遥か昔の或る日常

魚野れん

乙女と青年の不思議な距離感

「レープハフト! こっちのおうちはどうでしょう?」


 好奇心に目を輝かせ、妙齢の女性がスカートをはためかせる。室内を見て回ってはしゃぐ様子を見せる彼女とは反対に、青年は中性的な顔をむすっとさせてため息を吐く。

 きっと彼がレープハフトだ。誰かの記憶を覗き見らしいセーレンは、不思議な気持ちで彼らを見つめていた。


 宇宙船からの膨大な歴史資料を押しつけられたと思ったら、今度は映像記録を見せられている。宇宙船の意図は分からないが、不満を漏らそうが嫌だと言おうが巨大すぎる存在には通じないに決まっている。

 セーレンは最初から諦めていた。


 どうやらこの二人は獣人の案内で、住宅の内見をしているらしい。新居を探しているのだろうか。

 家具のないまっさらな室内を隅々まで確認している熱心な乙女の姿を見守って、獣人がにこにことしていた。意見を聞かれた側であるレープハフトは、数回瞬いた後、口を開く。


「……お前が気に入るなら、なんでもいい」


 ずいぶんと雑な返事である。どこか自分に似た見た目をしている彼の返事に、セーレンはこれが自分だったらちゃんと返事をしたのに、と思ってしまう。

 それに、二人の間に微妙な空気を感じているであろう案内役が可哀想だ――と思ったが、二人のテンションの差に怯むような案内役ではなかった。


「理解のあるパートナーでよろしいでございますね!」


 すごいメンタル。こういう人が生き残るんだろうな。セーレンは感心した。


「だーれが、パートナーだ!」


 え、違うの? 一緒に家を選ぶのは仲のいい恋人同士か結婚した人間くらいだと思っていたセーレンは驚いた。


「……いや、パートナーって言えばパートナーか。確かにパートナーだったわ」

「私たち、友人の子供を養子に迎える為に一緒に生活する家を買おうってことになったんです。だから多分、あなたの思うパートナーとは違うかもしれませんね」


 沸騰したと思ったらすぐに難しい顔をして唸るレープハフトに、女性が言葉を重ねていく。

 なるほど、必要に迫られての擬似家族ということか。恋人や夫婦ではないのなら、片方が興味なさそうな態度を取っているのも頷ける。二人のテンションの差にセーレンは納得した。


「……あぁ、だからレープハフトさんのIDにある職業がヴェルクなんですね! 道理で家を買うには珍しい職業だと思いました!」

「まぁ、請負人はから家なんざ買わずに借りる奴ばかりだろうからな」


 案内役とレープハフトは互いの認識を擦り合わせて頷き合う。

 ヴェルクという聞き慣れない職業が大昔に存在していたことを、今のセーレンは知っている。何でもやる“傭兵のような便利屋”のことを指すその職業は、正式にはヴェルクンテルネーマーと言うらしい。

 この職業から抜けるのは、死んだ時か働けない肉体になった時だと言われるような危険な職業だった。それを、この青年が生業にしていると言うのか。セーレンには全く想像がつかない。


「大丈夫だ。ローンは組まねぇよ。養い子の実の父親が、この時の為に金を用意してたからな」

「いえ、金銭的な問題は心配はしておりません。なにせ、高貴なる方からの推薦状をお持ちですから」


 獣人は小さく頷いてみせる。それにしても、家が買えるだけのお金を貯めるってすごい。それだけ自分の死を身近に感じ続けていたのかもしれないなと思うと、見知らぬ彼に切ない思いを抱いた。

 セーレンがしんみりとした気分になっていると、レープハフトが鼻で笑った。


「はっ……高貴な方はお節介も好きだな」

「まぁまぁ! あの件は、彼女も責任を感じているんですよ。心優しい方ですから」


 ずいぶんと行儀が……セーレンは自分とかけ離れた性格をしているであろう青年に、何となく不快な気分になった。だが、そんな態度をものともせずに彼女は笑う。

 そうして発せられた高貴な人物とやらと親しいともとれる言葉に獣人が目を見開いた。それに気づいたレープハフトが女性の名を呼ぶ。

 ああ、また不満そうな顔をしている。どうしてか、彼の表情にセーレンはいちいち不快感を覚えてしまう。でも、同時にそんな表情のレープハフトに「しかたないなぁ」と微笑ましい気持ちになってしまう自分がいる。

 セーレンは、自分が二人に分かれてしまっているような、不思議な感覚に戸惑っていた。


「――プラハト」

「はい」

「……高貴な方に失礼だから、黙れ」

「はぁい」


 彼女、プラハトっていう名前なんだ。そんなことを思いながら、セーレンは穏やかな笑みで口を閉じる女性に魅入った。美しくも不思議と温かさを感じるシルバーグレイのスーパーロングヘア、直線的な美しさをもつその毛先はくるりと弧を描いており、彼女の芯の強さと柔らかさを表しているかのようだ。

 星の輝きのように煌めく目の成分は好奇心に見えるが、実際は慈愛なのかもしれない。明るく朗らかな乙女に見えるが、レープハフトを見守る視線は子供を見守る母親のようでもある。

 セーレンにとって、プラハトは不思議な乙女だった。


「……プラハト、お前がここを気に入ったならここにするが――どうする?」


 レープハフトが改めて聞けば、彼女はゆっくりと頷いた。その姿を認めた彼が初めて口元に笑みを浮かべる。なんだ、優しく笑うこと……できるんだ。

 セーレンはその笑みを見て、なぜか泣きたくなってしまった。どうして、こんなにも懐かしくて哀しい気持ちになるのだろうか。ふと、突然襲ってくるこの感情はセーレン自身のものではなく、誰かのものなのではないだろうか、と気づく。

 宇宙船の考えることは分からないが、何かを追体験させたくてこの記録を見せているのかもしれなかった。


「この物件にする。プラハトが気に入ったそうだ」

「ありがとうございます!」


 レープハフトがこの案内役と別れるまで、プラハトは穏やかな表情で一言も発することなく過ごしていた。だが、黙りっぱなしの彼女がレープハフトの行動に満足していることを、セーレンは理解していた。

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遥か昔の或る日常 魚野れん @elfhame_Wallen

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