オールトの冬
第一話 招隊状
――三ヶ月前——
翌日に大学の入学式を控えていたその日の刹那。私の送ろうと想像していた人生は桜の花の如く早々と儚く散り、非情という名の現実が私に打ち寄せた。
◇ ◆ ◇ ◆
男女どっちとも取れる無機質な自動音声のアナウンスが鳴ると共に列車の自動扉がゆっくりと閉まって行く。
『まもなく、三番線各駅停車グシェフト区中央駅発、アイグマイン区中央駅行きが発車致します。ドアが閉まります。ご注意下さい』
ドアが閉まり列車が段々と加速して行く。
周りを見渡すと車内は笑みの絶えない子連れの夫婦や和やかな雰囲気を醸し出す老夫婦、淡い青春を感じさせる学生カップルに仲の良さそうな友人達、と休日という事もあり大変賑わっていた。
アーデルハイトは満員の車内の窮屈さに飽き飽きして窓外を見つめる。
窓外からの降り注ぐ紅く燃え盛る様な陽光を反射し、眩い光りを放つ銀色の長髪。そして、流れる景色を見つめる双眸は広く高く何処までも晴れ渡る蒼天を想起させる様に蒼い。その整った容姿はとても十八の少女とは思わせない風格を醸し出していた。
列車で揺らされていると向かい側に座る赤毛の少女が不機嫌そうな態度でこちらを見つめている。
「全く、ハイジったら私を置いてぱっぱとどっか行っちゃうだから! まぁ今日はご飯奢って貰ったから別に良いけど! 」
「ごめんごめん……」
ふふんと鼻を高くしていたイルゼが何か閃いたかの様な反応をする。
「まぁそれは良いとして何処行ってたの? 」
「あぁ、ごめんなさい。言って無かったわね。書店で本を探しに行ってたんだけど、探すのに夢中で……」
それを聞きイルゼが口元をニヤ付かせる。
「"ほん"っと、あんたは"本"が好きね〜」
「……」
クスクスと笑うイルゼとは対照的にアーデルハイトを含む周辺に座る者達は空気が凍り付く。特に友人達と団欒していたであろう中高生程度の少女がこちらを振り向いて、まるで人では無い何かを見る様な目でイルゼを見つめていた。
気がついていないのだろう。イルゼはそのまま話しを続ける。
「それにしても今日は特別、人が多い気がするんだけど何かあった? 」
それを聞きアーデルハイトが呆れて溜め息を吐く。
「何かって……あなた本当にこの国で生まれ育ったの? 全く……今日は帝都制定記念日でしょ」
「あ〜そう言えばそんな日もあった気がしなくもないかも……」
何故か急にイルゼが黙りこみ、数秒経つと何か閃いたと言わんばかりに捲し立てる。
余りにも急だったので周囲の乗客が驚く。特にあの少女はイルゼを怪訝そうな面持ちで見つめていた。
「それじゃ今日は色々露店とかお店の割引とか沢山やってたってことじゃん! もう! 最初に言ってよ! くぅぅ、これは人生……いや世界レベルでの大損だよ! どうしてくれるの! 私の十八年間の人生最大の失敗だ! 一生涯の恥だよ! 責任取ってよぉぉぉぉ! 」
よく分からないが乱心したイルゼが暴走を始めて、意味不明なことを言いながら肩を掴んで激しく揺らしてくる。
アーデルハイトの口元が引き攣る。
「イ、イルゼ……ちょっと良いかしら? 」
「なに!? まだ何かあるの!? 」
「ご乱心の所悪いんだけれど、そもそもそういうのは今日やってないわよ……ただの記念日よ」
イルゼの面持ちがまるでこの世の終わりでも来たのかと思わせる程のものに変わる。
「……え? 」
「毎回そうだったでしょう……全く。だけど、今回もパレードはあったわね。兵士だけでも数万人は参加してたらしいわよ。戦争中なのに呑気なものね」
どうやらイルゼは壊れてしまったようで、言葉に生気を感じられない。
「ヘーソウナンダ。オイシソウダネ。ゴハンゴハンゴハンゴハンゴハン………」
「……」
あーイルゼこの程度壊れてしまうとは情け無い。と心で唱えて、壊れてしまった親友を横目に再び窓外の流れる景色を見つめる。
・ー・ーー ・ー ーーーー ・・・ー
ノイエモント帝国
