ある王国の与太話・2

那由羅

ある少女のお屋敷見学

「わぁ、素敵…!」


 内見に訪れた屋敷を見回し、ビビアナは歓喜の声をあげた。

 落ち着いた風合いの木の扉を開けば、そこは気品溢れるエントランスホールだった。


 大理石の床が一面に広がり、濃藍に金縁の玄関マットが彩りを添えている。

 壁は、黒檀こくたんと思われる深みのある黒茶色の材木で統一されているようだ。右側の暖炉の周囲には天使とブドウの彫り物が施されていて、所有者の趣味の良さを認識させられた。

 天井だって彩りを怠ってはいない。ハートを織り重ねたような模様の白地のプレートが何枚もはめ込まれており、その技巧に溜息が漏れてしまう。


 もちろん、調度品だって負けていない。

 ホールの右には茶革のアンティークソファとテーブルのセットが、左には彫りこみが美しい木の椅子と円卓が、壁際には青いベルベッド生地の椅子が置かれており、複数のグループを招き入れるように考えているようだ。

 中央のテーブルには花瓶が置かれていたが、手入れを怠ったのか花はない。そこだけは残念ポイントか。


 左右には暖かな日の光が差す廊下が、中央突き当りには階段があり、それぞれ空色の絨毯が道行きを示していた。

 階段を上った先の踊り場には、女神をかたどったステンドグラスがある。その美しさに思わず膝を折りかけたが何とか堪えた。こんなところで感動しては、いつまで経っても先に進めない。


 ───この屋敷の入居者を募集していると聞いて、ビビアナは飛びつくように内見の申し込みをした。


 彼女にとっては、幼少期から遠目に見ては住む事を妄想していた憧れの物件だ。

 高級なソファに座って、ワイングラスを傾けて、イケメンな執事を侍らせて、高笑いを上げる───そんな、女子ならば誰もが思い描く優雅な生活を堪能出来ると思えば、飛びついてしまうのは当然だった。


 当時はちょっとしたを聞いたりもしたものだが、この歳にもなるとそんな事は気にならなくなるものだ。この屋敷で暮らせるなら、多少のびっくりは我慢出来る、多分。


 ただ、全く懸念がないと言えば嘘になる。


「あのぉ…ここって、他に入居者がいるんですよね?」


 そう。この屋敷は、複数の入居者と暮らすシェアハウスなのだ。


 納得と言えば納得だ。ここは、城下町にある建物の中でも最も広いのではないかと言われている。聞けば、図書室ライブラリー酒場パブ、遊技場まであるらしく、言うまでもないが一人で暮らすにはあまりにも広すぎる。


「ええ、十一名の男性、八名の女性が、このお屋敷で共同生活を送っておられます。皆さま、気持ちの良い方々ばかりですよ」


 朗らかに応えたのは、隣に居たこの屋敷の管理を任されている男だ。

 燕尾服で身を固め、短い白髪をオールバックでまとめているが、老いている訳ではなくむしろ若々しい。ビビアナよりも少し年上か、といった所だ。


 ビビアナは、ふむ、と相槌を打って少し考えた。


 他の入居者の悪口を言う利点など、管理人ならまずないと言っていいだろう。十回質問して十回同じ答えが返ってくるのだから、このやりとり自体が無意味と言ってもいい。

 結局は住んでみないと分からない、と言う事だが───


「やあ、管理人さん。彼女が、入居を希望している子かい?」

「ゃあんっ?!」


 まるで待っていたと言わんばかりに背後から声がわいて、ビビアナは飛び跳ねる程に驚いてしまった。


 恐る恐る振り返ると、いつの間にいたのやら、ビビアナのすぐ後ろに一人の男性が立っている。

 短く刈り上げたライトブラウンの髪はサラサラで、空色の瞳は色気が帯びている。長身で足が長く、やたら白い歯がキラリと煌めいている。


 生まれて一度も見た事がない程のイケメンに、ビビアナが目を丸くしていると、好青年は陽気に破顔一笑した。


「あっははは。ごめんね、驚かせちゃって。どんな子が来るのかと思ってさ。こっそり後ろをつけてたんだ」


 目尻を下げて温かくやり取りを見守っていた管理人は、好青年に手を差し向けビビアナに紹介した。


「ビビアナ様、こちらはイェオリ様と申します。この屋敷で十年暮らしているお方でして、入居者のご意見番も務めて頂いております」

「こんにちわ、イェオリだ。君みたいな可愛い子が来てくれるなんて嬉しいな」


 好青年イェオリから差し伸べられた手のひらを握り返した瞬間、ビビアナの心のどこで何かが落ちた気がした。


(甘い恋の予感がするぅ…!!)


