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夜の闇がせまる冬の夕暮れ時。
ユーリアとの会合を終えたホワイトは帰路に着く。遮るものは何もない倉庫街の一本道だ。
寝ぐらのモーテル以外は住めたものではない地域。新聞紙の上で寝そべるホームレスのほかには人の気配もない。目につくものは路肩に捨ておかれた粗大ゴミだけだ。もう慣れて久しい小便くささがホワイトの鼻を刺す。
――きみは将来、どんな大人になりたい?
恩師の言葉が、ホワイトの脳裏に思い起こされる。
ホワイトは瞑目した。無心に歩いているとあの頃の記憶がよみがえる。
「大人、か」
ホワイトには自分の歳が分からない。親も兄弟もいなかったから。一八か一九か。はたまた二〇過ぎか。確実なのは今日まで生きたことだけ。
物を盗み独り泥を啜ったスラムでも。
少年兵として戦友と肩を並べた先の大戦でも。
身分を偽って殺し屋を続ける今でも。今日まで生きてきた。
――きみは将来、どんな大人になりたい?
恩師の言葉とともに過去の記憶がリフレインする。ある日「センセイ」から、ホワイトは「八歳」の誕生日を祝ってもらった。本当に八歳かはともかく、誰かが自分を認めてくれたのが嬉しかった。
ホワイトは愛された。今日や明日に死ぬことはない。世界に愛は存在する。そう信じていた。あの大戦で〈魔導師〉として戦うまでは。そして無数の屍を積み上げて、負けるまでは。
そんな思索のなか……。
「ホワイト殿。お迎えにあがりました」
不意に遮る声。
見知らぬ老人がひとり、ホワイトの行手に待ち構えていた。
そいつは白髪の痩身。仕立てのいいスーツ姿に、紳士なトーンのご挨拶。いわゆる老執事だ。艶のいい
ホワイトは訝しんだ。送迎を呼ぶような上流階級になった覚えなどない。それにホワイトの正体が割れている。
「迎え? あんた、何者だ」
「アイリス様より遣わされました。わたくしめのことは、バトラーとお呼びください」
老人はうやうやしく答えた。
バトラー。すなわち執事。ホワイトの感じた第一印象に間違いはないらしい。そして老人の出した名前。ホワイトはその名をよく知っている。
アイリス・レイ。
合聖国建国の父ラザルス・レイの血族であり、わずか九歳で博士号を修めた東洋系の天才少女。
人々は彼女をこう評した。多数の主要言語を操る外交官。多様な知識と教養を誇る知識人。十年先の世界を予見する稀代の戦略家。そして理想社会を唱えた「
あの大戦のトリガーを引いた張本人。
「先輩が伝えてきた件か。動きが早いな」
「ご無礼をお詫びいたします。なにぶんアイリス様が催促されるもので」
ユーリアに頼まれた新たな仕事。話が通じているなら断る理由もない。
「では、ご案内いたします」
ホワイトを乗せて、高級車は音もなく発進した。座り心地のいい後部座席に身を任せながらホワイトは思う。この老人、間違いなく手練だ。
ホワイトは〈魔導師〉だ。実地で磨いた危機察知能力が、今日までホワイトを生き残らせてきた。いかなるコンディションであれど、別世界に思索を巡らせていても、本能が敵を察知する。よって並の相手に遅れは取らない。相手が無意識にノイズのような魔導力を発してしまう〈魔導師〉であればなおのこと。まして、いかに走行が静かとはいえ悪目立ちする高級車を一本道に隠すなど不可能だ。
ただし。バトラーが老練な〈魔導師〉であればその限りではない、が。
「しかしバトラーさんとやら。あんた正気なのか?」
「……いかがされましたか」
ハンドルを握る温和な執事にホワイトは問う。
「この辺はな、学院州政府も天の施しも見放したゴミ溜めなんだ。そんな腐った地獄の底に、学生議員どもが後部座席でふんぞり返ってるような高級車でノコノコやってきたら」
ホワイトが指摘した、まさにその時だった。
乾いた銃声。連射。
スラムの住人からに違いない。
動く金塊みたいな車は格好の獲物だ。孤児の頃のホワイトでも同じことをしただろう。
車にダメージはないが、バトラーはゆっくりと停車させた。二人は落ち着いて車を降りる。
道の先には、拳銃とナイフを構えたのが三人。
彼らはみすぼらしい服装の、あどけない子供たちであった。
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