帝都リュストゥブルクを中心とした大陸内戦の英雄≪帝国七諸侯≫が統治する専制主義国家。大陸北方を中心とした領土を保持しているが、寒さが厳しい上、複数の大国と国境を接している。ノイエモント帝国は、その厳しい環境を生き抜く為に旧来より技術力を重視する傾向にある。その技術力を活かして今となっては人口、経済、軍事共に高い水準に達し、大陸の列強諸国の中でも抜きん出た存在となっている。《第六の彗星》落下後は"厄災国家"と成り果てた西方の隣国ラスヴェート共和国によって引き起こされた《第四次彗星戦争》にて共和国と熾烈極まる"解放戦争"を繰り広げている。
・ー・ーー ・ー ーーーー ・・・ー
駅への到着をアナウンスが知らせる。
『間もなくアイグマイン中央駅です。お出口は右側です。お忘れ物にご注意しておおり下さい』
どうやらいつの間にかに寝ていたようで、目の前を見ると未だにイルゼが死んだ魚の様な目でブツブツと呪詛の如く何かを唱え続けていた。
「……」
「ゴハン、ロテン、ワリビキ、ゴハン、ロテン、ワリビキ……」
「イ、イルゼ着いたよ〜!動いて〜! 」
肩を揺らして着いた事を知らせても三角座りのままブツブツ言い続けていて、どうやら完全に壊れてしまったようだ。
「ゴハン、ロテン、マツリ、ゴハン、ロテン、マツリ……」
イルゼの眼の前で手を振ってみたり色々してみるがずっとブツブツ言っているだけで中々動かない。
「おーい、イルゼさーん生きてますか〜戻ってこーい」
既に何度か使っている手だが、なるべく使いたくはない……が、しかし、このまま列車が発車して追加で運賃を払うよりは良い。結局、懐が贄になるが……。
「せっかく来週にイルゼの入学祝いにご飯奢ろうと思ってたのにな〜」
「……!? 」
イルゼ・ジークフリートという生物は実に単純だ。彼女の行動原理は"食"を中心として回っていて、この様に食に関する事を引き合いに出せば後は思い通りだ。
「本当ですか!? ハイジさん!? 」
「新しく出来たプレッツェルの美味しいお店に連れてって上げようと思ってたのにな〜」
「あ、あのお店に連れてって貰える上に奢って頂けるのですか!? 」
何故かイルゼの言葉遣いが変わって違和感しか無いが、この際、気にしてはいられない。
「もちろん……だって私達親友でしょ? 」
「ありがとうございますハイジさん! さぁさぁ早く降りましょう! 列車が出てしまいますよ! 」
さっきまでの意固地とは打って変わって、立ち上がって自ら先導するほどだ。人とは食一つでここまで変わる物らしい。これは特別な例だろうけれど。
変わり様に少々引きながらもアーデルハイトはそのままイルゼと駅構内に降りてそのまま改札を抜けるとアーデルハイトとイルゼは導かれる様に構内のベンチに背をもたれる。
「それにしても疲れたわね……」
「今日は人が多過ぎて私も疲れたよ〜もう」
流石のイルゼも今日の混み具合には参った様子であった。
かく言うアーデルハイトも時々体を伸ばして凝り固まった体を解しながら話していた。
「これじゃ明日の入学式は居眠りするか最悪遅刻するかの二択ね」
「ハイジはそう言うけど結局間に合うじゃーん。私は割と洒落にならないよ〜」
「ごめんねイルゼ。急に呼んだのに今日は来てくれてありがとね」
恥ずかしいのかイルゼは目線を逸らす。
「まぁ、良いってことよ……。今までも色々奢って貰ったし……」
「ふふふ。いつもの食いしん坊さんとは違ってイルゼも中々可愛い所あるじゃない」
馬鹿にしたなと言わんばかりに顔を赤くしてイルゼが恥ずかしさを身振り手振りで誤魔化そうする。
「あぁ! もうやめてよ! 恥ずかしいな! 今度ハイジの財布空っぽになるまでプレッツェル食べてやるんだから! 」
「それはちょっと……いや、結構困るわね」
「冗談だよ。私だって乙女だよ? そんな何個も食べれないよ……多分」
「……え? 」
引き気味のアーデルハイトを見て何かに気づいたのか誤魔化すかのようにイルゼが勢い良くそそくさと逃げ帰る。
「プレッツェル楽しみにしてるよ! じゃ、じゃあまた明日ね! バーイバーイ! 」
