして精神的支柱。

 見方を変えれば、あの大戦の元凶だ。


「あいつの本か。それがどうかしたのか?」

「今朝、私のもとに匿名で送り付けられたものだ。中身を見てほしい」


 ホワイトは促されるままにページをめくった。すると本文とは無関係の書き込みが、ところどころに。ミミズみたいな汚い字で、本文とは無関係な文章が追記されていた。

 曰く、どの人間が、どの時間に爆弾をしかけるのか。

 曰く、どの議員が、どの手法で汚職をしているのか。

 曰く、どの組織が、どの場所を密会につかうのか。

 裏表紙には「送り主 自由の国のラザルス」。


「近頃は、こんな調子の代物が匿名で一週間おきに届くのだ。これまで数か月で起こった重大事件にまつわる情報として、すべてが的中してきた。そしてこれはアイリスが書いたものだ。筆跡上間違いない」

「じゃあ話は簡単だっただろ。アイリス本人に先輩が詰めればいい」

「それができれば苦労はしなかったさ。ホワイトに迎えの使者が来るまで、あれの在り処すらつかめなかった」


 ユーリアのぼやきに、ホワイトはあの古びた洋館を思い出す。

 見向きもされない樹海に、ホワイトすらも欺いた幾重もの魔導結界。執事長バトラーと呼ばれていた手練れの老人。ホワイトとて招待されたから分かった話で、アイリスの所在を手掛かりなしに探り当てるなど無理だった。


「あれの考えることはわからない。私は、アイリスに別の可能性を疑っているのだ」


 別の可能性? ホワイトはユーリアの意図をつかみかねて訝しむ。

 ホワイトは思い出した。アイリスと会ったとき、あいつは迂遠な態度で「合聖国を救う」と言っていた。

 アイリスの放った、意味深な言葉。

 アイリスの纏う、謎めいた雰囲気。

 限られた判断材料からホワイトがふと思いついた筋が……、一つ。


「学院州の事件全部に、あいつが一枚噛んでるってことか?」


 ユーリアは瞑目して答えない。

 しかしその沈黙こそが、ホワイトにとっては明瞭な回答であった。

 ユーリアの口から元凶はアイリスだと断言されなかったことに、ホワイトは彼女らの関係に浅からぬものを感じる。

 仮にも昔馴染み。悪しざまには言えないらしい。

 ホワイトの勘と推測にすぎないが、かぎりなく黒に近いグレーだろう。疑ってかかる価値は十分にある。よって受けるユーリアからの密命。行動言動含め、アイリスの動静を監視せよ。


「ホワイトにしか頼めない。すまない話だが」


 アイリス・レイとはいかなる人間か? 

 歴史の大罪人か、はたまた悲運の天才か。

 彼女の功罪は、ホワイト自身の目で確かめられることとなった。

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