男子禁制

百舌すえひろ

男子禁制

「はい、ではもう一度ご説明いたしますね。こちらの物件、借りれるのは女性のみとなっております。くれぐれも男性の連れ込みはご遠慮ください。お父さまやご兄弟など、肉親でも」

「ずいぶん厳しいですね」

一度くらいこっちを見たらどうだ、という気持ちで私は声を被せた。不動産屋の担当者は説明している間、一度も私と目を合わせない。

「貸主の意向ですから。破れば速攻、退去命令が出されます」

彼は手元の間取り図を顔の前に出し、アイコンタクトを完全遮断した。

最寄りの駅から徒歩七分。

築十二年の三階建て鉄筋コンクリート造。

トイレ・バス分離。

冷暖房完備付きで月三万は、かなり魅力的な物件だった。


「女性なら誰が見ても魅力的な物件ですよ」

さ、車出します、と言って担当者は見取り図と契約内容をプリントした資料、合鍵を持って店から出ようとした。

「あの、私、行きますよ?」

席を立った担当者の後ろで、新人らしい女の子がオロオロしながら声をかけた。

「いいよ、俺行くから」

彼は余計なお世話だ、とばかりに冷たく返事をして店から出た。

店名が塗装された社用車が店の入口に横付けされる。

私が助手席に身を沈めると、車は平日昼前の慌ただしい幹線道路に出た。

「人気の物件なんですよね?」

「それはもう」

「どうして私に?」

目の前のカーエアコンから出る生ぬるい風が顔に当たる。

私はただでさえドライアイ気味なのに、目や頬がちくちくする。

「ご不満ですか?」

「いえ、どうしてかなー……と思っただけで」

「ラッキーとは思えませんか?」

担当者は矢継ぎ早に喋る。

その言葉には抑揚が感じられず、のっぺりとしていてどうも受け付けない。

「ラッキーですけど、なんか……」

「引っ掛かりますか」

「まあ」

目の前の信号機が赤に変わり、前を走る大型トラックと車間距離を保ちながらゆっくり減速する。

車が止まったところで、前のトラックが完全に視界を覆ってしまい信号機は隠れてしまう。

「恋人がいて、しょっちゅう泊まりに来るとかの事情があるのでしたら、今のうちに辞退された方がいいですよ」

担当者は目の前のトラックから目線を逸らさず、一息に答えた。

「恋人……いません」

きっと私の格好から、いい年して恋人もいなそうな女だと思われたのだろう。実際いないが、素直に答えるには屈辱を感じた。

「異性のお友達が出入りする予定とかありますか?」

「ないですけど」

ただ部屋を借りるだけで、どうして交友関係を探られなければならないのだろう。とても、不愉快だった。

「人気の物件ですから早いもの順ではありますが、条件に合致しない人を選んだ場合、こちらにもクレームが来るんですよ。ここの大家さん、他の物件も複数持ってて顔も広い人なんで、睨まれるとこちらも商売しずらくなるんです。少しでも不安要素があるのでしたら、ご辞退」

「しませんっ」

なんだか癪に障る話し方だと思った。

私は苛々して遮るように語気を強めてしまった。

「でしたら、好条件の物件だとお約束します」

信号機が青に変わったのか、前のトラックが前進し始めた。

充分な車間距離を取って、社用車も発進する。


店を出て二十分ほど走り、幹線道路の右側に大きな病院が見えてくると、細い路地に右折した。その道は地域住民の生活道路なのか、道の真ん中を歩く人が多いので徐行しながら慎重に進んだ。


ちょうど病院の裏側あたりまで来たとこで車は停車し「専用駐車場がこの先にあるので、先に降りてください」と私だけ車から追い出された。

降りた先には、薄いグリーンの塗装にところどころ白い縁取りが描かれた、なんともメルヘンチックなマンションが建っていた。

「女の子が好きそう……? いやでも、緑って」

すごく目立つというわけではないが、なんだか落ち着かない。

窓からレースのカーテンなんかが見えたら完璧乙女趣味だと思ったが、レースを掛けてる部屋はひとつもなかった。

「ここが男子禁制かぁ」

雰囲気からわかるような、わからないような。


「行きますよ。ここの三階です」

車を置いてきた担当者が、資料を脇に抱えてやって来た。

入口のエントランスホールにあたる間は手動のガラス扉で、手を離すとゆっくり閉まる仕様になっている。ポストの並んでいる場所には箒と塵取りが置かれていて、毎日掃除がなされているとのことだった。

