2-1
二章
1
いかなる流血があろうとも、学院州の日常は変わらない。
『先週末の大規模暴動にともなう非常事態宣言は、今週末に解除の見通しとなりました』
『現情勢に関して、エイデシュテット州軍司令官は治安対策における基本方針を示しました。今朝の登庁前コメントでは……』
ちかちかと光を発するブラウン管の画面。最新式の街頭テレビが、昼下がりの道行く人々にニュースをお送りしている。
学院州官庁街。連なるオフィスビルの摩天楼と、大理石造りの学院州議事堂が象徴的な行政区画。行きかう革靴の音。所属校をあらわす制服を着こなしたエリート学生らが、学業や課外活動と掛け持つ所属委員会へと通う。
そんな流れの一人である……、コートを羽織ったとある青年。
一八〇センチに達する上背で、荒い栗色の髪。ヘーゼル色のくすんだ瞳。他人を寄せ付けない雰囲気を纏いつつも世間にとけこんだ一学生。
彼の目的地は行政府ビルだった。回転ドアを通りエントランスに入る。学院州中枢の玄関口だけあって、学院州の行政をつかさどる実務委員や、名家出身の学生議員の姿がそこかしこに。
「この前の暴動……、主犯は〈革命派〉でしょ?」「ええ。本当こわい」
「学も教養もない、おちこぼれ難民の分際でな」「お情けで
歓談するエリートたち。彼は素通りして、受付にてチェック。学生証の提示、クリア。ボディチェック、クリア。魔導力の照合、クリア。ゲートを通り抜けて、エレベーターで高層階へ。
彼が踏み入れたのは、限られた人間のみが入室を許される州軍司令官の執務室である。
部屋の主人は〈雷帝〉ユーリア・エイデシュテット。齢二九にして少将。深緑色で背広式の
あの大戦の英雄は時計を一瞥し、彼の入室に応じた。
「……おそいぞ、ホワイト。私のスケジュールは分刻みなのだが?」
「時間をずらしてるのを知ってのご挨拶かよ。にしても、おれみたいなやつを呼び出してたら周りの連中から疑われるんじゃないか?」
「杞憂だな。この学院州で、私を疑うものなどいるものか」
一方で、執務室を訪ねた彼の正体は言うまでもなくユーリアを支える影の殺し屋〈魔導師〉――ホワイトだ。
州軍司令官ユーリアは、後ろ手に組んで窓際に立つ。
たしかな長身のプロポーションに、腰ほどまでに流れる艶やかなシルバーブロンド。彼女の威厳ある佇まいたるや、まさに〈雷帝〉の二つ名にふさわしい。事実そこらの学生は畏れ多くひれ伏す。
「〈雷帝〉。君も知るとおり皆は私をそう呼ぶよ。一介の州軍司令官の身で、選挙で選ばれた州知事殿よりも偉いらしい」
ユーリアは皮肉をぶつ。ホワイトは遠慮なく応接ソファーに腰かけて、鞄からしわくちゃの新聞紙を出す。道中でホームレスから買った朝刊で、文部委員会が発行する日刊紙だ。州内でもっとも権威があるらしい。
「だろうな先輩。だからこんな切れ痔のケツを拭くのにうってつけの紙クズが刷られるわけだ」
ホワイトはぶっきらぼうに束にした朝刊をユーリアに投げわたす。朝刊の内容は……。
『エイデシュテットダム、待望の竣工。合聖国南部大陸最大級の発電能力』
『学院州物理学研究所主導"新型爆弾"開発計画。帝政圏打倒の切り札たるか』
『[広告]難民。売ります、買います』
『[社説]エイデシュテットダム竣工は合聖国再建のモデルケースだ。経済復興には若年難民活用が欠かせない。大規模な雇用創出こそが、戦災難民への真なる人道支援となる』
見出しも広告も社説も、あいかわらずの内容だ。いまに始まった話ではないが、難民の窮状なんてエリートや商売人にとって他人事だし、その日暮らしの難民は英文を読む余裕も識字力もない(ついでに新聞を買うカネもない)ので問題ないらしい。
もちろん、エリートに不都合な事実は紙面に載らない。成績優秀につき大手メディアに就職確実という文部委員の文才に彩られ、我欲剝き出しの主張がもっともらしく脚色される。
「地に堕ちてんだよ。学院州は。国父ラザルスがあの世で泣いてるぞ」
「……今さらだろう。だからこそ私は、君に『仕事』を任せているのだ」
ユーリアはホワイトに確認した。
ホワイトの役目とは、裏の殺し屋。法で裁けない悪を、法ならざる悪で裁く。
では、なぜそれが必要なのか? 答えは簡単。この自由の国が――その象徴である学院州が腐ってしまったからだ。
ユーリアは、ガラス窓から眼下の大都市を見遣る。
「ホワイト。君はまだ、私とともに戦ってくれるか?」
かつての戦友の声に、ホワイトは思い出す。
あの大戦を。ユーリアと背中を預け戦った戦場を。そして、その惨禍と結末を。
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