 イェオリの好青年振りに、ビビアナの心は浮かれに浮かれた。こんな気持ち、元彼達や夫にだって感じた事はない。この胸のトキメキがあれば、どこまでも飛んでいけそうな気すらする。


 握手を終えたビビアナは、首が折れそうな勢いで管理人に向き直った。


「───ここに決めます!」

「おや、よろしいのですか?まだお部屋の方の案内も出来ておりませんが」

「ええ、ええ!見なくても大丈夫です!何だったら多少の瑕疵かしは想像で補います!契約を、是非契約をお願いします!」


 ビビアナの飛びつかん勢いに、管理人もイェオリもやや引き気味だった。

 しかし、新たな入居者は彼らにとっても喜ばしい話なのだろう。すぐさま顔を綻ばせ、彼女を迎えてくれる。


「即決頂きましてありがとうございます。それでは早速お手続きを───」


 ───バンッ!!!


「「───待ちなさい!」」


 だが、管理人の言葉を遮るように、唐突に正面玄関の扉が開かれた。同時に、誰も彼もを呼び止める女の声音が、そちらから放たれる。


 三人揃って扉の方を見やると、そこに仁王立ちしていたのは一人の女だった。

 茜色の髪をハーフアップで結わえており、身長はビビアナよりも小柄だ。容貌も体型も少女めいてはいるが、恐らく成人はしているだろうと想像する。


 こちらが固まっている中、無遠慮に屋敷へ踏み込んできた彼女は屋敷全体に響くかという声量を張り上げた。


「「私は、この屋敷の所有者であるラッフレナンド王アラン=ラッフレナンド陛下の代理で来た者です!この屋敷は今後催事で使われる事が決まりました。即刻明け渡しなさい!!」」


 有無を言わせない、無慈悲な退去命令だった。ここに暮らす者達の気持ちを踏みにじる、国の身勝手な取り立てだった。


(こ、こわい───)


 華奢な体躯を精一杯いからせる女は一見可愛らしくはあったが、ビビアナは恐怖に身を竦ませた。上手く言えないが、何故か従わなければならないような威圧がある。思わず膝を折ってしまいそうだ。


 だが、ビビアナのように怖がらない者達もいた。


「な、なんだよいきなり!そんな事聞いてねえぞ?!」

「出て行けとかあんまりじゃろが!何の権限があってそんな事言うんじゃ!」

「そーだそーだ!」

「もうちょっとしたら、末の弟がここに来るはずなんだよ。もう少し待たせてくれよぉ」


 どこから出てきたのか。ぶわっと屋敷のあちらこちらから溢れるように人の姿が現れて、女に食って掛かっている。恐らく入居者達なのだろう。老若も男女もバラバラだ。


「「そもそもあなた達は、不法に侵入して勝手に住み着いてるだけでしょうが!下見に来た役人を驚かせて追い出した事、聞いてるんですからね?!」」


 どうやら以前から立ち退きの話自体は出ていたらしい。怯む事なく女が指摘すると、入居者達は揃って口籠ってしまった。


(ちょ、こんなの聞いてない───)


 おかしな事に巻き込まれているとようやく気付き、ビビアナは慌てて管理人を探すが、エントランスホールに燕尾服姿はない。


(管理人、逃げたーーー?!)


 この問題で一番内情を知っていそうな管理人の失踪により、女の話に一層の信憑性が増してしまう。そもそも、あの管理人を名乗っていた男は何者だったのか。今し方落ち合ったばかりのビビアナには判断が出来ない。


「ま、まあまあお嬢さん。落ち着きなよ」


 ビビアナと入居者達の不安をかき分けるように女の前に立ったのは、彼らのご意見番と呼ばれていたイェオリだった。

 ご意見番というからには、きっと口が達者なのだろう。国の横暴にも果敢に立ち向かい、さらっと論破して女を追い出すに違いない。


 一体どうやって女を懐柔するのかと、誰もが固唾を呑んで見守る中。

 イェオリは、しなを作って女に近寄り、星を散らしてウインクをして、甘い声音で囁いた。


「ほら、さ。俺のこの顔とこの美声、良いだろう?君が大目に見てくれたら、毎晩添い寝してモ───」


 ───ゴッ!


