3-1
三章
1
学院州行政府ビルの一室。州軍司令官室。
「報告ご苦労。そうか。あれは健在だったか」
あの天才少女との邂逅から一週間。ホワイトは単身、ユーリアの元を訪れていた。
目的は二つ。ひとつはアイリスの件での報告。もう一つはユーリアの世間話の相手。
「にしても先輩。いつ見ても山のような書類の束だよな。いつ寝てるんだ?」
州軍司令官である彼女は、今日も黙々と執務をこなす。眼鏡をかけ、書類に目を通し、万年筆でサインをする。行政文書の裁可だ。
彼女は、多忙だ。いや……多忙では済まない。
こなすべき仕事が、人間一人の限界をゆうに超えている。
まず、有力者として学院州の各地の視察。行事式典への出席。学院議会で執り行われる常設委員会への出席と質疑応答。州軍の訓練計画の指導と確認。
そのうえ彼女は現役の大学院生でもあるので、合間を縫って難解な講義を受け、試験を受け、論文を執筆して単位を取る必要がある。
理由は単純。学院州における参政権とは学問を修める者のみに与えられるからだ。すべてを担わんとする彼女の律儀な姿勢にホワイトは感心する。
ホワイトは、根無し草で一匹狼の気楽な立場だから。
学籍は偽造。絡む知人も片手で数えるほど。学生らしい? ことといえば気まぐれに新聞に目を通すぐらい。世間の学生なら頭をかかえる実力考査や単位取得のプレッシャーやクラブ活動での人間関係などもホワイトには無縁だ。
「まったく。今も昔も、貧乏クジはいつだってわたしだ。ところでどうだ? きみもこの仕事をやってみるといい」
「遠慮しておく。こういうのは眺めているのが一番だ」
「……ふっ。こいつめ」
ユーリアは愉快げに口角を上げ、一枚の書類にサインする。筆跡の強弱が見事な、完璧な筆記体だ。
「達筆なんだな。司令官どの」
「この二年間、文字ばかりが上手くなる。引退したら田舎に移って、東洋の『書道』とかでも始めてみようか」
「そいつはいい。忙しいだけの将軍から、晴れて平和な文化人だな」
「どうしたホワイト。急におだてても何もださないぞ?」
「昔から褒めてただろ、俺は。あんたは比類なき用兵の天才だって。エイデシュテット司令官閣下」
ホワイトはユーリアに絡む。息抜きになるならいくらでも付き合ってやる。彼女が羽を伸ばせる楽しみはその程度なのだから。
学生としての本分を全うしつつ、権力者としての責任を一身に背負う。そのストレスたるや相当のものに違いない。そしてそれは、身分経歴を詐称して「殺し屋」などを請け負っているホワイトには降りかからない。
だからこそホワイトは思う。まったく、この人には頭が上がらない。
「ところで、アイリスの件なんだが」
ホワイトは話を振る。今日の本題、例の少女アイリスの件だ。
「先輩は、あいつに会ってなかったのか?」
大戦の英雄ユーリア・エイデシュテットと、アイリス・レイ。
かつての大戦で大きな役割を果たした二人だ。浅からぬ因縁があったに違いない。案の定、ユーリアの表情がくもった。
「……わたしの元には手紙が一通来たきりだ。
二年前。つまりは敗戦直後。
ユーリアが大戦の英雄として称揚され、「合聖国の再建」「打倒帝政」のスローガンとともに祭り上げられたのも二年前だ。ホワイトは勘づく。なにかの符合がある。
「先輩。アイリスの本当の目的はなんだ? 隠し事はなしだ」
「隠し事もなにも、あの子の意図など私が知りたいぐらいだよ」
ユーリアはため息をつく。
相手が悪すぎる、まるでお手上げだ、とでも言いたげであった。
「知ってのとおり、合聖国はあの大戦に敗れた。足掛け五年間にもわたる帝政圏との戦いで、
ユーリアの述懐に、ホワイトはうなずく。
大戦において帝政圏は圧倒的であった。いくつもの国がわずか数週間で占領された。列強の一角を占めた
一方、王州と大聖洋をはさんでいた合聖国は、かろうじて難を逃れて情勢を見る猶予を得ていたが……。
「本来なら、合聖国はあの大戦に関わらなかったのだよ」
「この国の外交方針は、建国から一貫して孤立主義だったからな」
ホワイトは合聖国の成り立ちを反芻する。
[聖暦]一七七六年。
十三植民地、
そんな
アイリス・レイ。ホワイトはよく覚えている。
あの洋館で出会った、世を厭うかのような口調の。小柄で華奢な東洋系で、切り揃った黒いボブヘアから覗くアンニュイな童顔。
かのジョージ・ワシントンに並ぶ建国の英雄、ラザルス・レイの血を引く天才少女だ。
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