0ー2
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『……陸、派遣軍…………総撤退……。ただちに……』『……本国船団……最終便は……』
認識できたのは
「ここにいたんだね。アイリス」
場所は廃墟の沿岸都市。
放棄された政府庁舎の執務室に、ひとりの青年が踏み入った。
高い背丈、肌は白皙。深い藍色髪で、掛けているのは薄い丸眼鏡。
「きみの予想通り、この戦争は負けだ」
青年はおだやかに言葉を続ける。
話相手は、華奢で小柄な少女であった。後ろ姿の
アイリスと呼ばれた少女。
彼女はふりむかない。
世界の命運だけはどこまでも見通すが、目前の誰一人救いやしない老賢者のように、彼女は執務室の窓辺で孤独にたたずむ。
デスクの後ろで垂れる国旗が、彼女の姿とむなしく重なる。
「だからぼくたちは、最後の務めを果たす。できるかぎりの人々を輸送船の底までつめこんで聖大陸へと逃がす作戦を」
青年は、最後の戦いに征くのだ。港に押しよせる難民や敗残兵を、迫りくる帝政軍から護り侵略の及ばない
「ぼくは〈魔導師〉だ。それも大戦のなか、国家を率いてきたきみと競えたほどの。……不安かな」
青年は問うも、アイリスと呼ばれた少女はふりむかない。彼女はガラス窓から滔々と彼方の海を見遣る。埠頭が船舶であふれている。身一つとなった流亡の民の群れが、我先に押しかけ乗りこむ。恐怖と混迷。国家滅亡を思わせる光景に、やはり少女は語らない。
それは目前の惨事をまねいた責任から、語り得る言葉を持ちえないからか。
「また会おう。アイリス」
いよいよ青年は踵を返して、部屋を出て戦場へと赴いた。それでもかたくなに、アイリスと呼ばれた少女はふりむかない。
いまさら手を伸ばしたところで、彼を救うことは叶わないから。
総撤退は成功した。
海洋国家の
戦争は終わった。しかし、世界から悲しみは消えなかった。
不況。貧困。飢餓。犯罪。
難民。差別。憎悪。暴動。
友人や家族は還らず、帰還兵もやがて心を蝕まれ、職と居場所を失った。貧しさに落された人々は、明日をも知れぬ困窮の中で打ちひしがれた。幸運にも地位を保ったエリートや時流に乗った成金もいたが、彼らの知識と財は人々を癒さなかった。
ゆえに。
さまよえる人々は、救済を望んだ。類いまれなる〈魔導師〉に――すべてを託した。民衆を導くカリスマと、強大無比な力を求めた。
そして[聖暦]一九五七年、冬。
自由の国を焼き尽くす、新たな「戦争」が始まる。
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