 いつの間に持っていたのか。女は手にした鎌の柄でイェオリの顔面を殴りつけていた。草刈り鎌ではない、何をぶった切るのか用途が分からない無駄に大きい鎌で、好青年のご尊顔を縦に割る。


 めり込む程の衝撃は、さすがに堪えたのだろう。好青年は湿った紙のようにへにゃりと崩れ、大理石の床に沈んだ。その顔は一気に五十歳ほど老け込んだように見える。百年の恋も冷める形相だ。


「「さあ、申し開きは以上ですか?」」


 ゴミでも見るような目で床の好青年を一瞥した女は、鎌を両手で構え入居者達へ笑顔を向ける。形勢を悟ったかのように、その顔には余裕が見え隠れしていた。


 絶体絶命だった。国からの命令は絶対だし、不法侵入は事実らしいし、管理人はどこかに消えてしまった。頼みの綱のご意見番も、この有様だ。


 誰もが諦めたそんな時───おずおずと、本当に申し訳なさそうに手を上げた青年がいた。


「じ───時効取得ってゆー、二十年住んでたら自分の土地になる民法があるのですが………ボク、ここに住むの、今年で二十一年目なんですが………駄目、です、よね?」


 瀟洒な屋敷に良く似合う静寂が、エントランスホールに広がって行く。外界から聞こえる喧噪はあまりにも遠く、耳鳴りが鬱陶しい程だ。


 青年の示した案は、恐らくとても有益な法だと言えるのだろう。だがそれは、人の世界ならばの話だ。


 にっこりと、しかしその頬に伝いかけた汗を拭って、女は沈黙を断ち切った。


「「はい、駄目です。───さあ、これ以上ここに立て籠もるのなら、強制的に排除します。墓地に戻るか、別の場所をあたるか、私に殴られるか………五秒で決めて下さいね」」


 女の揺らめいた瑪瑙色の瞳は、荒れ狂う嵐の先に見える夕日のようだった。朝になるまで嵐の惨状を知る事を許さず、ただ過ぎ去るのを待つしかない絶望的な色だった。


 ───巨大な鎌を持って大暴れを始めた女に対し、ビビアナを含めた入居者は只々這う這うのていで退散する他なかったのだった。


 ◇◇◇


 ラッフレナンド城2階、執務室。


「お屋敷に蔓延はびこっていた、終わりました。

 神父様に結界も張って頂いたので、今後人の出入りが増えれば彼らも寄ってこないでしょう」

「…う、うむ。ご苦労だったな」


 茜色の髪をハーフアップで結わえた小柄な女───リーファの報告に、主であるラッフレナンド国の王アランは顔をしかめていた。


 リーファの有り様に思う所があるのだろう。体中にクモの巣や煤をくっつけ、疲労困憊でありながらどこか達成感に満ちた表情は、さしずめ大掃除を終えた主婦、といった所だ。


 ───そう遠くない未来に大きな催事が行われる事が決まり、遠方の来賓が滞在するゲストハウスの候補として、くだんの屋敷に白羽の矢が立った。


 先王が若かった頃は頻繁に使われた屋敷だったが、高齢になってくると大規模な催事自体が控えめになり、同時に屋敷の使用頻度も低くなっていったとか。


 だが今回候補に上がり、役人が屋敷の下見をしようとした所、魂が大量にわいていた事が判明。


 いわくがついてしまった屋敷の使用に難色を示した者もいたが、『まずは怪異の解決を優先すべきだ』という意見が上がり、以前似たような案件を解決していたリーファに話が振られた、という訳だ。


「…後々になって祟られる、という事はないのだろうな…?」

「ここら辺にいる魂達は皆地元ここの人ですから、あの屋敷が国の所有物だって知ってるんですよ。

 空き地で遊んでる子供みたいなものです。他にも似たような場所はありますし、あんまり気にしないで下さい」


 苦笑いを浮かべたリーファがそう説いてみるも、アランの不満そうな顔が崩れる事はない。


 ───今回行ったのは、あくまで魂を屋敷から追い出す、という作業だ。魂の救済や大亡霊の浄化とは、また対応が異なる。


 というのも、ああいう場所に集まってしまう魂達は、大体が未練を抱えている事が多い。

 今回は、『生前出来なかった上流ハイソで優雅な生活を、だけでもしてみたい』と主張する者が殆どだった。


 人に危害を加えようと目論む魂は、リーファからすれば見れば分かる。

 なので、それ以外の魂達には気晴らしの範囲で好きにさせ、未練のない満足した魂だけを墓地に集めて救済を行っていくよう取り決めているのだ。


 こうした魂達の為のルールは、このラッフレナンド界隈だけの話ではない。

 魂達を年に一度だけ生家へ帰し、数日滞在させてから墓地へ戻らせる、というルールの土地もあるという。


 救済した魂は、二度とこの世界へ干渉出来なくなるからこそ、今だから出来る事を生者に迷惑をかけない範囲でさせているのだ。

 それが、生者達にとって気持ちの良い行動かどうかはさておいて。


「本当だろうな………責任は取れよ?」


 机に両肘をついて手を組み、ジト目で釘を刺してくるアランが何だか可愛く見えて、リーファは口元を手で押さえて失笑した。



 ~ある少女のお屋敷見学~ おわり

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