2-5 邂逅
5
「こちらになります。ホワイト殿」
最後にホワイトが案内されたのは、敷地最奥の森林にかまえる古い洋館であった。
樹々に囲まれ薄暗い玄関前の、苔のむす石畳の庭園。広場の噴水はすでに枯れ、時が止まり自然に還りつつある。館内に入れば迎賓館のごときエントランスだが内装は暗く澱み、照明の類はまるで灯っていない。
「では、わたくしめはこれにて」
その一言でバトラーは姿を消した。音もなく魔導力の残滓もない。
「気味が悪いな」
とにもかくにも、見知らぬ洋館の中でホワイトは一人となった。やみくもには動けない。
ホワイトは五感を研ぎ澄ます。同時に、ごく微弱な電波を発して魔導探知も掛ける。
原理は単純。魔導力を流し、跳ね返ってきた波形や間隔で対象の位置を特定する。大戦中に帝政ゲルマニアによって実用化されたレーダーと同様だ。もっとも、実用兵器も元をたどれば古来より伝わる魔導術による超常現象の「解明と再現(すなわち科学)」によるものなのだが、それはともかく。
魔導反応は、なし。だが音だ。北側の二階から音がする。
カシャカシャ、カシャカシャ……。
カシャカシャ、カシャカシャカシャ……。チーン。
なにかの機器の駆動音だ。
ホワイトはもう一度、魔導探知を掛ける。タイピング音の方位に向けて魔導をアクティブ。この「色」と波形、珍しいことに緑魔導か。緑魔導は雷水炎緑の四大属性のうち、希少にして特異な魔導力。優劣においてホワイトの駆使する雷魔導は、緑魔導に分が悪い。
「ごちゃごちゃ考えても仕方ないな」
音と魔導の源は一致する。ホワイトの取る行動はひとつだ。階段を上がり、目星の場所へと向かう。洋館内で一際大きな両開きのドアの部屋。ホワイトは断りもいれずに開け、室内を見回す。壁際には古い木目の本棚がぎっしり。本棚にも分厚い背表紙の書物がびっしり。紛れもなく書斎だった。
そしてこの書斎。洋館は廃墟同然のくせにチリもホコリもない。人が生活している証拠だ。だが不可解にも書斎にあるべきデスクがどこにも見当たらない。止まないタイピング音だけがホワイトの聴覚を刺激する。そして。
「本名。ウィリアム・ホワイト」
唐突に声がした。ホワイトの名が嘯かれる。華奢な少女を思わせる、遠くの葉擦れのような声。儚げでいて怜悧さがひそむ、印象に残る声であった。
「確認戦果。航空機撃墜一〇〇機以上、戦車撃破三〇〇両以上、認定〈魔導師〉討伐五六名。手にした勲章は数知れない、先の大戦での英雄。しかしこれは『偽名を騙った一兵士としての戦果のひとつ』にすぎない」
タイプライターの打鍵音とともに声は続く。
訥々と、主観を排したトーン。高みから事物を俯瞰する物言いであった。しかし、ただ黙っているホワイトでもない。
「挨拶もなしに、手前はコソコソ隠れて訳知り顔か。
ホワイトは皮肉をぶった。飾り気がない気もしたが、べつにやめはしなかった。そして声の主の気に止まったのか。淀みなく続いていたタイピング音がぴたりと止まった。
「ウィリアム・ホワイト。その正体は〈
放たれた一言に、ホワイトの表情が陰る。
〈
先の大戦で帝政圏に恐れられ、友軍に崇め称えられた戦場伝説。
仄暗い戦争の記憶を辿り、ホワイトは口の中に苦々しさを覚える。声の主は当然おれのことなどご存知のワケか。仮にもかつて一国を率いた人間には違いない。
「出てこいよ。そこだろ?」
ホワイトの声で、ついに魔導欺瞞が解かれた。
書斎の大窓を背にして、年季の入った堂々たるデスクが現れる。読みかけの書籍の数々と、使い古されたタイプライターも一緒だ。
そして、デスクの背後には国旗が二対掛けられている。ひとつは、深青一色の布地に七個の綺羅星が散りばめられた
「べつに。言われんでも、出る」
デスクチェアが軋む。椅子から立ち上がる音だ。
一人の少女が現れた。
私立学校の制服とも変わらない白いブラウスに紺のジャンパースカートが、異国情緒を感じさせる東洋系の少女。人形に似た童顔に黒いボブヘアで、眠たげでアンニュイな表情を湛えた小柄な少女。合聖国が産んだ戦略家にして、億を超える命を地獄へと陥れた大戦のトリガーを引いた張本人。アイリス・レイ。
「おれを呼びつけた要件は?」
ただ一つだけ、ホワイトは問うた。
アイリスはただ一言、答えた。
「この合聖国を、救う」
目的は単純明快。されど茫漠として抽象的。
いかようにも解釈できるアイリスの言葉を、ホワイトは黙して聞く。
「……わたしには、死ぬ前に果たさんといかんことがある」
この日。かくしてアイリスとホワイトは邂逅を果たした。
この日のことを、いつだってホワイトは思い返す。意味深な言葉通りに、この日の半年後にアイリスがこの世を去ってから。ずっとだ。
これから語られるものは、すでに終わった過去の物語。
最高峰の〈魔導師〉たるホワイトが不条理な世界に挑む物語でもなければ、アイリスが天才的な頭脳と立ち回りで世界を変革する物語でもない。そのような希望に満ちた筋書きは、あの大戦の時点ですでに終わっているのだから。
これは、かつて世界を動かした若き英雄たちの、壮大にして虚しき
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