エレベーターはなく、階段で。

踊り場からは向かいの病院の一階廊下がよく見えた。

「なぁんだろなあ」

狭い階段を上りきる頃に口をついて出た。

病院が近いのは、いいことなのか悪いことなのか。

なんとも言い難い。


外廊下へ出て、左のつき当たりの部屋の前に立つと、うっすら寒気がした。

「ここ寒くないですか?」

私が訪ねると

「そうですか?」

と担当者が眉を顰めた。

肯定も否定もせず、ただ会話を流されていく様にうんざりしてしまった。

店や車内での会話から、共感能力のなさそうな男だ。

きっとこういうところで客の顰蹙を買うんだろうな、と私はひっそりと彼を断罪した。


扉を開けると正面にフローリングの床が目に飛び込んだ。

正午の日を浴びて、燦々と輝くバルコニー。

入って左手の扉にはトイレ、その奥には脱衣所と風呂場が見えた。


「うわ、きれい」

「最近リフォームしたそうです」


それは結構な……と思い、試しに壁を思いっきり叩いてみた。

「騒音が気になりますか? お隣はいらっしゃらないのでこちらが騒いでも無駄だと思いますよ」

担当者は涼しい顔で言った。

「人気の物件なのに隣人がいないんですか?」

「平日の昼だから、お仕事に行ってるかと」

「ああ、そういうことですか」

騒音が気になるかどうかは、近隣住人が仕事から帰ってくる夕方以降じゃないと確認できない。

そうだ、ここから最寄りの駅までの道の雰囲気も気になる。朝はともかく、帰り道が心配だ。日が落ちてから見に行かなければならない。

「水周りは気になりませんか?」

担当者はそう言うと台所の流しの下を見せたり、風呂場の水の出を確認させようとする。


「どうしてここ、三万円なんですか」

ここに来る道すがら、ずっと引っ掛かっていたことを聞いた。

「どうしてって、大家の意向ですかね」

「……本当はここ、事故物件とかじゃないんですか?」

大した欠点が見当たらないのに、この安さはおかしい。

近隣住民でよほど問題になるような人物がいるとか、そういうことしか考えられない。

「じゃないですよ」

担当者は一度も私と目を合わせない。

「『大島てる』で検索かけてもいいですか?」

私はスマホを取り出して検索するしぐさを見せた。

「どうぞ」

担当者は顔色を変えずに私の手元を注視していた。

本当は彼の反応を見たかっただけなのだが、言い出してしまった手前、本当に検索することになった。

『〇〇県▼▼市□□□町五一の八、コーポ……』

指定した住所の場所に火事のマークはなかった。

近隣を拡大し、地図上にある火事のマークを片っ端からタップして詳細をみた。

「……ないですね」

「でしょう?」

「なんか、疑っちゃってすみません」

「男子禁制だから格安だと考えた方が、現実的ですよ」

「どういう意味ですか」

「……いえ」

担当者は眉間に少し皺を寄せて黙り込んだ。

余計なことを言ってしまった、という感じだった。


「女性しか入れない物件って、なんなんですか」

「防犯上、男がいない方が女性が安心して住めるってことを目的にしてるんじゃないですかね」

「……はぁ」

「あとは大家の信条なんでしょうけど、男性より女性の方が静かに、きれいに部屋を利用してくれるとか、そういう期待じゃないですか」

「そうなんですか」


担当者はデジタルカメラを取り出すと、内装写真を撮り始めた。

「リフォーム後の内装は、まだ店のページにアップしていなかったので」

そう言うと、私を差し置いてクローゼットの採寸までしはじめた。


「女の子しか集めない大家って、ちょっと変わってるっていうか、変な人なのかなって勝手に思ってました……」

まだ契約してない今のうちに、不安に思うことは全部吐き出してしまおう。腹をくくった私は、失礼を承知で気持ちを打ち明ける。


