親愛なる肉塊さまへ。

クロネコ太郎(パンドラの玉手箱)

重み、鎧、肉塊、は、責任、体裁、本性、

世界というのは、私にとって生きづらく、居心地が悪く、息が詰まるようなそういう場所だった。

 いつからだろうか、そんな世界に変化が訪れたのは。もう忘れてしまうほど昔からだろうか?もしかしたら変化とは呼んでいるけれど、今こそが本当の正常な世界で、変化が訪れる前の世界なんてものは私の夢や妄想の類でしかないのかもしれない。


「おはよう。」


 朝目覚めると、それはいつも初めに声をかけてくる。それは私を傷つけないようにと必死さが伝わってきて、少し同情してしまう。


「おはよう……。」

「もうご飯、出来てるから、早く摂ってね」

「うん」


 私はいつも思う。どうして彼らの肉体はあんなに重そうで、今にも自重で崩れそうな体をしているのに動いていられるのかって。

 私以外のものはみな、大きくて縦に長い楕円形の球体、まるで鎧のようなものにそれは包まれていて、とても、とても重そうだ。


 重く無いの?と聞いてみたい私の好奇心はある。けどそれを聞いてしまえば私が他のみんなとは違うってことがばれてしまうので絶対口に出さないけれど。


 私は眠くて気だるい体を起こして食卓に向かう。


 食卓には、2つのそれがいた。


 楕円形の彼らは椅子に乗って、机に自身の体を寄せご飯を美味しそうに食べている。


「起きたか。」

「うん」

 

 私も彼らと同じように椅子に座り、ご飯に手をかけた。


 カチャカチャした音以外には何も聞こえない。


 右にいるそれがある程度ご飯を食べ終わったタイミングで、楕円形の鎧をわなわなと震えさせ始めた。


 私は知っている。それが何か話を切り出そうと悩んでいる時、震えが起こるのだ。

 

「あかね、今日学校は行けそうか?」


 右のそれがそう言うと、左にいるそれも同じよう鎧を振動させる。

 

「そろそろ、勇気を出してみなさいよ」

 

 彼らはどうしても私に学校へ行ってほしいらしい。でも、私は怖い。ここから出たくない。


「ごめんなさい……」


 左にいるそれにも、右にいるそれにも、本当に悪いと思ってる。だから私は謝るしかなかった。そうする以外、どうしようも無かった。

 

 謝ったとみるや否や、右にいるそれはカパカパとした音を鳴らし始める。

 私は知っているそれは――


「あかね、そろそろいい加減にしなさい!いつまで家に籠っているつもりだ」

 

 カパカパとした音は、大きくなり、遂に中にある醜い物が露になった。


 肉塊――パカリと開かれた鎧の隙間から肉塊が覗いていた。


 彼らの本性が見える時、中にある肉塊が見える。


「――こわい、こわいよ――」


 醜い、汚らわしい、それを見てしまうと、私はどうしても自分を保てなくなってしまう。そう今にも私は――


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわい――――。


☆☆☆☆☆


「だから、内の子は病気なんかじゃない!」

「そうよ、内の子に限ってそんなことあるわけないじゃない!」


 きっぱり言い切るのは、あかねがそれと呼んでいた、あかねの父、母だった。


「でもねえ、どうしても最近のあかねちゃんを見ていると、心配で心配で――私は病院で見せてやった方がいいんじゃないかと思うけど。」


 あかねのことを心配するのは、祖母の久美子だ。


「頭の硬い、年寄りの意見なんかに誰が納得できるか!」

「とにかく、そういうことをあの子に吹き込まないで頂戴!今後母さんを一切家に上がらせないわよ!」

「――――」

 

☆☆☆☆☆


「じゃあ、私仕事に行ってくるから」

「いってらっしゃい……」


 それ二つがいつものように仕事へ出掛けたことで、私は一人になった。

 

 一人は落ち着く。私を見るものは何もない。こうしてずっと一人、隅へ蹲っていたい。


 何からも忘れられて、存在すらも消えていて、でもそれが心地いい。


 暗闇は私を肯定してくれる。私はこのままでも良いんだって教えてくれる。


 暗闇の中に溶けてしまえばどれだけ楽になれるのだろう。


 でも、安息は突然に奪われてしまう。


 ピンポーンとチャイムの音が聞こえた。誰だろう。いつもはこんな時間に帰ってこないはずなのに。怖い、開けたくない。


 私は布団へ包まった。


「――――?」


「――――?」


 何度も何度も声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。この声は確か……。思い出した。私の好きなそれの声だ。



「――――?」


 開けるべきなのだろうか?本当に開けて良いのだろうか?信じて良いのだろうか?


 そう疑いつつも私がドアを開ける手を止めなかったのは心の奥底で何かを願っていたからかもしれない。

 

「あ、あかねちゃん?大丈夫?」


 やはり私の好きなそれの声だった。私の前にいるそれは鎧が軽そうで、いつも言葉が温かい。


 でも、私は疑問に思っていた。優しいそれの中にある本性を見たことが無い。


 それも優しいそれを好きな理由だった。

 

「じゃあ、ちょっと上がらせてもらうね」

「うん」


 

――――――


 

「だから、あかねちゃんのお母さんとお父さんはね、少し視野が狭まってると思うんだよ」

「うん」


 優しいそれは一生懸命何かを話している。


 何を言っているかは分からないけど、嫌な気分にはならない。


「分かってくれた?」

「うん」

「じゃあ、今から一緒に病院行こう?」


「外へ、出るの……?」

「そうだよ、外に出ないと病院に行けないからね」

「……」


 私は優しいそれに失望してしまった。他のそれとは違うと思っていたのに、結局優しいそれも私を怖いそとへ連れ出そうとしてる。

 

「ごめんなさい」


 私が謝まると優しいそれはカパカパとした音を鳴らし始めた。


 怖い……。また私はあの醜い、汚らわしい肉塊を見ないといけないのだろうか。


 また私は……。


「これはあかねちゃんの為に言ってることなんだよ。だって私はあかねちゃんのことが大好きなんだから――」


 パカリと優しいそれの中身が露になった。

 

「どう、して……」


 露になったのは肉塊、では無かった。


 それは、人だ。夢や妄想でしかないと思っていた人という存在。


 私は思い出した。目の前にいるそれ、いや人のことを――。


「久美子おばあちゃん」


 名前を呼ばれた張本人は大きく目を見開き、口元に手を当てる。

 

「今、私の名前を……。」


「久美子おばあちゃん、ありがとう――」

 

 そうして停滞していた歯車は再び時を刻み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

親愛なる肉塊さまへ。 クロネコ太郎(パンドラの玉手箱) @ahotarou1024

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る