東口へと向かう階段を駆け降りて行くイルゼの背中を見つつ一瞬の出来事にアーデルハイトは戸惑う。
「行っちゃった……」
少し大げさな反応をしてからかっただけのつもりだったが、何故か逃げ帰ってしまった。イルゼが帰ってしまったし、既に夕暮れで暗くなってくると共に寒さも増してきた。明日の準備もあるしそろそろ帰ろう。
アーデルハイトは寒さに身震いさせて西口から駅を出て帰路へと着く。
◇ ◆ ◇ ◆
メインストリートに面した古風な石造りのアパート。一階にはパン屋があって周りを食欲を掻き立てる良い匂いで包み込む。
古惚けた螺旋階段を夕陽に照らされながら登る。
このアパートは"比較的"新しいアパートの為、エレベーターが備え付けられているが作りが古く、余程の荷物でも無い限りなるべく乗りたくはない。
アーデルハイトの部屋は四階で階段の方から三部屋目の四〇三号室だ。
鍵を差し込み、部屋へと入る。
部屋は古風な外見とは打って変わって、現代的に改装されてはいるが、何処となく歴史を感じる内装となっている。
アーデルハイトはスリッパに履き替え、とぼとぼ歩いてベットに顔を疼くめる。
合格してからというものの、毎日希望に満ちた将来を想像した。そして、それが目前まで迫っていた。明日から始まる新しい生活。元々趣味でも学んでいた歴史をより詳しく学ぶ為に苦労に苦労を重ねて歴史学部が有名なノイシュ・リュストゥブルク大学に入った。きっと新しい友人も沢山増えるだろう。その友人達ときっと色んな事を経験して学んで大学を卒業したら行く行くは誰かと……。
アーデルハイトが枕に顔を疼くめて足をバタバタさせながら明日から始まる新しい生活を想像して胸を躍らせている。
突然と少女の妄想に割り込む呼び鈴。
疲れ果てていた帰宅直後とは違い、スキップをする様に軽い足取りで玄関へと向かう。
この時、アーデルハイトにとってこの呼び鈴が終焉の知らせになるとは、彼女は思いもしなかっただろう。
溢れんばかりの幸福感と共にドアスコープを覗くと三十代程の小太りの男性が立っており、呼び鈴を押して名乗る。
「すみませーん! ネルトリンさんはいらっしゃいますか!? 区役所の者です! 」
アーデルハイトは不思議に思いつつ扉を開ける。
「はい。何のご用でしょうか? 」
「アーデルハイト・ネルトリンさんでお間違いありませんね? 」
「えぇ……そうですが」
「書類の方を持って参りました」
アーデルハイトは身に覚えが無く、首を傾げる。
「何か申請の忘れがありましたか? 」
「いえいえ。私が訪ねたのは別件です」
区役所の担当者の声が低くなり、真面目な表情となる。肩に掛けた鞄から赤い封筒を取り出す。
赤い封筒を見たアーデルハイトは背筋が凍る様な感覚に襲われる。
「おめでとうございます。召集令状です」
区役所員から手渡された召集令状。アーデルハイトは目の前の光景を何かの間違い、誰かの悪戯?兎にも角にもそれが現実だと信じられなかった。信じたくなかった。
「待っ、待って下さい! 何かの間違えでは!? 私明日から大学なんですが!? 」
取り乱す目の前の少女に区役所員が憐れむ様な顔になる。
「貴女もご存知無かったのですね。色々忙しい時期ですから、知らなかった人も多いんです。先日帝国議会で決定されたばかりなんですが、徴兵対象が十八歳以上の文系学生まで下げられたんですよ……」
その刹那、間違いという極めて少ないながらも唯一残った希望と共に少女の想像する幸せに満ちた将来は桜の花の如く早々と儚く散り、現実という名の非情の波が打ち寄せた。
哀愁漂わせる顔をして男がこちらを見つめる。
「……申し訳ない」
男ははただ一言、そう言って重い足取りで階段を降りて行った。
その晩、アパートの一室からは少女の悲痛な慟哭が鳴り続けていた。
彗星の落ちる場所 土下無月 @tutisita1116
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