「どうなんでしょう。男が嫌いなおじさんっていうのは、いっぱいいます」担当者は苦々しい顔で写真を撮り続ける。

「女好きっていうより、女の方がいろいろと制御が効きやすくて都合がいいって考える人は多いですよ。他人に強く出られると恐怖で何も言えなくなる人って、男にもいるけど圧倒的に女性の方が多い」


「部屋の借用にそんなの気にする人いるんですか。紹介も管理も今は管理会社や不動産会社が間に立ってて、大家が直接出向くことなんてそうそうないと思っていたのですが」

「『俺の物だから好きにさせろ』って気持ちと、『言うこと聞く店子たなこで満室にしたい』って気持ちと……大家の気持ちはわからないですね。僕、不動産所持してないので」

「はぁ……」


ここにきて、大家の話を向けたところ、ずいぶん喋るようになったな、と驚いた。

この担当者、ここの大家と直接会ったことがあるのではないか?


「どんな人なんですか? ここの大家さん」

「……さぁ。ただのおじさんだと思いますよ……」

「知ってるふうでした」

「誰が」

「あなたが」


私に言われ、一瞬言葉を詰まらせると、担当者はデジカメの画像を確認しながらのっぺりと抑揚のない喋り方をした。


「『大島てる』に掲載されてる物件なんてかわいいもんです。本当にまずいものは、人目に触れない所で放置されるか、誰かに悪用されるもんです」

私は堪らず彼の手元のデジカメを奪い、目線を無理やり合わせた。

「ここはどうなんですか」


「知るわけないじゃないですかっ」


彼は堰が切れたように叫び、「すみません」と言って口元を抑えて部屋から出て行った。

私の詰め方が不味かったかもしれないが、終始彼の感情を抑えた言い方に気が障っていた。

感情は抑えめなのに歯の奥に何か詰まってるような、なんかあるような物言い。

とにかくお金を払うのはこちらで、今後暮らすのもこちらなのだ。

不便があるのなら、今のうちに把握しておきたい。


出て行った担当者を待っていたが、いくら待っても帰ってこない。

『最近の若者はちょっと怒られるとすぐにバックレる』とどこかで聞いた言葉が頭の中を反芻した。

やれやれ、客に詰められたことがそんなにショックだったのか?と呆れながら外廊下に出ると、階段の一階と二階の踊り場に人がいた。

あんなところに、と思って駆け寄ると、知らない女性が道路に向かってスマホを掲げていた。


マンションの入り口まで出ると、道路に人だかりができていて、路面にはA4サイズの紙がばらばらと散らかっていた。

人の隙間からのぞくと、地面に血を流した担当者が倒れていた。


担当者は道路に飛び出したところを猛スピードで突っ込んできた軽自動車に轢かれたらしい。近所の人間が呼んだ救急車に乗せられていなくなった。

慌てて店に電話した私に、代わりに来た不動産屋の人は「この物件に行ったことは口外しないでいただきたい」と言った。

そして、部屋の鍵がまだ扉に刺さってるのを知った彼は「すみません、戸締りをしてもらっていいでしょうか」と私にお願いした。「この物件は女性社員しか持ちまわれないようにしていた」と。

「男子禁制って大家さんの都合じゃないんですか」と私が聞くと、「理由はわからないが、男が入ると無事では済まないから女性にしか薦められない物件だった」と言われた。

どうして彼が入ったのかと言えば、「営業成績の焦りとしか言えない」と。


怪異なんて信じてなければなんともないはずだ。

しかし、普段言い含めれられている注意を無視してしまうほど、精神的に余裕がない時は、魔が差している時なのだと思われる。


私はその物件が気味悪くて選べなかった。

今も大島てるにその物件は記載されてない。

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